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2015年2月

2015年2月28日 (土)

『いいね!』考

Iine

※3人同じ振り付けをなかなか揃えられなかったというエピソードは「ウ・キ・ウ・キ☆ミッドナイト」の時のもので、以下の文章には誤認があります。いずれ改訂版を書き直します。ご指摘下さった方、ありがとうございます。

Release: MAXI SINGLE「BABYMETAL×キバオブアキバ」 2012年3月7日 重音部RECORDS(TOY'S FACTORY)

「いいね! Vega Mix Version」
さくら学院 2011年度 ~FRIENDS~      2012年3月21日 (Universal)

Credits:作詞:中田カオス 作曲:Mish-Mosh

 BABYMETALの「ド・キ・ド・キ☆モーニング」に続く2曲目は「イジメ、ダメ、ゼッタイ」だった。初期のライヴはその2曲だけがBABYMETALの持ち曲だった。しかし「イジメ」が最終的な形にレコーディングされるのはずっと先になる。このブログでは基本的に音源発表順に検討していく。





 重音部のシングルCDとしてはこれが1枚目となるのだが、京都のバンド、キバオブアキバとのスプリット・シングルとされる。このスプリットという意味がよく判らない。4曲の半分がBABYMETALで半分がキバオブアキバを表すのだろうが、この時にBABYMETAL単独ではリリース出来なかったのだという解釈も有り得るだろう。

 BABYMETALの全楽曲の中では、私個人としての相対的評価は低い。本稿の前半はかなり辛辣な事を書いているが、あくまで「個人の意見です」。また、ここに挙げた不満や懸念は、続いて作られたネタ系楽曲ではほぼ解消されている。


 メタルコアの要素はあるにはあるのだろうけれど、音量バランスは完全にシンセ寄りで、基本的にはダンス・ミュージックの作りだ。イントロはウインクの「淋しい熱帯魚」の引用だとよく言われるのだが、80年代後半~90年代のユーロビート、ハイエナジー系の最も普遍的なリフだ。ウインクはどちらかと言うと、彼女達自身もカヴァーを歌ったStock, Atkin, Waterman楽曲の翻案が基本的なスタイルだったと思う(もっと音が薄い)。

 Bメロの最後2小節から底抜けなCメロに転調する展開は、90年代J-Popの基本とすら言えそうな形式だ。当時のJ-Popでは、いかにもシンセサイザーのパラメータを動かしただけでしかない安易な、突拍子もない転調をする楽曲が多かった。更にはそれを生歌で歌いこなすのが実力派シンガーと認められていた。全く音楽的ではないと、私は勝手に苦虫を噛み潰していたものだった。
「いいね!」の転調はそれほどエグいものではなく音楽的である。ただ、その転調後が、どうしても既視感ならぬ既聴感があって、あれだっけ、これだっけと手持ちの音源を探したのだが判らない。大塚愛とか松浦亜弥とか、その辺りの楽曲だろうとは思ったのだが。
 中間部は太古のHipHopで、BABYMETALで何をやろうとしているのか、プロデューサーは血迷っているとさえ思った。

 歌詞も殆ど何かを伝えようというものがなく、勢いだけで作られたと思う。
「超絶すぎるよ 完璧よ
 おんにゃのこは
 夢も きっと
 超カオスだよ」

 これに読み取れるのは、この歌詞は女の子が自分の事を歌っているのではなく、第三者の視点だという事だ。確かに女の子はカオスだろうけれど、女の子自身の内部では、男が認識し得ないレヴェルでのコスモスがあるのだから。

 気になるのは、「とりまモッシュッシュ」。
「とりま」(=とりあえずまあ)はまだ許せるのだが、モッシュという言葉はこの頃のメイト(BABYMETALファン)には流通していたとしても、普通の人には意味不明に過ぎるジャーゴンだ。
 ラップ部終わりの「キツネだお」。「だお」言葉の起源を調べると案外と古い事が判ったが、少なくともこの数年の受容としては「VIP語をリアルに使う痛い人」のものであって、中学生のリアルな女の子に言わせるのは趣味が悪いと個人的には思う。
 Vega Mix版の「これメタルじゃなくない?」は凄くリアルで良いのに、何故かそのあと駄目押しに「メタルじゃなくね?」を言わせるのも、センスが無い。
「アイスクリーモ」(アイス+スクリーモ)も消化不良だし、冒頭のYUIMETAL+MOAMETALのやりとりも、とってつけた感しかない。

 更に Are you ready to xxxx? という英語部は、ずっとAre you ready to know? だと思い込んでいた。というかそうとしか聞こえない。しかしこれがどうやら Are you ready to mosh? らしいのだ(歌詞カードにはないのだが)。shの発音は全く聞こえない(MVを見ると言ってはいる様に見える)。
 完全に表現が内向きの製作姿勢だと思わざるを得ない。

 トラックとしては不満ばかりが多いのだが、しかしこれに振り付けがつくと価値観が変わってくる。
 この曲で初めて、3人が同じ振りで踊るパートが設けられた。言うまでもなく前奏部のユーロビートのところである。MOAMETALが回想したエピソードが心に残っている。
 三人で合わせる事がなかなか出来ないので、MIKIKO-METALは少し厳しく指導した様だ。なかなか出来ない自分に、MOAMETALは少し涙ぐんだという。するとSU-METALがそれを察して和ませようと冗談を言い、そのSU-METALの気持ちに感激してMOAMETALはまたも涙を零したのだという。

 そんなに難しいのか、3人が揃える事が。
 当初私はよく判らないでいた。しかしBABYMETALの動画を多く見ていく事でやっと判ったのだ。MOAMETALとYUIMETAL同士なら、合わせる事は比較的簡単だ。既に「ドキモニ」で出来ている。
 しかしSU-METALの動きに近づける事は至難の業だったのだ。

 可憐Girl'sの時から、中元すず香の踊りは「大きくて良い」という評価をされてきた。彼女自身、それが自分の(それまで意識していなかった)良い所だと思い、一層彼女の動きはダイナミックになっていった。
 さくら学院では「1人だけ体操着を着てきて」「情熱のレッスンを」一心不乱にやっていた彼女だ。
 そして背というよりも、手足が著しく伸びていき、一層彼女の動きは大きくダイナミックになっている。また、SU-METALは指や腕の関節が普通よりも多く反る体質で、これも大きな身体表現の秘密なのかもしれない。

 YUIMETALは、さくら学院加入前からダンスのレッスンを受けていた様で、とにかく踊る事についてはMIKIKO-METALも認めるセンスと技術を持っていた。SU-METALに合わせる事に、MOAMETALよりも早く対応出来たのはそういう事だろう(ところがこのYUIMETALは何故かしばしば振り付けを間違えるところも、まじ……)。

 しかしMOAMETALも負けてはいなかった。自らの努力でハンデを克服したのだ。元々運動的な能力は3人の中でもずば抜けているのだから。
 この3人が踊る振り自体は、ユーロビートのよくあるそれである。しかし彼女達ほど重心を動かす程に大きな振りをする例は殆どない筈だ。視覚的な見せ場になっている。
 そしてこのプログラムは、言わばBABYMETAL強化ギプスの様な意味もあったに違いない。3人のダイナミックな動きは今後、速度を増し一層スペクタクルなものになって、6万人の観客をノックアウトするのだから。

 冒頭の台詞のところは、YUIMETAL+MOAMETALには自由に演技をする事が許された。以降、二人は積極的に自分達のアイディアを振り付けに提案していく事になるのだが、それを認めていたMIKIKO-METALがまず凄いと思う。

 なかなか映像では全てが映らないのだが、Bメロ部のYUIMETAL+MOAMETALの振り付けはひたすら可愛らしい。YUIMETALがテヘペロするのもこのプログラムだ。

「現実逃避行」で、3人が縦列で動くところは、最初は普通に舞台を右往左往するだけだったが、次第にジャンプをする様になる。昨年のライヴでは、最後尾のMOAMETALはSU-METALの腰に手を宛てて、1m程まで高く跳躍している。このプログラムの大きな楽しみとなった。

 中間のHipHop部は……、振り付けもベタにギャングスタ風で、「一応やってます」的だ。後の「おねだり大作戦」でのYUIMETAL+MOAMETALの見事なHipHopノリの身のこなしを見ている今となっては、まあ微笑ましい。

 ライヴではCall & Responseになるのだが、あんまり工夫がないなぁと思っていた。しかし武道館「黒い夜」で、SU-METALが観客に「Doomsday!」(地球破滅の日)と言わせているのには笑ってしまい、アリかなと思う様になった。

 キツネ神信仰の祈祷会パートになると、要領を得ている観客は舞台と一体化して、初めて見る者には異様な迫力の場面となる。
 その後、SU-METALはエア・スクリームをすると、3人が身を屈めた姿勢から起き上がっていく。ここも、まあ凡そ普通アイドルにやらせる振り付けではない。

 曲終わり近く、3人は左右の指でフレームを作る。
 MIKIKO-METAL振り付けの更なる特色が、顔の側に手を置いたヴォーギングの多用で、より顔を可愛らしく見せる効果があると言われている。
 しかしこのプログラムの、ズームインさせる様なアクションは、やはり本来この指の形の意味である「写真や映画のアングルやフレームサイズを測る」という、キャメラマンや監督の仕種由来だと思う。
 しかしいきなり映画監督に3人がなる筈がない。あまり根拠のない解釈だが、これは、女の子がよくやるスマホの自撮りのメタファーではないだろうか、というのを私の説として発表しておこう。自信は全然ない。

 ワンマンライヴでは、この曲になるとレーザーショウが盛大に繰り広げられる。トランス的な熱狂というのも、演目の中には必要なのだろう。
 またSU-METALも、この曲の概ねの部分は楽しげに歌っているので、決して悪い曲ではないのかなと、最近は思っている。

 しかしこのスプリット・シングルのキモであるのは、何故か3曲目に入っている「君とアニメが見たい」だ。
 この曲は問題作である。

 つづく



定点キャメラ。6:00辺りから「いいね!」

2015年2月27日 (金)

ステージを支える人々

 私が見込みで書いた事を、コメントにてとても丁寧に訂正してくださった方がいて感謝している。
 Digital Performerは、一昔以上前にDTMソフトの圧倒的なシェアを誇っていた。現場仕事では信頼性が第一であり、なる程と唸らされた。

 今のレコーディング現場は、ProTools環境が完全に支配していて、アニメのアフレコ現場でも、楽音舎などはProToolsに移行してもう10年近くなるだろう。

 インターフェイスがBehringerだったというのも意外だ。いや私の部屋には相当な種類のベリ製品がある。とにかく安いという楽器音響機器の価格破壊王メーカーだ。実感としてベリ製品は壊れ易いという認識なのだが、しかし不具合があれば簡単に取り替えが利くのがメリットだったのかもしれない。

 BABYMETAL、神バンドが立つステージの脇には、マニュピレーターがいて、モニタ担当のミキサーがいる。彼女達が踊るステージ上に必須なバミリはKOBA-METALが貼り付けている。チューニングの異なるギターを曲毎に渡すギターテックの人達、勿論PAの卓オペ、ヘアメイク、スタイリスト(BABYMETALと神バンド)、彼女達のサポートをするスタッフと、見えないところで支えている人の努力には頭が下がる。





 このブログは、BABYMETALと楽しい事柄だけを書きたいと始めたのだが、やはり一応触れておきたい。
 以下はメタルを巡る、あまり楽しくない事柄について。

訃報『メタリカ:真実の瞬間』ブルース・シノフスキー監督、58歳で死去


 メタルのドキュメンタリ映画についてのエントリを以前書いたが、「メタリカ 真実の瞬間」の監督、ブルース・シノフスキーが若くして糖尿病疾患で亡くなった。
 彼の代表作は「パラダイス・ロスト」シリーズの3本だ。
 1993年、後に「ウェスト・メンフィス3」と呼ばれる事件が起こった。アメリカで少年三人が幼児を殺したという容疑で、警察に捕えられたのだった。

 主犯とされた少年はブラック・メタルのファンであった事が、容疑がかけられる理由の一つでもあった。その時のアメリカでは一時、ブラック・メタル、メタルそのものについてを非難する論調が巻き起こったのだった。
 シノフスキーは周到に取材をして、真犯人が別にいるという強い示唆を映画で行った。私は2までは観た覚えがある。
 シノフスキーの映画だけではなく、メタル系にも留まらずにミュージシャン達が少年達の無罪、もしくは再審を社会に呼び掛けた。
 2011年に三人は、司法取引をして18年ぶりに保釈となった。主犯(とされた)少年の死刑執行が近い時期であった。

 1997年、コロンバイン高校大量射殺事件にて、犯人の少年達(これは紛れもなく当事者だった)がメタルを好んでいた為、社会的なメタルを見る目は更に悪化する。この時にはマリリン・マンソンがマスコミの矢面に立って、メタル側の意見を述べるスポークスマンとなった。「ボウリング・フォー・コロンバイン」にも収録されていたが、極めて理知的な(勿論皮肉をも込めた)コメントだった。
 1990年にはノルウェーの「インナーサークル」事件もあった。


 以前のエントリにも書いたとおり、メタルというのはコミュニティ内ではマイノリティが好む性質の音楽だった。メタルのミュージシャンは、誰もがマンソンの様に意見を述べられる訳では無かった。
 サム・ダンがメタル・ミュージシャンに映画やテレビドキュメンタリを通して、「本当のところ」を喋らせたかった背景に、この事もあったのだ。

 今はメタルを好む人について、反社会的だとか背徳的だというイメージで見られる事は、もうあまりなくなっている。BABYMETALの存在が更にそうしてくれるのだと思う。
 BABYMETALを楽しむ上で、メタルを巡る血生臭い事件の歴史を知る必要は無い。しかし、知った上で好きになったのが我々世代なのだ。


 ともあれ、メタルを愛し擁護してきたドキュメンタリ作家が亡くなった。冥福を祈る。

2015年2月26日 (木)

歌詞がどう受け容れられるのか

「ギミチョコ!!」MVの視聴回数が2300万を越え、尚も増え続けている。公開されてちょうど1年経つ。
 YouTubeで化け物じみた視聴回数を誇るヒット曲は幾らでもあって、それらに比べたら大した数字ではないかもしれない。
 しかしこの曲はシングル・カットすらされていないのだ。そんな曲がこの数字だというのはやはり特異な例だと思う。

