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2015年3月

2015年3月31日 (火)

Intermission:BABYMETALの音像

 プログラム批評も半ばを越えた。
『Catch Me If You Can』や『BABYMETAL DEATH』の論考があっさりと短いのは、あまり深読みする余地が無い事もあるが、当初から気に入ってしまったところが大きい。
 やはり、ファースト・インプレッションが「え? 何でこうなの?」という楽曲であると、読解に本気になる傾向がある様だ。勿論、「なんじゃこりゃ」感はどの曲にもあるのだが、それも含めてすんなりと受け容れてしまっていた。

 しかしこれではあまりにバランスが悪いと反省している。
 いずれ改稿したいという意向を一応は持っている事を表明しておく。


 

 流石にBABYMETALしか聴かない時期は過ぎたのだが、アルバム『BABYMETAL』は今尚も「ヘビーローテーション」している。
 楽曲の魅力は当然として、サウンド面でもとてもクォリティが高いと思っている。

 何故か昔から、邦楽CDのミックス/マスタリングは、1khz辺りにピークのある(様な)高域ばかりが耳に刺さる傾向があって、長年不満だった。私が邦楽をあまり聴かなかった理由の一つでもある。

Ns10m2

 私が映像や録音のスタジオに出入りしていたディレクター時代、どのミキシング・ルームにも必ずYAMAHA NS-10Mという小型スピーカーが置かれていた。ツィーター(高域再生ユニット)は少し過敏なので、ティッシュ・ペーパーで覆うミュートがされていた。そうする事が業界の常識だったのだ。
 多くのスタジオ・エンジニアやアーティストは、当時のスタジオ・ワークとしては最高峰だったスティーリー・ダンのCDをリファレンスとして再生してみて、それがそのスタジオでどう聞えるかを確認してから、自分の作業をするという事も多かった。
 メイン・モニタとしては各スタジオが壁に埋め込んだり、それぞれに設置された大型スピーカーでモニタリングをするのだが、音質調整の仕上げではNS-10M(テンモニという愛称だった)というスモール・モニタで確認をしていた。家庭でどう再生されるかというシミュレーションの意味もあったのだ。
 しかしこの時代は1990年代に入ると終わってしまいテンモニも製造終了となる。以降のデファクト・スタンダードはGENELECのパワード・モニタに変わっている。

 何故邦楽がドンシャリ(と言っても本当の高域は左程ではない)になるのか、当時つらつらと疑っていたのは、テンモニのティッシュのせいではないかという事だった。
 ミュートの度合いが過ぎている為に、整音では過剰に高域を足していたのではないかという疑念だ。

 後でそれだけではない事も判った。
 昨年、DREAMS COME TRUEが結成25周年のアルバムを作ったが、そのミックスダウンをしているドキュメンタリを偶々見た。ニューヨークのスタジオで、エンジニア(テッド・ジェンセンではない)に二人は積極的に意見を言っていた。
 ある程度仕上がるとすぐさまCDに焼いて、別室に置いてあるラジカセ(って若い人には通じるのだろうか。ブームボックスでも通じないか)の貧相な装置で再生し、確認をしていた。
 2000年代までなら判るが、今音楽を聴く人の多くはスマホや携帯プレイヤーをイヤフォンで聴くと思う。
 この儀式をドリカムはずっと行ってきた様だが、J-Popアーティストの多くも同じ事をしてきたのかもしれない。

 高域が刺さるミッドの薄い音源は、流石にもう過去のものかと思っていたのだが、最近聴いた或るCDの一部曲は相変わらずそういった音だった。

 BABYMETALの音源にはほぼ、そういった不満を持たずに聴ける。そもそもブルータルな曲が多いので、ハイファイではないのだが。
 しかし本ブログ初期に書いた、「激しく歪んだギターサウンドをバックに、女の子の澄んだ声がまるで3Dの様に浮き上がって聞える」感じがとても耳に心地よいのだ。


 私はもう50台半ばになるので、10代の若者が聴取れる超高域はもう聴き取る事が出来ない。
 10年前にはちょっとPure Audioに熱を入れ、高価なCDトランスポートやDAC、アンプ、スピーカーを買ったりしたものだが(当時は静かめのジャズばかり聴いていた)、加齢による聴覚の劣化は否めず、もうそういった装置は全く使わなくなった。
 昨今流行りのハイレゾも、私のWALKMANは再生可能なのだけれど、私は全く関心が無くそうした音源も殆ど持っていない(一時期流行りかけたDVD-AudioやSACDは若干買っていたが、Universal Playerでないと再生出来ないので放置してある)。

 音楽を聴く事に、それ程情熱を持てなくなってきたところに出会ったのがBABYMETALだったのだ。

2015年3月30日 (月)