 BABYMETALの海外ツアー第一弾に、フランス、スイス、イタリアのワンマンライヴが追加発表された。古参の人たちは昨年のツアー予定が発表された時、大いに心配をした様だ。結果、杞憂どころか想定以上の成功を収めたのだが、そうだった、と知ってはいても、新規としては率直に心配してしまう。ほぼ弾丸ツアーだが、各国で美味しいものが食べられれば、元気にやりきってくれるだろうと願う。

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 地上波のテレビ番組は報道以外だと「笑う洋楽展」しか見ていないのだけれど、過日の「ヨルタモリ」に神バンドの大神こと大村孝佳がマーティ・フリードマンと共に出演するというので見た。タモリがカーリーヘアのカツラを被って、メタル・ヴォーカリストっぽくハナモゲラ語の出鱈目をハイトーンで歌うと、意外と様になっていた。
 私はそこで視聴を止めたので知らなかったが、その後のトークで「歌詞に意味持たせるのは嫌い」という極論を口走った様だ。他局の歌番組を司会しているくせに、タモリらしさは相変わらずである。

 この発言は結構ネットでも話題になり、概ねのリアクションは「そうだ」と首肯するものが多かったのだが、そうした発言をするネットユーザよりも、歌詞に意味を求めるサイレント・マジョリティがJ-Popを支えているのだと思っている。

 私個人の事を言うと、洋楽の方に親しみを持っていたのでやはり歌詞については割と軽視する傾向があった。
 若い頃からSteely Danというひねくれたグループが好きで、このバンドの名前自体がウィリアム・バロウズ由来でもあり、ジャズコードをひねくり倒した楽曲と等しく、歌詞も極めて屈折したモダン批評であった事を面白がるくらいであった。

「J-Popにありがちな歌詞」というネタが一時期よく言及された。
「瞳を閉じて」など、あまりにも頻出する表現を揶揄したものだ。最早クリシェとも呼べない凡庸な歌詞が多いのは事実であり「そうだよね」と思う一方で、J-Popにありがちなコード進行を指摘したニコ動の動画があった事も思い出した。
 別にJ-Popだけがそうなのではない。私から見ると、音楽の進化は1980年代前半で停止している。
 メロディやコードを棄てたブラック・ミュージックには、全く魅力を感じない。
 ジャズも新しい刺激をもたらす存在は現れず、10年程前から私は、新譜を買うという事がめっきりと少なくなって、古い音源ばかりを集めていた。
「昔は良かった」と言うだけの老人にはなりたくない。そう若い頃には思った気もする。しかし、まさにそうなっていたのだった。BABYMETALに出会う前までは。

 私が日本語歌詞について認識を改めたのは、浅田真央について関心を深めていた時期だった。
 彼女がフェイヴァリット・ソングを問われて挙げたのが、Dreams Come Trueの「何度でも」という90年代の曲だった。聴くだけでなくカラオケでも歌うという。
 どんな曲だろうと聴くと、ずっと想い続けている相手に幾度も心根を打ち明けるのだが、受け容れられる事がなく、しかし諦めず何度でも、1万回失敗しても、1万1回目には何かが変わるかも知れない、という切ないラヴソングだった。
 この歌のストーリー自体は、浅田真央とは全く関係が無い。しかしコーラスの「何度でも、何度でも」というフレーズが、彼女の競技に対する気持ちとピッタリと重なったのだろう。
 時に不調な時期を幾度も迎えていた浅田真央は、結局練習に打ち込む事でしかその状況から脱する事が出来なかった。「1万回失敗しても、1万1回目には打開出来る」。そういう自分自身への応援ソングとなったのだった。

 このエピソードに私は感銘を受けたし、なる程、流行歌の歌詞は、全体ではそうでなくとも、あるフレーズやセンテンスだけでも、リスナーの心に重なれば特別な歌になるのだという事を、やっと学習したのだった。邦楽オンチだったとつくづく思い知る。


 BABYMETALの楽曲について考えていく時、当然ながら歌詞の事は無視出来ない。
 その歌の物語自体は、歌うSU-METALらには全く無関係に思えるものであっても、彼女達はあるフレーズに共感し、そこにパッションを乗せている。
 そういった事を、今後には記していくつもりだ。

 浅田真央の2012-13シーズンをまとめた動画を、当時の私が手慰みに作ったものがコレ。

※YouTubeの埋め込みは自動生成で作っています。ミニマムなサイズがこれなので、ご了承下さい。
 カスタム・サイズにしました。
※BABYMETALのライヴの於けるマニピュレーションがProToolsだというソースはなく、単に最も効率的にはそうするだろうという類推で書いています。
 コメント欄で訂正を戴きました。ありがとうございます。

2015年2月25日 (水)

『ド・キ・ド・キ☆モーニング』考 2

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 BABYMETALの振り付けは、日本よりも世界の方でより多くカヴァーされているが、難度が最も低いであろう「ド・キ・ド・キ☆モーニング」ですら、「これは完璧」に見える動画は殆どない。
 重ねて言えば、「ギミチョコ!!」に至ってはほぼ皆無に近い(アフリカ系女性が一人で演じたものが動きは完璧だった)。

 Perfumeの「踊ってみた」動画は、素晴らしく良く出来たものを幾つか見たが(正しい振りであったかは判らない)、なぜBABYMETALはそうではないのか。
 ダンスのアウトサイダーが思いつける理由は、「簡単そうに見えて難しい」くらいしかない。

「ド・キ・ド・キ☆モーニング」のMVは発表時、日本ではあまり、というより殆ど話題にならなかった様だ。一方で、海外の日本ポップ文化にアンテナを張っていた若者が面白がって、メタルヘッズの掲示板などにリンクを張った。大方はネガティヴな反応を見せる中で、一部にはBABYMETALの意図を正しく読み取って関心を抱く人もいた事には驚く。ただ、それも膨大な産業的ポップ・カルチャーの中でほんの少数の領域での議論ではあった。

 メタル+アイドルの原形曲である本作では、振り付けたMIKIKO-METALもさほど振り切ってはいない様に見える。メタルらしさとしては一応斜めヘドバンがあるのだが、あまり激しいものにはしていない(それでも最初は首が痛くなったそうだ)。
 YUIMETAL+MOAMETALの振り付けに着目すると、Aメロの合の手を入れる部分は、SU-METALに顔をぐっと寄せる場面があり、これはキャメラマン、スイッチャーに「ここはバスト(サイズ)で3人撮ってね」という言外の指示だ。
 この部分の振り付けは、後に大きなステージで披露する場合にはかなり離れた位置で行う様にアレンジされるが、少なくとも振り付け時、MIKIKO-METALの想定としてはテレビ・フレーム内で最大限に振りを魅力的に見せる事を、無意識的に意図されていたのではないかと思う。
 既にさくら学院のプログラム振り付け師、舞台演出家であったMIKIKO-METALは三人にとって「ミズノ先生」であった。タイプの違う三人は、振り付け甲斐があっただろう。

 Bメロ「知らないフリはキライ、キライ」、二人はそれまでと表情を一変させ、人形の様になってくるくると周り、Locking、というよりも古式ゆかしいロボットダンス(昔っぽい目覚まし時計の暗喩か?)を披露した直後、「よねっ?」から笑顔に戻り、SU-METALとシンクロする。高い演劇性を要求する振り付けだと言える。
 見逃せないのは、MIKIKO振り付けの特徴でもあるフォーメーション移動の際に、YUIMETAL+MOAMETALの足踏みはリズムの倍速で動いているところだ。音源のブラストビート(バスドラ連打)と同じ部位ではないのだが、しかし音源の特徴にもなっているブラストビートを身体的に表現するものとして、この振りが生み出されたのではないかと思う。
 最もトリッキーな、三人が回転する内に最初とは異なる方向に揃うという部分は、特に他よりも多く回る下手側が、YUIMETAL、MOAMETAL、どちらが回っても完璧な事に感銘を受ける。

 そして、このBメロをきちんと再現した「踊ってみた」が無いのだ。
 特に90度に曲げた左右の腕を上下させるところ。簡単な様でいて、二人の様にリニアな動きで停止位置で決めるといった動作を二人揃えるのは難しい事らしい。

 MIKIKO-METALの振り付けを見ていつも頭に浮かべてしまうのは、動きの数値化だ。
 決してMIKIKO-METALはそういう振り付けを指示してはいない筈だが、私には身体を動かすポイントが数値化している様に見える。こういう書き方をすると、まるで非難している様に読めるかもしれないが、そうではない。有機的な動きを極めて効率的に生み出す振り付けだと(勝手に私が)感じているという事だ。例えば――、
 ・・ ・  ・   ・    ・
 このドットは水平方向に移動するポイントを最も単純化したものだ。これは単純な二次元移動だが、当然肉体であればXYZの三軸が、各関節の動きと同時に敢行されて複雑な動きとなる。MIKIKO振り付けによる動作は、上の様なタイム感覚がある。
 FlashやAfterEffects, 3Dソフトをいじった事のある人は判ると思うが、動きをプログラムする場合、その軌跡に時間毎のポイントを指定する。これが
 ・  ・  ・  ・  ・
 この様に単純な等間隔であると動きが機械的だし、その動きそのものに「色気」が無いのだ。
 MIKIKOの振り付けは、Perfumeもそうであったし、その直系がBABYMETALであり、このエモーショナルな動きは言わばMIKIKO Choreographyの基本の様に感じる。
 しかしBABYMETALでは、これだけでなく全く異なる要件の難度がひたすら上がっていくのだが、ここではデビュウ曲に話を絞るべきだろう。

 この曲は80年代アイドル歌謡曲のクリシェで出来ていると、前に述べた。
 振り付けもまた、イメージの多くをそこから得ている。MIKIKO-METALがこれほど「ベタ」な振り付けをした事が以前にあったかどうか判らないが、ここまでのものは無い筈だ。この曲が「ネタ」で出来ている事を充分に理解し、楽しんで振り付けている様に見える。
 コーラス「リンリンリン」、片腕を上げて2ポーズを交互に見せる部分は、幾らでも前例を見出せるアイドル振り付けの基本だろう。しかし強いて言えばだが、「サタデーナイト・フィーバー」のそれが最も有名である。ドヤ、と決める時にこれ程効果的なポージングはない。
 MIKIKO振り付けの特徴の一つ、歌詞を入念に拾うというのも「お、ね、がい」に見て取れる。
「ちょー待って! ちょー待って!」も同じくだが、この横に身体を向け、前方に手を振りながらジャンプをするという振りは、私の世代以上ならどう見てもザ・スパイダースの、特に井上順(当時は順之)が盛んにテレビで披露していたものを彷彿する。
 MIKIKOはまだ全然若い女性なのだから、そんな“いにしえの芸”など知らない筈なので、これは私の見込み違いの可能性があるが、しかしピンクレディー・リスペクトな振りも後にはつけている(まあピンクレディーは世代を超えたアイコンではあろうが)。
 このプログラム振り付けの山場は言うまでも無くブレイク・ダウン。普通は静止ポーズになるというくらいのところを、三人は本当にマンガの様に首を左右に揺ってから(ほぼ痙攣である)、バタリと床に突っ伏す。この突っ伏す直前の動きに、私は痺れた(もっと短い拍数のものが「4の歌」にもある)。
 SU-METALはこの部分について、最初に人前で披露する時「笑われるんじゃないか」と心配したらしい。しかし本当に笑われる事で、「あ、笑われるのって楽しいんだ」と開き直れた様だ。
 ブレイク・ダウンから再びコーラスに戻る時、短い拍数しかないのに三人は寝起きの伸び、欠伸をして、更に映像の逆転早回しの様な回転までする。もう歌の振りの領域ではなく、演技そのものである。
 終盤にはポジションが縦になったり、まるで先行して移動するキャメラと追いかけっこをしている様なアクションもあり、徹底してフロントからの「映像」として振り付けられている。

 エンディングの決めポーズは、腰を折って敬礼っぽく掌を顔上にかざす。
 少なくとも90年代以降、こんなポーズはイマドキのアイドルもしないというダサい典型のポーズだ。2000年代以降、地下やネットで、コスプレイヤー、アイドルの拡大・拡散化に伴い、このポーズが再び「アリ」になっていたのかもしれない。しかし「ユルい」。ユル過ぎる(いい意味で)。

 この敬礼のポーズが、後の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の中でも指折りの鳥肌が立つ振り、敬礼の布石となった――、という事はまあないのだろうけど。


「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の原形曲は、さくら学院が発足する以前に既に着手されている。BABYMETALが中元すず香の為のプロジェクトとして、さくら学院と同時、乃至は先んじて計画されたのかどうか、私には判らない。
 この曲が発売に至るまでには随分とアレンジが変わった事は先に述べたけれど、もしメタルの要素が今よりも薄かったら、アイドル歌謡の典型を再生産したに過ぎない曲ではあったろう。

 この曲の歌入れ時のごく短いドキュメンタリが、さくら学院のDVDには重音部の活動記録として収められていて、中元すず香は何の気負いもなくレコーディングしていたが、明らかに水野由結と菊地最愛は初めてに近い経験で「ドキドキ」している様に見える。
 終わった感想を、「ちょっと難しかったね……」「ちょっとね……」と言い合っている。

 彼女達が感じた難しさは想像するに、メイン・ヴォーカルとユニゾンで歌うパートではなく、「Cuty Style」「超すごーい」といったかけ声――合の手ではなかったか。
 メロディがある訳ではなく、しかし音の高低もリズムもぴったり合わせる必要がある。

 彼女達はさくら学院にて、ほぼ常にペアとして存在感を発揮してきた。二人は単純な友人、パートナーという関係よりも戦友に近い絆を共有しているのだろう。
 後に、ある振り付けについて「二人がぴったりと合わせるのは大変ではないか」と問われると、二人とも「でも何となく合うんだよね」と共に答えていたのが印象的だった。勿論合わせようという意識はあろうが、鏡を前にレッスンを受けてきた時間は他の誰よりも長く、無理なく合わせる様になった事が、歌や合の手でもナチュラルに出来る様になってきていたのだ(決して最初から努力せずにそうなったのではない事が、次の曲で判るのだが)。
 しかも、二人は小柄である事くらいが身体的共通点で、表情も表現するものも、更に声質も異なるタイプだ。その二人がソウル・ツインズの様にぴったりと合わせる事でリッチな声になる。これが計算された采配で生まれたものとは、私には信じられないのだが。

 しかし、合の手というものにはそうそう手本になるものがない。ハロプロ系の楽曲にそういうものはあったかもしれないが、当時の彼女達ほど幼い声音、台詞があったとは思えない。

 いや、一つあったのだ。
 勿論、あの可憐Girl's「Over The Future」だ。
 あの歌には、メロではなく声を揃えたチア・コールがあったではないか。

 菊地最愛と水野由結は、さくら学院入校時のオーディション映像で、あの曲を踊っていた。あの映像がもしかしたら、最初に二人がペアを組んだ場面であったのかもしれない。

 

 この曲は、生歌ライヴ版でのコーラス・アレンジが音源と違い、
「リンリンリン」(YUIMETAL+MOAMETAL)
「おっはよーWake Up、お・ね・がいちょー待ってちょー待って」(SU-METAL)
「バ・タ・バ・タモーニング」(YUIMETAL+MOAMETAL)

 とパート分けして歌われていて、一層楽しい歌になった。
 また神バンドの演奏、特にProTools出しのエクステンドされた前奏から、ハイハットのカウントで畳み掛けるイントロにはいつも唸らされる。ライヴに於けバンド・サウンドのカッコ良さが凝縮されている。

 BABYMETAL楽曲の初期~中期に約束事として挿入されていったYUIMETAL+MOAMETALの合の手は、曲毎にヴァリエーションを変えつつ踏襲されていく。しかしステージで実際に歌う様になってからは、より音楽的なパートを担いつつある様だし、それを個人的には期待している。

 そして振り返ると、SU-METALが屈託無く笑顔で歌うのはこの曲だけだ。中元すず香の実像に最も近いのがこの曲なのかもしれない。もう5年もこの曲を歌い続けている事になるが、今後も是非歌い続けて欲しいと願う。

 2回に分けてグダグダと書いたが、一言でまとめるなら「可愛い曲です。」で、それ以外はオマケである。

2015年2月23日 (月)

アイドル最前線2015

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「光を継ぐために」の編集者、洋泉社・小沢涼子さん入魂のアイドル本「アイドル最前線2015」が発売に。Berryz工房大特集号。  さくら学院シンパ的には野津友那乃の単独ロングインタヴュウが嬉しい。期待を裏切らないインタヴュウだった(笑)。

2015年2月22日 (日)

ポピュラー音楽とダンス表現

 なかなか「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の振り付けに切り込めなかったのは、音楽と違いダンスというものについて、私は完全にアウトサイダーだからであり、下調べをしない限り、考えを文章にすら出来なかったからだ。
 まだ調べは尽くせていないのだが、見切りで先に進もうと思う。
 だがその前に、まずはBABYMETAL以前の話から。

 

 MTV登場後、ポップ/ロックのアーティストは音楽を身体でも表現する必要が生じる様になった。
 それ以前、例えばソウル・ミュージックの踊り方などについては「ソウル・トレイン」というTVショウのクリップを目にするくらいだった。
 この初期MV(Music Video)で最も大きな存在になった一人は、間違いなくマイケル・ジャクソンだ。「ビリー・ジーン」でムーン・ウォークを披露し、それまでの黒人ダンサーとは異質なムーヴメントで自分自身の音楽を視覚化した。

「スリラー」は、プロローグのドラマ部を含めると10分以上もある。「狼男アメリカン」の監督、ジョン・ランディスがリック・ベイカーの特殊メイクをふんだんに導入して作り上げたMVのクラシックだ。日本では確か「ベストヒットUSA」で特別放映されたと思う。
 ややしてVHSのビデオソフトが発売され(メイキングがついていたから買ったが、シングルのVHSソフトというのは空前絶後だった)、随分と見返し研究した。
 自主映画を作っていた我々の様な世代にとって、長編ドラマではない新たな表現方法としてのMVは新たなモデルとして啓示的であった。
 しかし、マイケル・ジャクソンの様なダンスは、誰も踊れないのだという当たり前の事に気づかされる。

 マイケルは「ついていない音にも振りをつける」。その事を最初に私が気づいたのが「スリラー」だ。コーラスの「'Cause this is thriller, thriller night」を歌った直後、小節終わりの3拍目裏から8分で二回、素早い振り付けを必ず入れている。ここには何も音がついていない。しかしダンスによって、まるでドラムのフィルの様な効果が生まれているのだ。音源+ダンス映像によって、初めて楽曲が完成しているかの様に見えた。

 Perfumeのメンバーがかつてのインタヴュウで、MIKIKOの振り付けの特徴の一つとして、「ついていない音にも振りをつける」という事を挙げていた。
 PerfumeとそのメンターでもあるMIKIKOについてはまた改める。

 同時期、マドンナがデビュウした。
 それ以前はバンドでドラマーもしていただけあり、マドンナは自分のデビュウ盤もレジー・スミスのプロデュースが古臭いと思うや、知り合いのDJを呼んできてポリッシュする程、セルフ・プロデュース能力に優れていた。
 彼女がブレイクしたのは「Like A Virgin」からだが、ファースト「Burning Up」の楽曲の方が私は好みだった。
 最初の大掛かりなツァー(Virgin Tour)で、彼女は男性二人のダンサー兼コーラスだけをパートナーにしていた。メインのアーティスト+両サイドにダンサーという構図はミニマルだが、シンメトリカルな振り付けが独特のタイム感で表現され魅力的だった。

 今見直すと、特にBABYMETALのそれと見比べてしまえば随分ともっさりとした動きではある。しかし当時としては、単純な繰り返しルーティンではなく、小節後半を強調した振り付けが斬新に見えたものだった。三人がシンクロしたり、一人対二人のズレを強調したり、ポジションが移動したりと、BABYMETALの振り付けのルーツ的なものだとは見る事が出来る。
 これは私の類推だが、マドンナの発想には、ミュージカル映画「雨に唄えば」の、ジーン・ケリー+デビー・レイノルズ+ドナルド・オコナーという男女男の並びがイメージ・ソースに在ったのではないだろうか(後にはやはりモンロー映画を盛大にリメイクしているし)。

 当然の様に、このマドンナのアプローチを日本のアイドル歌謡曲界はしきりに模倣した。麻生真美子&キャプテンは最初からこういう構成だったし(両脇は女性だが)、私が「なかなか」と思っていたのは麻田華子の「Doubt!」で、まさに男性ダンサーとマドンナ的な振りをやっていた(動画を探したがソロで歌うものしか見つからなかった)。


 私は殆どダンスと無縁の仕事をしてきたが、ディレクターだった若い頃、あるモダン・バレエ・ダンサーのプロモーション映像を演出した事があった。今尚、コンテンポラリー・ダンス、モダン・ダンス、モダン・バレエといった領域の区分が私には判ってはいないのだが、メタルか否かという様な恣意的な区分では勿論なく、指導者のルーツによるものだと当時は理解していた。
 その時のダンサーは非常にラジカルで、当時先端的だった Art of Noiseの楽曲を多用し、メカニカルな動きを織り交ぜた独特の舞台を草月ホールで上演していた。私は複数キャメラで収録した素材を編集しただけに過ぎない。

 ディレクターだった私がいきなり書く事になったドラマ脚本が、デビュウ作の「邪願霊」で、この作品については私とアイドルとの関わりの節目というか、訣別の始まりでもあり、これから幾度か触れるかもしれない(書かないで終わるかもしれない)。
 この作品で、アイドルのヒロイン(本当のヒロインはリポーターの方なのだが)が歌う楽曲は、私と成城軽音の仲間で作成し、プロモビデオの振り付けまで私がやった。いや、誰かに頼む予算が無かったからに過ぎなかったのだが。
 まあ全部ではなくサビの一部だけなのだけれど、ともあれ歌の振り付けという事については、私の人生である瞬間だけ、最重要なものになった。

 YUIバンギャー!!に続いてMOAバンギャー!!リマスター動画がアップされた。
 MOAMETALのイヤー・キャンディな歌声についても早く書きたいなぁ。


2015年2月21日 (土)

My Graduation Toss

 なぜNiftyのココログでブログをやっているかと言えば、安定しているんじゃないかという漠然とした理由でしかなくて、いざやり始めるとあまりの融通の利かなさには驚く程だ。デフォルトでのカスタマイズは殆ど出来ず。せめてタイトル部分だけでも自前で作りたかったが、味も素っ気もないテンプレートで仕方なくやっている。
 ネットには素敵なGIFも一杯あるのに、画像は1MBまでしかアップロード出来ないという。


「I am~?」と問われれば、
「りのーん」と(頭の中で)答えるくらいのさくら学院シンパサイザーになった私だが、まだ父兄(ファン)という自覚を得る踏ん切りがつかない。

 SU-METALはさくら学院時代にどういう存在だったのかを知ろうと、ネットに上がっている動画を見ていけば、すぐに彼女の卒業年次の「My Graduation Toss」を歌う動画を見ることになる。
 議論の余地もない名曲だ。この曲はさくら学院という存在を認識していなかった私でも、以前に聴いた覚えがあった。
 2012年度卒業式、これで最後なのだという感慨で下級生達が次々と顔を崩していく中で、中元すず香は「ステージ上では涙を見せない」という決意の許、笑顔で歌いきるのだけれど、でも歌声は全く平静ではないので、これを見せられたら誰だって泣いてしまうのだ。

 でも、この私の涙は、あくまで雰囲気に感化されたものでしかない。何故彼女達がそこまで気持ちを高めているのか、それまでに彼女達と父兄が見てきた歴史を、私は殆ど知らないのだから。

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 三人姉妹の末娘だという中元すず香は地方出身という事もあり、さくら学院発足当初は控えめな存在だった様だ。しかしすぐに仲良くなるのだが、決してみんなを引っ張るタイプの性格ではなかった。
 発足時の生徒会長、武藤彩未は、断片的に見た動画でも他の生徒らを牽引するリーダーシップをしっかりとっていた事が判る。その彼女達が卒業すると、中元すず香が生徒会長にならざるを得なくなる。その時の中3は彼女だけだったからだ。
 当初、全くリーダーシップを発揮出来なかった彼女は、武藤彩未らに相談もした様だ。
 そしてさくら学院にとってライバルであり、同時期に活動する同胞でもある他のアイドルグループ達と同じステージに立つ、毎年恒例のTOKYO IDOL FESTIVAL 2012直前、緩みきっていた学院生達に厳しい言葉で檄を飛ばす。以降幾度も彼女自身によって語られたエピソードだ。

 さくら学院は、オーディション等を経て転入が決まると、その中で選抜といった内部競争は(あまり)ない(センターを狙う個人的なモチベーションを持つ者はいる様だが)
 管理もしっかりしている一方で、生徒同士の互助的な関係が築かれ、理想的な育成機関だと思える。
 何より、中学卒業と同時にさくら学院も卒業するというシステムが良いのだろう。
 時限的な活動期間はある意味で無情だが、悔いを残さずにやろうという意欲は必然的に高められる筈だ。

 BABYMETALというユニットが組まれてから暫くの間、SU-METALはYUIMETALとMOAMETALをリードする役割も担う事になる。ステージの上では三人だけだったのだから。本来は末っ子体質だった中元すず香がそれを成せたのは、言うまでも無くさくら学院の生徒会長という大役を、BABYMETALと平行して一年務めていた事が大きかったに違いない。
 BABYMETALが部活動から課外活動になってからは、YUIMETALとMOAMETALはより自発的に参加していく様になった。
 やはりBABYMETALの成立過程には、様々に偶発的ファクターも絡んでいて面白い。


 父兄になったら、毎年毎年卒業式で泣いてしまう。ただでさえ歳をとる毎に涙腺が緩くなっているのに、正直これはたまらない。
 もうすぐ、過去誰よりも長く在学してきた、菊地最愛と水野由結も卒業してしまう。これは正直見届けたい気持ちもあるのだが……、ライヴ・ビューイング……、うーん……。



2015年2月20日 (金)

Evanescence

私達はオンリーワンを目指している」とSU-METALは言う。
 アイドル、アーティストには頻繁に問われる「何(誰)を目指しているのか」という質問に対する、いつもの答えだ。
 でもBABYMETALは、誕生した時点で既にしてワン・アンド・オンリーだった。
 どこまで自分達が進化出来るか、という意味だと受け取るべきなのだろう。

 SU-METALはヴォーカリストとしてまだまだ完成形すらも見えない。さくら学院自体がそうであった様に、BABYMETALは歌唱スタイルについて鋳型にはめようとする事は一切しなかった。
 メタル、ロックの歌唱法が強いられる事は無かったし、アイドル歌謡曲らしい歌い方についても然りだった(『ド・キ・ド・キ☆モーニング』は別として)。

 これは素晴らしい導き方だったと思うけれど、中元すず香にとってロールモデル、参照モデルが全く無いというのも、それはそれで茨の道だろう。しかし彼女とBABYMETALはそういう選択をした。

 メタルを女性がストレートな声で歌うという前例がない訳では無い。近年であればWithin Temptationというバンドが長寿であるが、一瞬だけ、もっと知られた存在があった。


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 Evanescenceが登場した時、私がまだCDショップに時折通っていた頃で、店頭で相当プッシュされていたのがこのバンドだった。
 あまりにも流行った反動からなのか、今はもう誰も言及しないし誰も覚えてもいないかの様に感じられる。

 ゴシック的なムードは持ちつつ、サウンドはデジタル・ミクスチャーで、様々な要素の巧い抽出をした作りだった。それにエイミー・リーのクリーンな声で哀切を込めた歌が乗る。
 ジャケットの写真は華奢な女性をイメージさせたが、PVやライヴ映像を見ると、彼女は意外と骨太な感じで、確かにそういう声ではあった。