『BABYMETAL DEATH』』考

Bmd

Release: Single『イジメ、ダメ、ゼッタイ』初回限定盤に収録
Credits: 作詞・作曲:KITSUNE of METAL GOD 編曲:ゆよゆっぺ


 1秒ヴァージョンとこのフル版、どちらが先に作られたのかは不明だが、1秒版の仮想BPMよりも、この曲に於ける「自己紹介」部のBPMは若干遅い気がする。
 パート代わり毎にBPMを上げていくアレンジだからだと思うので、後から作られた説を一応採る。

 ゴシックの教会音楽の様な前奏曲は、基音を潰してプリエコーを深くとった、果てしなく長いリヴァーブの低音が響き、徐々に不穏さを増していく。
 Aパートの6連の刻みギターは多分打ち込みではないか。終盤のソロも打ち込みかもしれない。しかしBパートのリフなど、リアルなギターも不可欠な要素として組み込まれている。

 神バンドの一人、大村孝佳は「一番難しい曲はどれか」と問われてこの曲を挙げた(『Road of Resistance』発表前)。
 恐らくドラムにとってもそうだろうと思う。
 音源に打ち込まれたパターンは、人間が再現する事を考慮していなかったとすら思える。

 私個人の嗜好としては、機械の様なブラストビートよりも、ハーフタイム・シャッフルの様なグルーヴのあるドラムを好むのだが、この人間技を無視したドラム・プログラミングにはやはり耳を引きつけられ、この楽曲のリード楽器はドラムだと思う程だ。

 デスヴォイス・コーラス隊(という程多く重ねられてはいないが)にリードされ、やっと三人が自己紹介をする。
 テンポにきっちりと合っているので、実際に歌入れはされたと思うが、2回繰り返されるテイクは恐らく同一のものをサンプリングして使用されている。
「MOAMETALでふっ」(声裏返り)が全く同一なので判る。

 

 ライヴ映像よりも先に曲を聴いていたのだが、6分弱もあって正直なところ長すぎないかと思っていた。自己紹介や展開をまた繰り返す事も無かったのではと。

 しかし、多くの場合ショウのオープニングを飾るこの曲の、「遂に始まるぞ」感は尋常では無い事が判った。
 WOWOW放送のSSAライヴではアンコール明けだったが、この曲が進行してく毎に、胸の圧迫感を感じるまでに昂ぶらせてくれる。


 曲が始まっても、BABYMETALの三人はシンプルな動きに留まる。
 上体を大きく上下させ、両腕を上げた上体で頭を激しく振る。
 言うまでもなく『ヘドバンギャー!!』にあるモーションから切り出された振りだ。

 意味するところは明かだ。
 彼女達は設定として「ステージではキツネ様が降りてくる」と言い、ステージで何をしたのかという記憶は曖昧になっているのだと。
 この設定はしかし、演出の為に「そういう事にしておこう」と考えられたものではなく、SU-METALらが実際、ライヴにおける自分のパフォーマンスをあまり覚えていないという事実から導かれた「解釈」だろうと思う。
 中元すず香とSU-METALの差は俄には信じられない程であり、単にメイクをしているからなのではなく、全く顔つきも目の力も異なっているのは誰しも悟るところだ。
 彼女が女優であれば間違いなく憑依型アクターである。
 彼女達が普段のさくら学院生徒ではなく、全く異なる存在として驚異的なパフォーマンスをするには、『BABYMETAL DEATH』という憑霊の儀式が必要だったのだ。
 このプログラムはまさに、トランスする為のシャーマニックな装置である。


 とは言え実際には、本番直前のステージ袖で、既に彼女達はゾーンに入っているらしく、その時にはKOBA-METALも迂闊に声を掛け難い雰囲気であるらしいのだが。

 しかし、例えばSonispherのステージ・イン直前のスナップを見ると、見たことも無い観衆の数に対してなのか、少し脅えた様な顔をしていた様だ。
 それでもその後、イヤーモニターのトラブルがMOAMETALにあっても、彼女達は自分の力を100%以上発揮して、あの結果となった。やはりこのプログラムで始めれば、いつもと違う雰囲気であってもゾーンに入れたのだと思う。

20140827000805


 自己紹介パートはダメ・ジャンプを三人が跳ぶ。
 この楽曲は「BABYMETAL版ミッキーマウス・ソング」という意図で作られた。振り付けでは他の代表曲のエッセンスが導入されているのだが、この曲では裏拍で、しかも3連で跳ぶのでよりトランス性がある。