 もの凄く売れたのだが、ファースト・ツァーの真っ最中に、楽曲を手掛けていたギタリスト、ベン・ムーディが脱退してしまう。
 すぐに新たなギタリストを補充したのだが、1枚目の様な才能を発揮する事は無かった。
 数年前に3枚目のアルバムを出して、そこそこ売れてはいたが、存在感はもう失われていた。

 Evanescenceは次々とメンバーが辞め、残りも解雇していき全員入れ替わった。
 最初に抜けたベン・ムーディは元メンバー達を集め、「アメリカン・アイドル」で優勝した女性をヴォーカルに迎えて We Are The Fallenというバンドを結成する。「Fallen」はEvanescenceのファースト・アルバム・タイトルで、まるで自分達こそが本物であるという誇示にも見える。サウンドもまさに同じ路線だったが、あまり話題にもならなかった。
 一応は「アイドルが歌うメタル」であったが、件のヴォーカリストはエイミーよりも更に骨太型の姉御的な風貌であった。


 Evanescenceには個人的な思い出もある。
 古賀新一原作のマンガ「エコエコアザラク」は幾度も映画やテレビシリーズになったが、私は最初のテレビシリーズ、佐伯日菜子版(1997)の脚本を書いていた。この佐伯版「黒井ミサ」は、「エコエコ」映像化史上最も人気があった。

 数年後、新たなキャストで「エコエコ」をまたもドラマにする企画が立てられ、「エコエコアザラク -眼-」(2004)の脚本も手掛けたが、同じ様なものを再生産したくなかった私は、黒井ミサをもっと若く、中学生にまで年齢を下げようと主張した。少年チャンピオンに連載されていた初期の「エコエコ」では、ミサは中学生だったのだ。また、原作者と会ったとき、ミサのモデルは子役時代の美空ひばりだったという話を聞いていた事も、この発想の元になっていた。「この子ならいける」という若い女優も製作プロデューサーと見つけていた。

 そういう想定で第一話の脚本を書いたのだが、スポンサーの意向でもっと大人っぽい、上野なつひがミサ役に決まる。
 この新シリーズで如何に上野なつひ版黒井ミサを新鮮にアピール出来るかと悩んだ。

 普通脚本家が口出しをする事柄ではないのだが、宣伝写真のスチル撮影の時、メイク担当の人に私はEvanescenceの「Fallen」(2003)のCDを渡して、ジャケット写真のゴス・メイクも試してみて欲しいと依頼した。
 ゴス・ファッションは、何年か周期で流行するが、日本の町中(原宿界隈以外)で見掛ける事は殆どない。
 黒井ミサが毎回その顔で出てくる設定にするつもりは全く無かったが、ここぞというところでそうしたルックの変更があると、新しいミサが作れるのではないかと思ったのだ。

 本編でも一話分、そういうメイクで登場する回があるが、それはその回の特例という扱いになった。上野なつひは、無理にエキセントリックな芝居をせず、視聴者が共感出来る様な新しいミサ像を自分で創り出してくれた。


 BABYMETALは、聖飢魔IIの様なメイクはしなかったが、××METALという別名でステージに立ち、その時には神が憑依しているのでMCはしない、という事になっている。
 あくまでそれらは「設定」だという事が、BABYMETALと観客との間では合意されている。
 あの髪型、あの衣装だから、普段の自分では出来そうもない事もやってのけられる。そういう効果もあの「設定」にはあった。
 ゴスまで行かなくとも、もっとメイクをキツめにする選択肢もあった筈だが、そこは「やはりアイドル」という抑制が働いた事を、私を含め多くのファンは感謝する他は無い。




 この季節はほぼずっと風邪をひいているのだが、今日は熱も少し出て動けずだった。うーむ、仕事が……。
 かつて「エコエコ」などで組んだ清水厚監督と、久々に組めそうで楽しみ。

2015年2月19日 (木)

Made In Japan (1972)

 有り難い事に、コメント欄には記事の誤記述への指摘や、フォロー的な情報を書き込んで下さっている。コメントを書かない方も、是非コメント欄も併せて読んで戴きたい。

 今日のエントリは最後の行まで、BABYMETALは殆ど関係無い話になるのだが――、

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 先般のWOWOWでのLOUD PARK再放送は、ハードロック特集の意味だった様で幾つかのライヴも放送された。
 DEEP PURPLE(以下パープル/平たく発音)の1983年に2期メンバーが再集結した Perfect Stranger」ツァーの映像を初めて観た。ライヴCDは発売時に聴いていて、まあ演奏は緩いのだけどよく集まったなぁと、悪い印象ではなかった。
 ライヴ映像の冒頭は記者会見の場面で、ロジャー・グローバーが「俺達はヘヴィメタルバンドじゃないよ。カントリー&ウェスタンかな」とつまらないギャグを言っているのだが、恐らく記者から「貴方たちはメタルバンドですが」的な質問があったのだろう。それだけヘヴィメタルかそうでないかの判定はグレー領域にあるのだ。

 それはともかく、演奏が始まった。
 イアン・ギランがよく声が出ているなぁ、などと思っている内に(あれほど罵り合っていた)リッチー・ブラックモアと微笑み合ったり、ギターとヴォーカルでフレーズの真似合いを始めるわ、うふふ、きゃっきゃっという世にも無気味な光景が続いて、私は再生を止め録画を消した。
 え? そういう仲なの? じゃあ1973年に散々反目し合って、日本公演が終わったその直後に脱退したのは、そういう関係がこじれたって事だったの?

 いやまあ、リッチーは随分前に奥さん迎えているし違うんだろうけど、しかし突如自分の中に腐な要素を無理矢理見つけ出された様な居心地の悪さを感じた。

 私にとってパープルは不動の3期推しだ。デヴィッド・カヴァーデイルとグレン・ヒューズという優れたヴォーカリストが並んでいたのだから。と言ってもアルバムは「BURN」1枚くらいしか残せなかったが(Stormbringerは論外だろう)、California Jamというフェスでの伝説的なライヴを残した。私はブート(海賊版)を集める趣味を持たなかったが、California Jamのアナログ盤は愛聴したものだった。後年CDで正規盤も発売された。

 WOWOW特集放送のハイライトは、パープルの伝説的ライヴアルバム「Made In Japan」(日本盤は Live In Japan)の1時間のドキュメンタリだった。
 1972年の大阪フェスティバルホールと武道館でのライヴは当初、日本限定で発売する為に録音されていた。しかし演奏内容が良かったので世界でも発売したところ、これが特にアメリカで売れてパープルはやっと認められる存在になった。
 この時の映像が残っていたのには驚いた。と言ってもモノクロ16mmで10分にも満たないフッテージではあったが。
 当時の映像に加え、メンバーへのインタヴュウなどで構成されている。

 この時のライヴは確かに今見ても熱い。なかなかロックのライヴでインタープレイというものは見られないものだが、リッチーは好きなだけソロ弾く。もういいやと思ったらドラムのイアン・ペイスに向かってだるそうに手を挙げる。
 ジョン・ロードとのソロ掛け合いも、回数は決めていない様だ。これだけのテンションで毎回公演していたら、それは疲弊もするだろうと思った。

 ドキュメンタリとしては、「Made In Japan」に若い頃に触れていたという他のアーティストへのインタヴュウもあって、デイヴ・グロールやメタリカのラーズ・ウルリッヒがインタヴューイーとして出演している。
 おしなべて言えば「影響を受けた」という話にはなるのだが、ラーズの答え方が非常に心に残った。

「(あの時のパープルの演奏は)……、凄まじいエネルギーだった」

 エネルギー?
 判ると言えば判るけれど、少し凡庸な表現だと最初に思った。
 しかし、「良い悪い」でも「巧い下手」でもなく、エネルギーを受け取ったという表現は、私がずっと探していた、BABYMETALについての疑問に対する答えの一つなのかもしれないと思った。

2015年2月18日 (水)

LOUD PARK 13

 WOWOWで先日、LOUD PARK 13、14の再放送があった。4日分のダイジェストで結構な長さだった為、BABYMETAL以外は飛ばし飛ばし観た。

 BABYMETALにとって最もアウェイ感が大きかったステージの一つが、このLOUD PARK 13ではないだろうか。地方のフェスで観客が全然乗ってこないという事は当然あったとも思うが、硬派でガチのLOUD PARKの関門は大きかった筈だ。

 2013年にももいろクローバーZがオズフェストに出演する時の事は覚えている。一般芸能ニュースでも大きく報じられていた。全くジャンルの異なるミュージシャンが場違いに出てきたら、それは拒否されても仕方ないと思うし、当時の私も漠然とそう考えていた。
 ところがそのイベントで、ももクロは私も好きな「人間椅子」の和嶋慎治と、BABYMETALのソングライターでもあるNARASAKIをゲスト・プレイヤーに招くという、秀逸な打開策を打ってきた。
 私は感心したのだけれど、でもその時のパフォーマンスを観たいとまでは思わなかった。

 LOUD PARKにBABYMETALの出演が決まると、公式Twitter, Facebookは荒れに荒れたという。致し方なかったと思う。
 しかしこの2013年、BABYMETALは修行ツァーとも称された五月革命シリーズやSUMMER SONIC 東京・大阪を既に経ていた。大阪舞浜では気温35度という過酷な状況で、BABYMETALの三人もやり抜けるかギリギリのコンディションだったという。YUIMETALが「初めてステージ脇で水を被った」という程だ。
 それだけの経験値を積んで尚、LOUD PARKのステージの前にはプレッシャーという急峻な階段があった様だ。

 WOWOWで放送されたのは3曲。「BABYMETAL DEATH」「メギツネ」「ヘドバンギャー!!」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」。
 早くから三人は相当の汗を顔に浮かべていた。パフォーマンスに何ら危なげもない。しかし、何か余裕が感じられなかった。
 ステージ前はファンが詰めかけており、いつものスタイルで応援している。
 しかし、広いアリーナの後方をWOWOWのキャメラはあまり写さない。
 腕を上げている観客は、前1/4くらいまでの様に見えた。

「イジメ」のプレリュードを歌った後、SU-METALは見た事もない程にしっかりとMOAMETAL、YUIMETALにアイコンタクトを図った。心の声で、何かをはっきり伝えている様に見えた。
 勿論これは私の思い込みだけれど、この時の「イジメ」へ込められた気迫はいつもに増して見えた。やれるだけやってやれ。そういう決意があったかの様に。

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 エンディングが終わると、最後方近くのキャメラがステージを捉えた。目潰しライトが観客を照らし出す。
 全員ではないにしても、後方の観客達の多くが腕を、キツネを上げている。

 劇的という程では無いかもしれないが、前半よりも遥かに多くの観客の心を奪っているのは明らかだった。

 このTweetのログを読むと、何となく雰囲気は判る。皆が一様に絶賛ではないところもリアルだ。

 またこのブログの記事を読んでからこの記事を読むと、LOUD PARK 13でのパフォーマンスは、ただのフェス参加だけでない何かを、BABYMETALが獲得したモニュメンタルなものだったのかもしれないと思う。
※放送された演目を誤記していました。ご指摘ありがとうございました。


 13,14を通して観たので、どちらの開催かもはっきり覚えていないけれど、CrossfaithとAA=(「ギミチョコ!!」コンポーザーのバンド)のステージを初めてまともに観て、外国勢に全く引けを取らないパワフルさに感銘を受けた。
 マイケル・アモット(ARCH ENEMY, Spiritual Beggars)、ヴィヴィアン・キャンベル(DIOトリビュート)の演奏も良かった。あ、Dragonforceはなるほど良いバンドだなと思った(私は基本的にスピード系メタルには冷淡なのだけれど)。

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 しかし私が一番楽しんだのは、Thunderだった。いや、90年代に大好きだったのだ。しかし一度解散してしまい、その後はよく知らなかったのだが、いつのまにか幾度もリユニオンしていた。ポップ性のあるブルーズ・ロックで、全くメタルではない。
 メンバーも殆ど入れ替わっておらず、皆良い体格のおっさんになっていて、でも演奏力も歌の強さも全く衰えていない。無理にラウドにする必要もなく、リラックスして本当に演奏を楽しんでいた。
 近年これほど重いスネアのドラムは久しく聴いていなかった(2拍4拍のスネアをジャストよりも若干遅らせて叩く=アフタービート)。ロックドラムはこれでしょうよと嬉しくなる。
 キャメラが抜いたピット前方の観客には私と同世代が目立っており、みんな笑顔でステージを見つめていた。素敵じゃないか。



 最高です。

2015年2月17日 (火)

何故BABYMETALは観客を煽るのか

 まとまった文章をアップ出来るのは、まだちょっと先になってしまいます。
 書いて戴いているコメントに個別に返信する事は不可能になってしまい、申し訳ないです。
 仕事の息抜きに読ませて戴き、励みにしています。
 旧知の方、友人、同業者にまで見つかって些か恥ずかしさもあるけれど、まあ開き直ってます。

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 コメント欄でも紹介された方がいたが、私より少し早い時期に「BABYMETALって なんだろう」という考察ブログを始められていた方がいる。
 雑誌のインタヴュウ・コメントをきちんと出典として抜き出し、その行間を様々なリソースで埋めているので、ヴィジュアル的にも判り易い。
 私の恣意的な引用しかしない、ひねた解釈とはまた違う、真摯な文章を是非読んで戴きたい。




 ところで、これを書くと失望する人は多いと覚悟するのだが、私は今のところ、BABYMETALのライヴに行きたいとは思っていない。
 ブリクストンの様なハコの2階席からなら、是非観てみたいと思うのだが、モッシュッシュ・ピットには到底近づけない。
 私の肉体は実年齢以上に弱体化してしまった。自分が演奏するライヴでも、椅子に座ってしか弾けない。まるで晩年のジョニー・ウィンターの如しだ。

 モッシュ・ピットの中に居なければ判らない事はあるに違いない。しかし、映像を通してだけでも私には、BABYMETALの魅力は十二分に感じ取れていると思っていた。

 プロデューサーKOBA-METALは、「あくまでオール・スタンディング(の会場)に拘っている」と述べている。
 これを読んだ時、拘りは判るけれど、「そこでわざわざ間口を狭めてやしないか」と率直に思ったのは、私自身が行けるのかシミュレーションをして「無理」と思っていたからだ。
 また、オール・スタンディングで観衆が熱狂していたら、ステージ上のパフォーマーの一挙手一投足を全て見る事は出来ないだろうし、「騒げた」という自己満足性が出てくるのではないかという疑念も抱いた。
 そもそも、三人がそれを望むとも思えなかったのだ。

 しかし、BABYMETALは冷静に観察すべき存在ではなかった。
 彼女達が、彼女達の体力の限界を幾度も超えて来られたのは何故かを考え続ける内に判ったのだ。
 あのテンションのパフォーマンスを2,3曲ならまだしも、フェスティバルなら休憩無しで5曲。ワンマンも幕間紙芝居の尺はどんどんと減り、90分近くも続けられるのは、相応の成功報酬があるからに違いない。

 観客の熱狂ぶりを見る事が、BABYMETALの成功報酬なのだ。

 Wall Of Deathという言葉も知らなかった彼女達が、自分達のライヴで初めてそれが起こるのを見た時、どれだけ昂揚したかは想像出来る。
 なぜあれほどまでに、特にMOAMETALは観客を煽る事に全霊を傾けるのか、やっと理解出来た気がした。
(Wall Of Deathなどの、観衆の自発的運動についてはまたエントリを改める)
 彼女達に激烈なパフォーマンスをして貰う為には、観客はダメ・ジャンプをし、キツネを掲げ、土下座ヘドバンをし、「キエロ」とか「今何時?」とか叫び(曲によってはフリコピもして)、クライマックスにはピットの中央に空間を広げなくてはならない。それはMUSTなのだ。
 そしてこれは、正当なる相互関係に他ならない。

 そうしたパフォーマーと観衆との関係は、映像でも、特にファンカムにはリアルに記録される。BABYMETALのパフォーマンスが、完全にガチであると思い知らされる。

 音楽と映像が寄り添う様になったのはこの30年程の事だろう。テレビという媒体が緩やかに衰退し、ストリーミング放送などその形態は多様化し、トレンドは日々の様に移ろう。
 そんな中で、ライヴの粉飾の無い映像記録というプリミティヴな媒体が、何よりも存在感を放っていると私には思える。
 BABYMETALのドラッグレスな呪術的儀式であるライヴ・パフォーマンスこそが、多分今の音楽シーンでは何よりもリアルな「まこと」となっているのだ。

 なので、BABYMETALは今後もオール・スタンディングを貫くべきだと思う様になった。
 ライヴに行ける人はどうか、精一杯にBABYMETALに成功報酬を払って欲しいと、ひっそりと願う。

2015年2月16日 (月)

YUIバンギャー!!

 やっと一旦仕事が終わったのだけれど、4日後に次の〆切りが……。

 何しろこれまでの人生で、同じアーティストの1枚のスタジオ盤、2枚のライヴ盤ばかりをここまで集中的に聴き続けた事は無かったので、一曲毎に考えてきた事は数多く、それらを全部書いていたら、例え趣味のブログとしても迷惑な話だと反省した。
 依頼原稿というのは当然文字数に制約があり、その中できちんと完結させる事が求められる。ブログではそういうタガが外れるのだが、幾ら好きな事を書くにしても、文章を書けば身体的負担もあるのだし。
 そうは言ってもまたきっとアホの様に長文を書くのだろうが。

 さくら学院の2014年度卒業式が、3月にNHKホールで行われるのだが、当然の様にチケットは完売していた。そこで全国の映画館でライヴ・ヴューイングが行われる事になって驚いている。
 BABYMETALが昨年行ったイギリスでの一回目のワンマン・ライヴでもライヴ・ヴューイングが行われたのだけれど、今度のは会場は小さいところばかりとは言え全国同時開催なのだ。
 遠隔地の父兄(さくら学院では、ファンをこう呼ぶ)にとっては、有り難いと思う人もいると思う。普通ならストリーミング放送などをするところを、こうしてビジネスにするというのも、新しいスキームとなっていくのかもしれない。

 BABYMETALの三人が、何故あれほど観客に対して強いのか。
 アウェイなフェスティバルでも、外国人ばかりの観衆を前にしても、何故物怖じする気持ちを見せず、観客を煽り、熱狂させ、修練してきた全てを出し切る様なステージングを実現してきたのか。
 私にはこの事が最大級の疑問の一つとしてあり続けてきた。

 どうやらこれについては、さくら学院という彼女達のホームの環境が大きかったのではないかと、今は思う様になった。
 しかし、では他のアイドルと何が決定的に違うのかは、今の私にはまだ判っていない。
 一つ間違いない事は、メンバーを選出する目の確かさはあるだろう。
 また、どうもさくら学院のライヴへの姿勢というのか、どういう目的意識でやっているのかがキーになる様な気はしている。

 私のブログはしかし、真相を究明する目的を持っていない。
 プロデューサーがこういう意図だった、アーティストの意識はこうだったと後で証言があったとしても、それで説明がつく事であれば私は関心を持たない。それ以外の解釈を現象から読もうとする場合もあるだろう。
 ただ、思考する為の材料は可能な限り正しく受け取ろうと努力している。オンラインで読めるものを全て通読する事は無理だとしても、重要なものはブックマークしている(これも収拾がつかない分量になってしまったが)。
 近日発行の「ヘドバン」誌では、メールでのKOBA-METALインタヴュウが掲載される様で、直近のコメントは楽しみだ。


 昨年のフランス公演は、YUIMETALの聖誕祭だった(MOAMETAL聖誕祭はドイツにて)。
「ヘドバンギャー!!」の後半でYUIMETALが初めてリードヴォーカルをとるという歴史的な出来事があったのだが、そのファンカムを再編集し、音声を可能な限り補正した動画が昨日アップされた。
 YUIMETALもMOAMETALも、その堂々たる歌いっぷりを初めてブレブレの動画で見た時には、まあちょっと表現しようのない衝撃を受けた。
 YUIMETALは流石に緊張したのか、低く音を伸ばすところで音程を失いかけたけれど(いやあそこは音程とり難いと思うしあの爆音の中だし)、最後のスクリームはSU-METALを凌ぐ迫力だった(誇張ではなく)。改めてもの凄いパフォーマンスだったと思わされる。水野由結とは完全に別人格である。ドイツのMOAMETALにもだが、観客は熱狂していた。
 また、YUIMETAL、MOAMETALそれぞれが抜けたパートをSU-METALは両方とも見事に勤め上げ、献身的なダンスがまた見所でもある。



2015年2月15日 (日)

ちょっと更新

 BABYMETALに浸りたい気持ちを抑えて、仕事の文章を書いています。武藤彩未のニコ生も見られませんでした(泣)。「パラレルワールド」はいい曲だなぁ。
 次回更新は月曜深夜になると思います。

 同世代の方ばかりか、先輩の方からもコメントを戴き恐縮です。
 BABYMETALの出現は、我々世代からすると事件であり衝撃です。良い悪いでは文句無く良い。というか凄いとしか思えない。でもどうそれを自己に納得させ得るのか。
 あまりにもこれまでのポピュラー・ミュージックの価値観の枠では捉えきれない、何らかの現象が起きている気がしてなりません。

 私のブログは、言わばそうした葛藤を何とか自己の中で納得させる為に、言葉を弄してその正体を見出そうという足掻きです。
 私はBABYMETALを「ネタから出たまこと」だと捉えていますが、BABYMETALからネタ性が消えた訳では決してありません(紙芝居は減ってきた様だけど)。
 今尚BABYMETALは高度なネタ(=洒落)を真摯にやり続けている。その事にも感銘を受けます。

 お判りとは思いますが、このブログは真面目に考えて書いているけれど、全体的にはネタだと解釈して戴き、「なんでそんなに理屈で考えるかな」と笑って読んで戴けると幸いです。

 

「光を継ぐために」を読んで戴いた方々には深く御礼を。また、後書きに書いた事について、いち早く感想をくれた人がいて、このブログを始めていて良かったと思いました。



2015年2月12日 (木)

訂正とお詫び

 MOAMETALの苗字をずっと誤記していました。全記事を修正しました。お詫びします。
 ご指摘戴いた方、ありがとうございました。

 多くのコメントを戴き、ありがとうございました。
 ちょっと週末にかけて鉄火場になるので、個々のコメントがしばらく出来ません。申し訳ないです。

 ついでと言っては何ですが、本日私の新しい本が出版されました。
光を継ぐために ウルトラマンティガ』(洋泉社)

 

Tiga

 昨年、ブルーレイが発売されましたが、それに合わせての企画がちょっとばかり遅れて今の発売になりました。

 ティガに関して、シナリオを含めた本というのは殆ど実現不可能だったのですが、今回は洋泉社がとても尽力してくれたのです。何が困難だったかは、ここでも書けないのですが。
 しかしこの本には、今の私のメッセージをしっかり詰める事が出来ました。

 よろしければ是非。

2015年2月11日 (水)

『ド・キ・ド・キ☆モーニング』考 1

 BABYMETALの持ちプログラムについて論考していくシリーズの1回目は、やはりデビュウ曲から始めるべきだろう。
 ニワカの知ったかで書くので、誤謬や思い込みなどが多い事は予めお断りしておく。このシリーズだけは後で改訂版を書く必要があるかもしれないと思っている。
 楽曲の歌詞全体は、曲名+歌詞で検索されたい。
 やはり初めの曲であり、包括的な事柄も含めるので、いささか長くなる。

Doki

 初リリースは2011年4月、『さくら学院 2010年度 ~message~』(トイズファクトリー期)の一曲として。録音自体は2010年10月。
 10月にDVDシングルが発売された(買えない)。
 Credits: 作詞:NAKAMETAL  作曲:のりぞー・村カワ基成、編曲:SOH(Oh! S-D)・村カワ基成



 

 タイトルは80年代ノリだ。
 つまり、この楽曲にはシリアスに受け取らないで欲しいという目配せが予めなされている(しかも歌い出しが「ぱっつんぱっつん前髪ぱっつん」……)。

 アイドルがロックを歌う事は古くから珍しいものではなかった。
 しかしあくまでロック風なのであって、ロックそのものだとは言えなかった。それでも、80年代のアイドル曲では、今剛や松原正樹といったセッション・ミュージシャンの弾くカッコいいリフが聴ける曲は多かった。

 何年か前、たまたまBuono!が歌っているところをテレビで見掛けた。今のアイドルバンドはルックスと演奏力がここまで高いのか、と驚いた(女の子バンドかと誤解していた)。けれど、彼女らの楽曲を聴いてみたいとは思わなかった。

 私は90年代までのアイドル楽曲以外に、ニューミュージックや和製ロック/R&B等の邦楽を聴いてこなかった。
 その理由の1つは、日本のヴォーカリストの多くが踏襲する歌唱法にある。
 洋楽っぽく舌をまるめた発語をしたり、英語っぽく発音したりもそうだし、「ロックはこう歌うもの」という思い込みが延々と時代を下ってまで模倣され続けてきた。
 何より、声帯を引き絞った発声法は聴いていて快くない。そうまでしてハイトーンを出す必要はないのではないかと思っていたのだ。

 BABYMETALの登場以前も以降、ロック、メタルを前面に出すアイドルはいるが、ピンとくるものには出会っていない。
 何故BABYMETALはOKで、他はそうでないのか。
 その理由を考えていくと、出発点のこの曲の存在が決定的なものだったと確信する様になった。

『ギミチョコ!!』や『Catch Me If You Can』などが、私が最初に気に入った楽曲で、『ド・キ・ド・キ☆モーニング』は少し後に初めて聴いた。
 最初の印象は、「ああ、やっぱりデビュウ時は大分アイドル寄りだったんだな」というもので、この路線だけを続けていたら、自分はファンにはならなかったかもしれないと思った。

 確かにこの曲の中後半部は完全に80年代のアイドルソングであり、メタル・ギターはギミック的な在り方だ。
 何しろ冒頭は、「みょんみょんみょん」というシンセサイザーのLFOをいじった、まあ真面目に聴こうという者をいきなりコケさせる様なサウンドで始まるのだ。
 何回か聴いてやっと、「ああこれは音声録音式目覚まし時計の音を模しているのか」と判った。

 しかしすぐさまヘヴィなギターのイントロが始まり、いきなり高音のシャウトが入ると、メインのリフが始まるのだが、これが明らかにダウン・チューニング音だ。私は5弦ベースを持っているのだが、え? Bの5弦(ギターなら7弦)を更に1音下げるチューニングなのかと愕然(35inchスケールでもでろんでろんになる)。アイドルポップスでは有り得ない音が鳴っている。
 しかし聴いている印象に重さを感じないのは、ドラムやベースが打ち込みであるからだ。
 以降の曲は打ち込みであっても生っぽいフレーズになるが、この曲の場合、はなから生っぽさなど全く考慮していない(ので、ライヴ版は一層スリリングになるのだが)。

 Aメロはシンコペーションのリフに乗せたラップだ。いきなり「メタルじゃないないじゃないか」と思わされる。
 合の手の声は幼稚園児か?と失礼ながらに思った。
 そしてリード・ヴォーカルは、いかにも少女期、過度期の、でも何か耳に残る独特な魅力があるな、という印象だった。
 声の魅力? メタル歌謡曲でそれが判るというのは、そもそもおかしい。
 全てでは無いが、メタルのヴォーカルというものは如何に人間離れしたかを競うが如く、圧倒的な個性でバンドの音圧と拮抗するものなのである。
 私はここで「そうか」と気づいた。

 現代のロック/メタルに於けるギターサウンドは、ハイゲインという種類のディストーション・エフェクターで作られる。
 昔からの、アンプで歪ませる事に拘る人もいるのだが、そんな音がいつでもどこでも出せる時代ではない。
 真空管アンプをオーヴァーロードさせて歪ませるギター音は、いきおい音域の上下よりもミドル域が膨らむ。それが「快い」音だというのが60年代以来の有り様だった。
 しかしCDの時代になって、レコーディングもデジタルになり、楽曲自体がハイファイになると、ギターの音像も現代的に変化してきたのだ。
 歪みギターのハイファイ化(と完全に逆説的な言い方になるが)は、それ以外の楽器にも影響を及ぼす。ギターを立てれば立てる程、ベースは聞こえなくなり、キーボードがある場合では高音域で音がぶつかり、どちらかを調整する必要が出てくる。
 最も影響があるのはしかし、当然ながらヴォーカルだ。