 終盤のギターソロも、メカニカルなフレーズをライヴではきっちりと再現される。
 この時BABYMETALの三人は、ステージ上をあたふたと右往左往する、ミュージカル的な動きを見せる。これも、一見滅茶苦茶な動きの様に見えて、三人の距離感は一定に保たれた計算された動きとなっている。後方など視界外への方向に小走りで身をかわす様にはひたすら驚嘆する。(『4の歌』とどちらが先に振り付けられたのだろうか。あれにも異なる狙いで同じモーションがある。)


 ライヴでの再現など考えずに作られたかの様なドラムを、青山英樹と昨年幾度か登板した前田遊野は見事に再現した。
 あの白塗りのメイクでもキツそうな表情は垣間見える。まるで中距離ランナーの様な姿に映る。彼らもまたアスリートなのだ。







 今日(日付は昨日)、さくら学院2014年度の卒業ライヴが行われ、四人の生徒が卒業した。中元すず香を含む卒業生も全員集合しており(舞台裏で)、絆の強さが改めて感じられる。

 菊地最愛と水野由結は、ほぼ5年間さくら学院の歴史と共に過ごしてきた訳で、その感慨は如何ばかりかと思う。

 BABYMETALとしても、確実に一つの節目を迎えた。
 どう考えても、これからのYUIMETALとMOAMETALは、それ以前とは異なる心理的ステータスにある訳で、そのパフォーマンスが進化する事は間違いないだろう。

2015年3月29日 (日)

『Catch Me If You Can』考

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Single『イジメ、ダメ、ゼッタイ』通常盤にカップリング
Credits: 作詞:EDOMETAL 作曲:NARASAKI



 この楽曲は歌を聴かせようという意図が薄く、振り付けパフォーマンスをメインに見せるプログラムとして企図されたと思う。
 SU-METALが歌うパートは中間部まで無く、サビの部分は短い。しかしそれだけの部分でも、SU-METALの伸びやかな歌唱は愉しめる。

『ヘドバンギャー!!』に続くNARASAKI提供曲で、私個人的には一番肌に合うサウンドだ。CDを通して聴いていて、この曲になると今でも少し昂揚感を覚える。間違いなくロックだ。

 この楽曲はインダストリアル+デジロックというコンセプトで発注された様だが、リフはやはりSlipknot <sic>をモデルにしていると思う。
 デジロックについては、シーケンスを導入するという普通な発想ではなく、ドラムにドラムンベースを被せる手法が用いられた。
 これぞハイゲインというギターのザクザク感は、初期Slipknotを好んだ私には実に心地良い。

 誰しも頭の中で突っ込んだ事だろうが、「かくれんぼ」が主題であるなら Hide and Seekというタイトルであるべきだ。
 しかし「鬼さんこちら 手の鳴る方へ」は「鬼ごっこ」と、双方の要素が歌詞には含まれる。

 この楽曲の録音にはエピソードが多い。
 冒頭、地下室のドアを開ける様な音が響き、靴音が近づいて来るSEが流れる。
 歌入れの時、このSEをヘッドフォンで聴いていたYUIMETALは非常に怖がって、プレイバックする時にはこのSEを流さないで欲しいとディレクターに頼んだのだという。
 え!? そういう年齢ではもうないのでは、と思ったのだが、とても感受性が強いのだろうなとも思った。ちなみにMOAMETALは全然恐くなかったけど、YUIMETALの為にSEは返さなくていいと同調したそうである。

 

 二人の特にAメロのラップ部は、フィックスとなった歌詞は無く、二人にも台詞を考えさせたという。クレジットには載っていないが、「4の歌」に先んじて既に二人は作詞をしている事になる。
 どの部分がそうなのか勿論私には判らないが、
「とっておきの場所を発見!」や
「いいよ!見つけられるもんなら/見つけてみなさいみなさいな!」
といったフレーズは、あまり作詞家が書きそうな言葉ではない気がする。
 本能的に作詞家は言葉を整えまとめようとするものだが、これらのフレーズはそういった遊びを実際にしている少女を想像した二人が、リズムと拍数のノリだけで生み出した様に私には思えている。
「まあだだよ」や「もういいよ」は、指標的な音階はあるのだろうが、極めて自然であり、YUIMETAL+MOAMETAL二人のシンクロ性を遺憾なく発揮している。
 過日ラジオに出演した二人の「以上! さくら学院でしたー」という挨拶が、完璧なユニゾンだったのも印象的だった。

 このトラックに於けるデスヴォイスの役割は明確で、「鬼」である。
 ブレイクの「見ぃつけたぁ」は実に効果的だ。(しかし秋田のなまはげを模したダイアローグは殆ど聴取れない)