 レンジが拡大したギターに拮抗し存在感を出すには、普通に歌っていては埋もれるのだ。
 Judas Priestのロブ・ハルフォードは「ステージの上じゃろくに自分の声が聞こえないんだ。だからハイトーンでシャウトする様になった」と、「Metal Evolution」で述べている。
 現代のメタルで普遍化したデスヴォイス、スクリーモ、グロウルといったサブジャンルや唱法は、そういう歌い方をしなければ伝えられないが故の選択ではあろうが、ある意味ではヴォーカルを立たせる手段でもあるのだ。
 故・ロニー・ジェイムズ・ディオの様に、自在に声が伸び、声を自由に操れるヴォーカリストは、そうそういない。
 高い声が出せるヴォーカリストが、額に血管を浮かべて絞り出す声だけがメタルサウンドの表現手段だとすれば、ジャンルとしては閉塞するしかない。

 しかし、では若い女の子の澄んだ声ならばどうか。
 プロデューサーKOBA-METALの最初の発想はそれだったのではないか。インタヴュウでも「メタル少女合唱団っていうのは出来ないだろうか」というアイディアが、そもそもの発想のオリジンにあった事を話している。
 SU-METALのリード・ヴォーカル、YUIMETAL+MOAMETALの合の手とコーラスは、モダンなハイゲイン・ギターとはまったくぶつからず、むしろ歌声が3Dの様に浮き上がる効果も生んでいるではないか。

 しかし、この私の初期の考えは間違いだったと今は思っている。
 メタルをやりたいプロデューサーなら、メタルバンドを発掘するなりプロモートすればいい。
 そうではなく、可憐Girl'sがあって、そこから解き放たれた中元すず香を、どう世界にアピールすれば良いのか、それしか最初には無かったのではないか。会社の支援は殆ど期待出来ず、さくら学院の活動の範疇で、どう化けるのかも見えないながら圧倒的なポテンシャルを持つ彼女を、過度期の今どう導けばいいのか。
 その解決策が、自身がファンであったメタルだったのだと、今は考える。
(あくまでも私の妄想であるが)

 Aメロのラップ部は、音源だけでは歌詞はよく判らなかった(「TodayをVersion Up」なんて判らないよ普通)。
 YUIMETAL+MOAMETALの「ちょ~××」は確かに破壊的な魅力だが、歌詞として決まるのは3コーラス目だけかなと思う。
 むしろBメロ終わりの「よねっ?」は秀逸だ。歌詞としても音楽としても。一度文節を切っておいての「よねっ?」は実際の会話でもあるあるだし、女の子の等身大の語彙で、日常をワンダーランドの様に歌う曲として偉大な発明だと思う。
 コーラス(Cメロ)のリフレイン「ちょ待って! ちょ待って!」も、現代の口語を厭らしくなく採り込めている。

「知らないフリはきらい、きらい」というBメロ部は、ウェルメイドなポピュラーソングとしては正攻法だが、マイナーに一度落として、最後の2小節、オクターヴのギターを駆け上がらせてメジャーのサビに戻す(全くメタルの文法ではないが)。極めて基本な形で作られている。

 変になってくるのは3コーラス目が終わり、無理矢理盛り上げの為のキック(バスドラム)連打まである間トロ(イントロ部繰り返し)の後だ。
 メタル、というよりロックであればギターソロを期待するし、現代のポップスであればDメロ(ここだけ独立したコード進行のブリッジ)がある筈だ。しかし『ドキモニ』はブレイク・ダウンしてしまう。以降BABYMETALの多くの楽曲ではこういうアレンジが多用される。その意図は明確には判らないのだが、ライヴ・パフォーマンスを見据えたものではないかと、今は思っている。

 しかしすぐにコーラスに戻って、聴いている人がもっと聴きたいと無意識に望むリフレインを繰り返すのだが、単純な繰り返しでは無く、循環コードの終わりをひねってからのリピートで、これもウェルメイドなポピュラー・ソングとしては必須な工夫である。
 このままリピートをX Times(数を決めない)でフェード・アウトするのがノーマルだが、この曲は綺麗にエンディングをつけている。
 そして以降の全てのBABYMETAL楽曲にフェード・アウトする曲は一曲もなく、全てにエンディングがつけられている。
 ライヴ重視のプロジェクトだとしても、これは少し尋常ではないと思う。
 言えるのは、このプロデューサーは理想ばかりが大きい人物では無く、極めてリアリストであり、プラグマティストなのだろうという事だ。

 さくら学院重音部の初期構想は、可憐Girl'sの様に中元すず香をコアにしたトリオなどの複数ヴォーカル編成だった様だが、中元すず香につり合うメンバーは暫く見つからなかった。
 この曲の最初のデモが出来た時は、メタル要素は今ほどに強くなく、中元すず香は「可愛い曲」と認識していた。彼女の掴んだ曲想通り、発表された音源で彼女は「可愛い感じ」に歌っている。「よねっ?」で意図的に声をひっくり返したり、よく聴くと無意識な技巧はそこここに認められて(60年代オールディーズ風な発音すらしている)、今のストイックなまでに技巧を使わない歌い方と並べて聴くとその変化にも驚く。

 中元すず香のキャラクター、声質、背格好に揃える事を止めて、並ぶとアンバランスになる水野由結と菊地最愛という、もの凄いタレントを持った少女達を得られたのが、BABYMETALの最初の幸運だったのだと思う。
 しかしこの曲は、彼女達を有機的に絡ませる想定ではない時期に作られていた。
「ちょ~××」以外は単純にユニゾン・コーラスで入っている。三人の混ざった声は、中元すず香ソロとは別種の魅力、武器ともなっていく。

「アイドルとメタルの融合」を目指すと、BABYMETALは発言してきた。まあこういった事は、「~っていう事なんだよ」とプロデューサーから説明された概念を、自身が納得しての発言だろう(『Only One』などと同様に)。
 しかし字義通り本当に「融合」させていたら、いや、BABYMETAL以外の「OKとは思えない」楽曲は寧ろ融合させようという試みの結果だったのだと思う。以前書いたとおり、融合では双方の尖ったものが鈍化するのだ。

 SU-METALは、「ロックはこう歌わなければいけない」という呪縛から完全に自由である。いや、そもそもメタルがロックだとすら思っていないに違いない。これはラジカルだ!
 異物同士を全く調整せずに合体させている。私にはBABYMETALがそう見えている。
 そしてその原形が、紛れもなく『ド・キ・ド・キ☆モーニング』だったのだ。







 あれ? MVや振り付け、ライヴ・パフォーマンスにまだ全然触れていないのにアホの様に文字数を書いてしまった……。もう寝なくては。ちょっと〆切りが迫ってきたので、続きはまた後日に……。

2015年2月10日 (火)

プログラム批評 序

 本ブログはニュース系ではないのだが、リアルタイムで起こっている事は記述しておこうと思う。
 夜半になって、BABYMETAL世界ツァー(第1弾)の発表がネットに駆け巡った。
 5月からメキシコ、トロント、シカゴでワンマン。オハイオのフェス。一度日本に戻ってメトロック、5月末からニュルブルクリンク、ミュンヘン、オーストリアのフェス。
 痛快だが、どうか安全で健康にやり抜いて欲しいと願うばかりだ。

 ウィーンのフェスの告知サイトに書かれていたBABYMETALの紹介文が、あまりに的を射ている簡潔な文章で感心した。
 雑な意訳だが、
「日本の女の子の明るく元気な声をハードロック・サウンドと一緒に聴いた時、あなたは『なんじゃこりゃ?』と思うに違いない。――略――
 SU-METAL、YUIMETALとMOAMETALは、メタルが何なのか実際の所知らなかったけど、彼女達は観衆が熱狂的になってくれる事を楽しんでる」

Masked

 コメントでも書いたのだけれど、新規ファンがどうしても追いつけない事柄はあまりに多い。
 特に昨年の夏フェスなど、アウェイ(あまり歓迎しない観衆が多そうな雰囲気)でのライヴを、在宅のファンは心配そうに実況スレで見守っていて、演奏が始まり彼女達のパフォーマンスに観衆が乗せられ始めると、一挙にホームの雰囲気となるプロセスに「大勝利」の歓声を上げたものだ。
 過去ログをざざっとスクロールすると、そういう事が伝わりはするのだが、同じ昂揚感を持てる筈もない。

 このブログを、まだ調べも充分ではないにも関わらず書き始めてしまったのは、「今更」な事を書けるのは「今」しかないと思ったからだった。
 年始にあった埼玉スーパーアリーナでのキツネ祭りライヴ以来、BABYMETALとしての活動は春までオフとなっている(さくら学院の二人はむしろ、3月一杯までは忙しい)。
 私が書きたい事は、多くのファンには今更な事だけれど、私と近い時期の新規、これからの新規の為にも、書いておきたいのだ。
 しかしうかうかしていたら、リアルタイムの出来事を追うだけでも大変な事になるのは自明だ。
 とっとと本題に入らないと少し焦りを感じてしまう。


 BABYMETALは、5年弱の活動期間でも持ち曲が極端に少ない。
 普通のアーティストとしては有り得ない程に。
 この事について不満を持つファンが多いのは事実だ。この2年程、セットリストは持ち時間の範囲で順列組み合わせをしている状態だ(希に新曲がテスト的に披露される時もあった)。
 当然私も、持ち曲が増える事を望んではいるのだが、しかしどうしてそういう状態となっているのかを思えば納得出来る。
 プロデューサーKOBA-METALは、幾つかのインタヴュウで「簡単に消費されたくない」という趣旨の発言をしている。そして楽曲の製作には拘り抜いて、極端な例では1曲を丸2年も掛けて作り上げているのだ。

 現在のところスタジオ録音としては唯一のファースト・アルバムは、事実上のベスト・アルバムでもある。でもそれは、単にシングル発表したものを集めたという意味のベストではない。磨き抜いた珠玉の作品集なのだ。
 聴き始めたばかりの印象と、聴き込んだ後とでは全く別の聴こえ方がする楽曲が多い。
 また、音源だけの印象と、映像で振り付けをしながら歌うライヴ・パフォーマンスとでは当然ながら更に異なる印象となる曲も少なくない。
 成長期の少女達は、録音期間の間に声も変化してきており、それがドキュメンタリの様に記録されたアルバムでもある。
 何よりSU-METALの歌唱自体のスケールが広がっている。

 どんなアーティストでも、アルバムを作り続ければ「捨て曲」となる楽曲は多い。ライヴで演奏される曲でも、観客の良い反応が得られる曲は、長年同じものである場合の方が当たり前だ。

 BABYMETALのアプローチは確かに異質だ。前例を見出す事は私には出来ない。
 普通のアーティスト、アイドルの方法論を当て嵌めてもしょうがないのだ。
 KOBA-METALのアプローチが果たして正しいのかどうかは、ずっと後にならなければ判らない。

 

 と言うことで、BABYMETALの楽曲を味わい尽くす為に、少しずつ各楽曲についてを記していきたい。批評 Critiqueというアプローチだが、これは決して評価をするというものではなく、楽曲それ自体と、それを聴いた体験を持つ私個人の関係についての文章の意だ。

 ところで、「楽曲」と書いてきたが、BABYMETALの場合はライヴ・パフォーマンス、MV映像など視覚的要素、何より振り付けの要素が持つ割合は楽曲と等価だ。
 従ってこのブログでは、各楽曲を振り付けも込みで、プログラムと称していく事にする。
 フィギュア・スケート競技での、使用音楽と振り付けはセットで扱われ、プログラムと呼んでいる事に倣う。

2015年2月 9日 (月)

LIVE AT BUDOKAN ~BLACK NIGHT~

 Twitterで本ブログを紹介してくださった人がいて、急にコメントを多く戴いて戸惑ってしまったが、有り難いと感謝しています。
 言い訳がましいですが、NHK新規である私が書く事は、既にファンの間では知られている事が殆どです。それらの情報の点を、極めて主観的に文章で繋ぐのが私のブログの役割であると思っています。
 仕事が詰ると更新が暫く空く時もあるのですが、気長に時々来ては読んで戴ければ幸いです。
 記述に誤りがあれば、是非コメントでお教え下さい。
 ただし以前に書いた文章を後日直す事は基本的にしていません(読み返すとてにをはがグダって恥ずかしいのだが、趣味でやってるので)。


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 アミューズの物販サイトであるアスマートに、受注担当者は月に2回程度しか出勤しないのだろう。
 昨年の武道館公演は、映像商品としては「赤い夜」「黒い夜」の二日分が収録されているが、CDとしては「赤い夜」のみが発売され、「黒い夜」はBABYMETALファンクラブ THE ONE会員限定で売られている 「LIVE AT BUDOKAN “BUDO-CAN”-THE ONE - LIMITED BOX」というセットでなければ入手出来ない。
 まあ仕方ないと、年明け早々に会員登録をしたが、会員になるにはTHE ONEのTシャツを購入しなくてはならないという。これについている「洗礼の儀」シリアル番号が必要なのだ。入会費的なものだろうが、Tシャツ付なのだから良心的だと思い、すぐに購入手続きをした。
 これが待てど暮らせど送られてこない。
 何か申し込みで不備をしてしまったのかと思っていた頃、やっと配送された。
 やっと入会手続きをして、KONAKA-METALというメタルネームを得て、やっとBUDO-CANを購入――したのだが、これがまた2週間以上もかかった。

 一抱えもある金属缶の中に、既に持っているブルーレイと、「黒い夜」CD、そして特典のオマケというのが――、黒いネック・サポーター(コルセット)。折り曲げられないものなので、この大きさの容器が必要だったのだ。まあこれはいずれ使う日があるのかもしれない。
 もう一種が――、三つの棺桶型キーホルダー。これがムクのゴム製で一つがやたらと重い。三つにはそれぞれ彼女らのサインが印刷されている。しかし、これをキーホルダーで持ち歩ける人はいないだろう。単純に重いからだ。
 商品企画担当の人、もう少し考えようよ。

 BABYMETAL運営陣はライヴ毎にTシャツを製作しており、毎回デザイナーが変わっていて魅力的なものもあった。
 しかし入手するにはライヴ会場の物販エリアで、かなりの長時間の列に並ばねば欲しいサイズのものは買えないという。
 アスマートにもTシャツは販売品目としてあるのだが、どれもこれも品切れ。
 まあ勿体ないというか、もっと沢山作って普通に買える様になれば、どれだけ我々の様な新規が喜ぶばかりでなく、季節が暖かくなれば宣伝にもなると思うのだが。

 さておき、一ヶ月も入手に時間が掛かった「黒い夜」ライヴCDをやっと聴けた。
「赤い夜」が、テッド・ジェンセンによるマスタリングが施されていたのに対し、こちらはそうではない。しかしそうした情報はどちらのライナーにも全く記述が無い。改善して欲しい。

 予想通り、武道館のライヴ録音らしい、やや重心の低いアンビエントのサウンドだった。「赤い夜」が歌声や楽器の分離感がよく、その夜のパフォーマンスを正確に再現したものに対し、「黒い夜」は当日のライヴに参加した人には、その音の記憶を再現出来る様な塊(かたまり)感でまとめられている。
 好みで言えば圧倒的に「赤い夜」の音が好きだし、繰り返し聴けるのだが、「黒い夜」も聴き所は多い。
 セットリストの前半にBLACK BABYMETALのプログラムが二連で入っているのは、まだ疲れが出ていない内に決定版的にやろうという意図だったのだろうか。
「ギミチョコ!!」のギターソロで、MOAMETALだと思うが声を上げて観客を煽りに行くので驚いた。
 二夜連続公演の二日目は、やはり独特なアドレナリンが出るのだろう。We Are Babymetal!という最後のSU-METALの叫びも、明日に喉を残さずとも構わないという思いからか、かつて聴いた中では最もテンションが高く感じられた。
 ――とか思っていたら、すぐにアンコールの『ド・キ・ド・キ☆モーニング』が始まり、SU-METALは15歳に戻ったのかという軽やかな声で歌った。この音源だけを未知の人に聴かせても、よもやあの飛び跳ねる振り付けをこなしながら歌っているとは想像だに出来ないだろう。やっぱりこの人(SU-METAL)は掴めない、底知れないという感慨を抱く。
 セットリストのオーラスは前日事故のあった『ヘドバンギャー!!』だというのも、深読みをしたくなってしまう。「黒い夜」ではYUIMETAL+MOAMETALが揃って元気に観客にヘドバンを強いていた。

 

 いい加減、映像ソフトをきちんと観なくてはとは思うのだが、「あっ、ここにはまだこんなに見てない動画が」というものに出くわし、ズルズルと引き延ばしてしまっている。
 ソフトが出るのが楽しみだった映画のディスクを、何年分も溜め込み数mに積み上げてしまうのが私の悪癖の一つでもある。

 ダウンロードした動画は38GBになった。バックアップ用の外付けHDDを購入したところだ。全く仕分けされていない動画の山。どうしてくれようか途方に暮れる。
 海外の書き込みを翻訳してくれるサイトの、ずっと前の過去ログを読んでいたら、ある海外のファンが「もう47GBを越えたぜ」と書いていて、敗北感に打ちひしがれている。

 

2015年2月 8日 (日)

METAL EVOLUTION

 メタルというジャンルの音楽についてのドキュメンタリ映画は案外と多い。
 一部で話題になった『アンヴィル 夢を諦めきれない男たち』は紛れもなく傑作であり、私も涙無くしては見終えられなかった。監督はその後『ヒッチコック』というフィーチャー・フィルムも撮る程に出世した。
 Metalicaのスランプ期を追った映画も興味深かったが、私が印象深く記憶しているのは、Slipknotの3枚目かについていた特典DVDで、何の説明もない彼らのツアーを記録したドキュメンタリだったが、馬鹿騒ぎの様なツァーをしながら精神的に疲弊していく様が生々しく記録されていた。二度と見返すまいと思った。

 Sam Dunn サム(サミュエル)・ダンという人類学者がいる。RUSHのゲディ・リーをちょっと貧相にした感じのカナダ人で、メタルファンである。彼が2005年に作ったドキュメンタリ映画が「メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー」だ。
 この映画で、彼は多くのメタル・ミュージシャンにインタヴュウをしているのだが、なぜメタル・ミュージシャンの言質を得ようとしたかと言えば、一般的にメタルは社会には害悪だと見なされてきたものであり、バンドにもよるが悪魔崇拝といったギミックでの発言をしてきたアーティストも多く、「本当のところ」を聞きだそうとしている。
 この映画の立脚点は、「メタルはマイノリティのもの」にあるのだ。
 商業音楽の世界では、メタルは過去も現在も、マイノリティに属してきた。
 サム・ダンは自分自身がインタヴュワーとして出演しており、これは普通の若者とは異なる趣味を持って育った自分自身を解き明かす旅でもあった。

 2009年、続編である「グローバル・メタル」を彼は製作する。今度は、世界中で如何にメタルが受容されているかについてのルポルタージュで、特にアジアに目が向けられている。
 中国の様な国でもメタルを愛好し、演奏する若者がいる。音楽表現としてのメタルはまさにグローバルである事を立証して見せた。
 見返していないで書いているので、自分も確証がないが、BABYMETALが何故世界的に(メタル・シーンに於いて)受け容れる人が多かったのかについて、もしかしたらこの映画が一つの答えを持っているのかもしれないと思う。

 この2本の映画は日本でもアミューズ・ソフトから販売されているが、私はWOWOWの放送で観ていた。

 そして2年程前だったか、今度はメタルの進化を辿るという遠大なプロジェクト、「メタル・エヴォリューション」というテレビ・シリーズを製作した。45分番組×11本で、様々なサブジャンルのメタルがどういう系統で成り立っているかを調査したものだが、とても見応えがあった。
 何度か放送されているのだが、つい先日、何度目かの再放送があり、幾つかを見返した。

 これはサム・ダンの人柄なのだろうが、人類学者のフィールドワークという構えたインタヴュウではなく、むしろマニアが憧れのアーティストに会って話を聞くスタンスであるにも関わらず、メタルのプロパー達は専門誌向きなスタイルを作らず、自然体で、本音に近い事を話しているのだ。
 Meshuggah(『悪夢の輪舞曲』のロールモデルと思われる)のドラマー、トーマス・ハーケは実に知性的で、あんな凄まじいドラムを刻むミュージシャンのイメージとは全く異なっていた。その彼が「あいつらは本当に危険だ」という、観客にギターのヘッドで攻撃しようとさえするバンドのギタリストも、自分達が狂った様なステージをする事について淡々と言葉にしていた。

 自然体を引き出せなかったのは、イングヴェイ御大と、Slipknotのスポークスマン、クラウンだけだ。
 BABYMETALはファンを「モッシュッシュ・メイト」と呼ぶが、ファンに固有の呼称をつけるのは昨今の流行なのだろう。Slipkontはファンを「Maggots」(蛆)と呼ぶ。クラウンは、「蛆はやがて蠅になって自由に飛ぶ事が出来る。俺達のライヴは救済なのだ」と、あまり説得力の無い説明をする。実際には、自分達が(社会に於いて)腐乱死体と同じであり、その俺達に集まるお前らというニュアンスの方が先にあった筈だ。
 サム・ダンの「何故君たちのライヴはそう攻撃的なのだ」という問いに、クラウンは「WAR」と答える。
 そういう言い方しか出来ないのだろう。

 Slayerが、一枚だけNuMetal風味なアルバムを出していたのは知らなかった。様々なバンドが華々しい成功を収める一方で、Limp Bizketの様にフェスで暴動を煽ってしまい、KORNのジョナサン・デイヴィスにすら唾棄されている有様はなかなか辛いものがある。

 色々と興味深いディテイルが判るが、なかなか「で、どういう事なの」という結論には行き着かない。何しろ最終話が「プログレ・メタル」がテーマであり、それは確かにDream TheaterやMastodon, Tool, Opeth(全部聴いてるな)などがいるけれど、メタルのサブジャンルとしては一層マイナーなグループなのだ。

 BABYMETALが海外で凄まじい支持を得たというのは事実であるけれど、現代音楽産業のメイン・ストリームでの出来事ではないという事はあまり報道されていないと感じる。
「ギミチョコ!!」のMV再生回数が凄いといっても、Lady Gaga, Taylor Swiftといった時代を代表する存在に比べたら、マイナーに過ぎないのだ。
 むしろ、歌詞を英語にする事すらもせず、日本のドメスティックな価値観で先鋭化したBABYMETALが、「世界でもこうなればいい」という想定を遥かに越える成果を得られたのも、マイナーなジャンルであるメタルであったからだとも言えよう。

 サム・ダンは「NuMetal」のエピソード冒頭で、「~とかのバンドがああいう事したり」とひとしきり説明した後、「俺には我慢がならない」とぶちまけた。NuMetalに存在価値などあるのかという切り口で始まったので期待したが、それからのドキュメンタリ部は割と普通に紹介するばかりで、これは残念だった。

 それまでと違うサウンド、アプローチをするバンドが現れると、新たな括りのサブジャンルが生まれる。それはメタルに限らず、ハードコア、はてはポストロックに至るまでもそうなのだが、メタルに関しては、この10年程の間に特筆すべき動きがなかった。サム・ダンが総括出来たのも、そういう状況がある。
 大きなフェスティバルはベテランが、かつてのヒット曲を演奏するのがクライマックスなのだ。
 そうした状況を、メタルヘッズであるKOBA-METALは感じていたのだと、インタヴュウでも述べている。
 BABYMETALが触媒になって、メタルに新たなサブジャンルが生まれるかもしれないのだ。
「METAL EVOLUTION」をチラチラと再見しながら、ぼんやりとそう思っていた。
 サム・ダンは果たしてBABYMETALを受け容れるのだろうか(笑)。


2015年2月 7日 (土)

活字でBABYMETALを知る

 本ブログの二つ目の記事「BABYMETALの基礎知識」で、間違いを記している事をコメントで教えて戴いた。
 何となく可憐Girl'sから直結でさくら学院が出来たかの様に錯覚していたのだが、一年のブランクがあったのだ。その間に中元すず香はミュージカルに出演したりしていたという。この1年というのも、実はキーがあるのかもしれない。ご指摘ありがとうございました。

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 BABYMETALの言葉やヒストリーを知る上で、オフラインでの第一級資料となるのは、「ヘドバン」誌が随一だ。
 BABYMETALがヨーロッパへ飛べば、(取材予算もあまりなさそうなのに)取材チームを送り、現場の空気をリアルに伝えてくれる。
 BABYMETALへのインタヴュウはそう多くは無いが、KOBA-METALの談話は「そうなのか」と思う話が多い。
 不定期刊のムックで、現在Vol.5まで出ており(+臨時号2冊)、もうすぐ新刊が発売となる。
 創刊号は完売して、一時期はセカンド・マーケットで高騰していたのだが、幾度も重版がかかって、今は全巻も定価で購入出来る(素晴らしい)。

 アイドル雑誌にも、BABYMETALは度々インタヴュウを受けてきたが、流石に全てを集めるのは困難だ。ネットにもまだインデックスを作成する人はいない。

「MARQUEE」誌が、ファーストアルバム発売時に、BABYMETAL特集号を出していた。これまたセカンド・マーケットでは高い値になっていて、暫く躊躇した。しかし背に腹は代えられず入手して読んだのだけれど、「ヘドバン」だけでは判らなかった、BABYMETALを巡る空気感を感じて、ちょっと衝撃を受けた。

 今更ではあるが、BABYMETALがさくら学院からの派生ユニットとして生まれ、さくら学院がどういうシステムなのかを知った後では、BABYMETALの見え方は違ってくるのだ。
 BABYMETALは、「可能な限り続けていく」という安定的なものではない事を、BABYMETALの三人の少女達も、またプロデューサーも常に背後で感じている。
 ヒリヒリした感覚を実感した。
 これについては改めて詳述したい。

「ヘドバン」は、メタル側の理解者が、BABYMETALの軌跡を熟知した上でのインタヴュウであって、私の様な読者にはとても共感出来るものだった。
「MARQUEE」のインタヴュワーは、アイドルというよりは恐らくサブカルのフィールドから、やはりBABYMETALの軌跡を知った上でのインタヴュウであった。
 双方のアプローチからの言質は、重ね合わさるとまた違うものが見えてくる気がした。

「MARQUEE」は初期のBABYMETALから頻繁に登場させ、ミニ連載もあったと知り、慌ててバックナンバーを揃えているが、BABYMETAL特集号以外は概ね定価で新品が買える。
 この雑誌はオールグラビアなので、そうそう増刷など出来ないのだろうけれど、是非復刊して欲しいと思う。

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「ヘドバン」誌は、その雑多な情報と送り手の熱気が、ちょっと懐かしいノリに感じた。
 昔の「OUT」とか「ぱふ」とか、まだオタクカルチャーが隠微な存在だった頃に「面白いものは面白い」と切り込んだ亜マスコミ誌だった。
 しかし「ヘドバン」の版元はシンコーミュージックという大手。「BURRN!」誌の今の版元でもある。

 しばしばネットでは、「BURRN!」がBABYMETALの存在を無視している事がネタになっている。
 Sonisphereで6万人のメタルヘッズに圧勝しても、そんなニュースすらも載せなかったという(2012年には、ちょっと紹介記事が載ったようだが)。
「BURRN!」の編集者達が殊更に排他的、権威主義的なのではない。
 今も尚、海外のメタルファンの間では好悪の議論が続いているのだ。YouTubeの「ギミチョコ!!」動画のコメント欄は現在進行形で(未だに!)応酬が書き込まれている。

 そうした「メタルではない」(だから価値がない)というヘイターの攻撃相手は、当然ながらBABYMETALが初めてではなかった。
 いや、新たなサブジャンルがメタルに生まれる度に、それは起こっていたのだ。

 そういう事を改めて思いかえさせてくれる、一級の映像資料がある。
 次回はそれについて述べようと思う。

2015年2月 6日 (金)

好きになる前の心理的状態

 自分がまだBABYMETALを好きではなかった頃の事は、段々忘れてしまいつつあるのだが、ネットでは掲示板でもブログでも、「いつ自分がハマったか」はよく話されいて、それを語りたい衝動を起こさせるのもBABYMETALの特色だという記事を読んだ事がある(リンク失念)。
 それぞれの音楽体験を前提に、なぜBABYMETALに惹かれたかを語りたい、という気持ちはよく判るというか、このブログそのものの存在理由でもある。
 しかし多分だが、これは多くの人が同じ様な心理プロセスを経ている事が大きいのではないだろうか。

 2ちゃんねるの芸スポ+では去年からよく記事のヘッドラインは見かけた。
 クールジャパン担当大臣を訪問したニュースを見て、私などはまず印象を悪く持ったことを今頃思い出す。
 クールジャパンなるものは、多少の助成金出す程度で外貨を稼ぐシステムとして、アニメやアイドルを商材にしているのではと思えてしまったからだ。勿論、訪問したBABYMETALには何の責任も問題もないのだが。

 そして昨年の初夏から夏、秋にかけての怒濤のアメリカ、ヨーロッパ・ツアー(含むレディ・ガガの前座公演)は、いちいちスレッドが立てられては膨大な武勇伝のテンプレートが蓄積されていった。
 当時の掲示板の雰囲気は、「またステマか」というネガティヴなものが主流だった。

 ただ、公演が盛り上がっていたのは事実らしい、という事が段々と浸透しだした。
 画像も貼り付けられる様になったのも大きい。
 しかし、「でも子どもじゃん……。大人の趣味押しつけられて気の毒に」という気分は拭われなかった。

 その時に貼られた動画が、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が多かったのも、個人的にはマイナスだった。
 いや、今はもう120%、全力で支持している曲なのだが、初見ではやはり「歌詞狙い過ぎ、合の手あざと過ぎ」という印象だったのだ。

 既に2200万回再生となっている「ギミチョコ!!」のMVをどの時点で見たか、はっきり覚えていないのだが、この曲の初見の印象も、聴き始めは「ああ、4,5年前にニコで流行った電波ソングのノリね」と冷淡だったのだが、すぐに「お?」と印象が変化していった。

 この曲そのものについてはいずれじっくり書きたいが、最初に「お?」となったのは楽曲そのものではなく、YUIMETAL+MOAMETALの振り付けパフォーマンスだった。これは最早ダンスとも呼べない。リード・ヴォーカルと拮抗する価値観を作ってしまっている。

「これはアリなのかもしれない」

 そう思い始めたのだった。

 それでも暫く、CDを聴いたりビデオを見まくる踏ん切りはついていない。
 だって20年以上もアイドルなど関心外だったのに、今更好きになりたくもなかったのだ。

 そんな状態が昨年暮れまで続き、NHKで彼女らの海外公演を追ったドキュメンタリが放送されると知り、一応チェックしておくかと録画予約をしたのだった。

 その後は「お察し」の通り。

 私の様な人がとても多い筈だ。ご同輩。

 ただ、私がはっきり、「参った! もうこれは好きになるしかない」と観念した瞬間はよく覚えている。
 BABYMETALの三人が、圧倒的なパフォーマンスで観衆を圧倒したその最後、片手を上げて「See You!」とポーズを決め、そのまま袖に胸を張って歩いて行く姿があまりにも神々しかったからだ。
 三人の顔には、やりきった達成感が満ち溢れており、アイドル公演とは思えぬ程に汗を滴らせているのだ。

 アメリカだったと思うが、SU-METALの「See You!」の後、YUIMETAL+MOAMETALの「See You!」に声を揃えて、観衆達が野太い声で「See You!」と叫んだ場面があり、もう可笑しくて暫くニヤニヤニヤニヤと笑っていた。
 BABYMETALの美点の一つが、笑えること、笑顔になれる事なのだ。

2015年2月 5日 (木)

FanCam

 私ばかりではなく、今の新規BABYMETALファンの多くが「落ちた」理由の中でも、YouTubeなどの動画サイトで特にファンカムと呼ばれる、海外公演のライヴを観客が撮影した動画を見た経験は絶大だったと思う。
 日本ではコンサートで観客が録音・撮影するなど不可能だが、海外では規制が緩く、動画サイトにFancam(ファンのカメラ)という在り方が認知される様になっている。
 プロが撮影・編集したものはプロカムという事になるが、ファンカムが何故価値を持つかと言えば、演奏、歌唱について一切の後加工がされていない、生な記録だという点にある。
 BABYMETALがリップシンクではなく、生で歌う様になったのは、活動開始の一年後以降だが、最初はリップシンクも併用し、後半だけ生というところから進めていった。
 そうしたプロセスがドキュメンタリとしてリアルに判るのがファンカムであった。

 今日までの10日間程の期間に、多くのファンカムがYouTubeで閲覧出来なくなった。
 Amuse_Incの申し立てにより閲覧停止措置がとられたと表示されている。
 このブログの最初に貼った、ソニスフィアのファンカム・コンピレーションは、場内の多くの人々がそれぞれに撮った映像を一本に編集した労作で、ソニスフィアのメタルヘッズ達が、最初は物珍しげに集まってきているのだが、BABYMETALと神バンドのパフォーマンスに一曲毎に惹き込まれ、熱狂していく有様が如実に判る秀逸な映像だった。
 スマートフォンでHD画質の映像を撮れてしまう、そうしたテクノロジーのインフラがあってこそ起きた現象である。

 

 去年の武道館ライヴの映像、「赤い夜」「黒い夜」のダウンロード販売が始まっているのだが、ディストリビュータはトイズ・ファクトリーではなくアミューズ。
 オンライン販売に注力する上で、違法映像の摘発は必然ではあろう。

 しかし、私や多くのファンを得たのがそうした動画なのだ。映像ソフトをそのままアップロードする様な行為は抑止されて然るべきだと思うが、実際の受容の在り方を鑑みれば、多少の柔軟性はあっても良いと、個人的には思う。

 かく言う私も、一応はJASCACに登録された楽曲を持つ著作権者の一人ではある。
 アニメの音楽CDに数曲の誌を(厭々ながら)書いたからなのだが。

 そして著述業が主である私にとっても、著作権は大事な問題だ。
 なので、例え非営利であり完全に趣味として書いているブログではあるが、動画や画像を貼る時には一応躊躇いがちに再検討はしてはいる。
 まあ再検討するだけで、やっぱり見て貰いたい動画は貼っているのだが。

 

 NHKの番組を見ただけでは、ここまではまらなかった。
 ネットのリソースがあって、それを見つける事で私はファンになった。
 だから、ネットのリソースになるものを還元したい。そういうブログを書いているつもりだ。


2015年2月 4日 (水)

現実感の無い5年弱


 BABYMETALのこれまでのヒストリーを知りたいという新規ファンには、幸いにも幾つかのファン・ブログがある。
 ニュースのまとめに徹したところばかりではなく、管理人がメタル側の人だったり、訪問者との交流の場としても作られていたりと、それぞれに特色があって、私の様な新規ファンにはとても有り難い。
 私のブログの様に、仕事から逃避して書いてる様なものはさておき、より多くのブログなどが生まれて欲しいと思う。

 BABYMETALが生まれてまだ5年にも満たないのに、現在までの期間に彼女達と彼女達の周囲に起こったこと、周囲の状況の変化というのは桁外れであり、とてもたった5年弱の出来事とは直感的に受け止め難い。
 また成長期にある彼女達の姿は、動画でランダムに見ていくとその変化ぶりに混乱してしまうのだ。

 容姿ばかりではない。特にSU-METALの声の変化は著しい。
『ド・キ・ド・キ☆モーニング』のCD音源で聴かれる声は、完全にまだ子どものそれだ。
 ただ、彼女の基本の声質自体は変わらず、骨格の成長に伴って周波数帯域が変化している印象だ。
 SU-METALが単独で活動する事は基本的に無いのだが、2013年にJAM-Projectのライヴに参加した時の音声のみという動画がYouTubeにあった。
 最初に彼女が歌ったのが『タッチ』だった。オリジナルを歌った岩崎良美は、中学時代の同級生であった事もあり、懐かしく聴いた。
 当然伸びやかに歌っているのだが、時々音程がフラットしている。歌い慣れない曲、現場、モニタの状態など要因は幾らでも考え得るが、つまるところ、中元すず香はまだ全然完成されていないシンガーという事なのだ。
 彼女はBABYMETALというプロジェクトを終えても、シンガーとして人の心を動かしていくに違いないが、何万人もの群衆の前でも、ネットの動画越しにでも既にして人の心を掴んでいるのだから、面白いし、恐ろしい事だとも思う。

 可憐Girl'sでは、一人年少という事もあって一番小柄だった彼女だが、さくら学院と中学校に入るや、身長が伸びていった。
 急に背が伸びる子どもがよくそうなる様に、一時期彼女の姿勢は良くなかった。
 しかしさくら学院にて、ボイス・トレーナーの指導で、背筋を伸ばし、声をより前に出せる様になったのだという。

 YouTubeには、可憐Girl'sに入る以前の、アクターズスクール広島時代の発表会で歌う小学生時代の多くの動画や、キッズモデルとして出演していたCMまで上がっている。
 物心ついた頃からの映像がネットで共有されているというのは、やはり特異な人生だろう。
 しかしそういう事態になっているのは、そうした映像を残したい、アップロードしたいと思う第三者の意思があったからだ。

 幼い頃から、声質自体はアルトなのに、かなりの高域まで伸びる声。
 マイクを高く構え、口よりも上に持って、全身で歌う姿。
 SU-METALの歌う姿を見慣れてから、かつての映像を見ると本当に感慨深くなる。


2015年2月 3日 (火)

ライヴ感覚

 出来れば私は、BABYMETALの事を考えたいのであって、あまりさくら学院についてはなるべく関心を持ちたくないなぁ、と思ってはいるのだけれど、月曜の夕方になるとそわそわしてPCの前で待機してしまう。
 テレビ朝日のストリーミング放送LoGiRLの、毎週月曜19時からの45分間はさくら学院の持ち時間で、現在10名いる院生から4~5人が出演しているのだ。
 今週は菊地最愛と水野由結ら、卒業を控えた中学3年生4人は出演しなかった。その分、後輩達は伸び伸びと発言していた様で、その場にいない(別の仕事で、放送を見ていないという)中3のメンバーについての(かなりバイアスの掛かった)人物評を述べていたのだが、番組終了間際になって、Twitterで中3からの怒りの写真とコメントが流れ、出演していたメンバーがパニックになるという、ちょっと出来過ぎな程の放送だった。


 ああ、こうやって深みにはまっていくのだなぁ。

 これが普通のテレビ放送なら、レコーダーで予約すればいいのだが、ストリーミング放送を予約録画する術を私は知らず、また「そうまでして」という躊躇もあり、しかし放送時間が迫ると落ち着かなくなるので、これは困る。
 来週は講師会議があるんだがなぁ……。

 中3は機嫌を直したらしい。

 

2015年2月 2日 (月)

CD盤に望むこと

 Road of Resistanceが一般ダウンロード販売開始となった。
 映像も、LIVE AT BUDOKANがYouTubeで全編の有料視聴が可能となった。
 CDが売れなくなっている音楽市場で、BABYMETALの収益的な戦略はまだよく判らないのだけれど、かつてであれば海外の大手レーベルと契約し、各国でCDを売るところを、iTunesでのオンライン販売だけでやっていく様に見える。
 日本国内でもCDを積極的にリリースはしなくなっているが、こうした先鋭的な戦略を積極的にとっているのか、これしかないのか。どちらなのだろう。

 私はバブル時代の音楽業界も少し知っているので、今どれほど音楽産業が貧しくなってしまっているかは痛い程に判る。
 原盤製作費はひたすらダンピングをし続けて貧しくなってきた。

 今の若い人は、CD盤を出来れば買いたくない様だ。物体としてのCDを所持する事に、最早デメリットしか感じないのだろう。
 特典、特典会など、アイドル物などは別であったのだが、その商売も全体的には右肩下がり。将来に持続性のある商品展開を真面目に考えるなら、オンラインしかないのかもしれない。

 しかし私にはCDが必要なのだ。
 いや、聴く場合は私も大抵エンコードして聴く場合が殆どなのだが、ダウンロード商品では得られないものがある。
 それはクレジットである。
 プロデューサー、コンポーザ-、アレンジャーという基本情報や、楽曲毎のプレイヤーのクレジットが読みたいのだ。

 私の高校~大学時代はスタジオ・ミュージシャンの黄金時代だった。
 クロスオーヴァーに限らず、ロックでも楽曲毎にミュージシャンが入れ替わる事は多く、同じアルバムで複数のプレイヤーの演奏が収められる場合もある。自ずとそれぞれの個性が際立ち、好みのミュージシャンを見つける事が容易かった。

 BABYMETALのCDに、演奏者のクレジットは無い。これは私がBABYMETALに関して抱く多少の不満の1つだ。
 このギターは誰が弾いているのか、ハーモニーを歌っているのは誰なのか、どうしても疑問が頭に浮かんでしまう。

 例外的に、Road of Resistanceのギターソロは、Dragonforceの二人が担当している事がアナウンスされている。
 この曲については、それ以前の曲も含めていずれレヴュウを書きたいと思っている。

 ダウンロード販売はなかなか収益が出ない、というのがこれまでの音楽業界での常識だった。BABYMETALはその状況を変える事が出来るのかも知れないが、まだ時期的にはちょっと早いという感じも抱かないではない。
 ネットにあるものは無償で入手出来る、そういう認識は以前よりはずっと常識的に補正されつつはあると思うのだが。

 洋楽も、今の最大の収益源はCDやダウンロード販売ではなく、大規模なライヴを数多く開く事となっている。
 BABYMETALの昨年の活動は、幾つかのワンマン・ショウを行い、後はフェスティヴァルに参加していた。こうしたフェスで得られた経験と自信、そこで起こった現象が我々に与えたインパクトは計り知れないのだが、しかし収益的には大きな利益を上げるという訳にはいかなかったと思う。

 既に5月のアメリカのフェスには参加を決めており、ワールド・ツァーも計画されている様だが、BABYMETALがどこに行き着けるのか、ちょっとミステリー・ツァーの様で楽しみになる。

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