 SU-METALはパートによって鬼の役に回ったり、逃げる側に回ったり、保護者の様な視点になったりと、その役回りが行き来する。「鬼さんこちら 手の鳴る方へ」というブリッジ部でようやく声を聞かせ、Cメロで全開となる。
 彼女の歌入れは珍しく、YUIMETAL+MOAMETALの後だった様だ。歌うところが少なくて驚いたかもしれない。

 印象的な歌詞「赤い靴 履いちゃダメ デンジャラスだもん」は、怪奇と幻想の側の人間としてはE.T.A.ホフマンの怪奇ロマン、それを許に作られたバレエ映画「赤い靴」を想起するのだが、野口雨情作詞の「赤い靴」のイメエジもあるのかもしれない。「異人さんにつれられて行っちゃった」という、良く考えると恐い歌詞については、これまで多くの「定説」と「異説」が発表されてきた。

 それにしても、「赤鬼さん(ヴォイ!)青鬼さん(ヴォイ!)」という合の手だが――、「ヴォイ」って何。
 Voidの事かなぁなどと考えを巡らせたが判らない。メタルの観衆がビート感のある演奏に上げる声は、そんな掛け声だった気もするが。


 ライヴでは、この曲のリフを利用した神バンドのソロ回しがイントロとして展開される。三人に束の間の休息を入れる為だろうが、ライヴ・バンドであるBABYMETALのリアルさを十二分に発揮する重要なポイントである。
 神バンドは割と基本的なパターンは踏襲したソロを披露するが、BrixtonでのLeda+大村孝佳+BOH+前田遊野はテンションが高く、火を噴く様なソロを見せてくれた。

※Brixtonの神バンドイントロはこの動画が一番良く判るが、歌本編はBABYMETALが殆ど映っていない。


 BABYMETALのステージ・パフォーマンスが、他の女性ダンス・ユニットなどと比べ、先ずその前提条件が異なっているのは、高いヒールの靴を履かない事だ。
 Perfumeは特に、ハイヒールで表現出来る事の限界を越える振り付けをこなしてきたが、やはり動きに制約がある事は否めない。
 SU-METALはややヒールのあるブーツを履くが(ステージで熱演する内にヒールがもげた事があるそうだ)、YUIMETAL+MOAMETALは完全に底が平面のドクター・マーチン(風)のブーツを履く。
 これによる自由度は極めて高いものとなった。

 このプログラムでは、SU-METALの躍動感に満ちたダンスを堪能出来る。
 サビの「その場で走っている」ダンスは、二次元的な、例えばギャグマンガの走っている絵をリアルに表現している様な感覚を覚えて、実にエキサイティングだ。
 しかしこの全身をうねらせて足を交互に高く上げ、しかも普通に走るのとは全く異なる方向に関節を動かすというのは、相当身体的にはキツそうだ。これを行いながら歌うのだから、SU-METALの底知れ無さを痛感する。

 途中SU-METALが鬼役となり、YUIMETAL+MOAMETALが逃げるというスラップスティックの演技があるのだが、決まった拍数の中でこなす三人はいつも完璧だ。YUIMETAL+MOAMETALがSU-METALの視界から逃れる動線は有機的で何度観ても飽きさせず、SU-METALのとぼけた演技も見逃せない。
 MOAMETALはSU-METALの股の下を潜り抜けたり、「走り」のモーションを静止させたり、「赤鬼さん」で百面相を見せたりと八面六臂の活躍をする。

 間奏部はバンドの16分音符のヴァンプを忠実に身体表現し、『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』の延長的なダンス・パートになるが、こちらには攻撃的なビートがあるのでBABYMETALらしさを横溢させたダイナミックなものになっている。このモーションは『ギミチョコ!!』で更に発展していく事になる。
 間奏終盤部は三人がゾンビ化する。
 ダンス・パートを逐一物語として読み取る事には何の意味も無いのだが、「鬼」に捕まりかけた女の子達がゾンビになった振りをして、鬼の目を眩ませ逃走に成功した、と読み取ると愉しい。(このパターンの展開はゾンビ物がオリジンではなく、ラヴクラフトの『インスマスを覆う影』だと思う)

『ヘドバンギャー!!』と同じく、この曲も実にシャープなエンディングがつく。
 腕を左右に広げる仕種はビートとシンクロして、カッコ良さを演出するが、どうもこの終盤の振りは「あっ、見つかった!」的な慌てであるのかもしれない。
 最後にはがっくりと三人は床に崩れていってしまう。
 つまりこのゲームは「負け」たのだった。
 しかしどのステージに於いても、次のプログラムでBABYMETALは復活する。




2015年3月27日 (金)

『イジメ、ダメ、ゼッタイ』補遺

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 この楽曲の受け止められ方は、日本と海外では些かスタンスが異なると思う。
 日本人ならば、このタイトルは90年代以降の警視庁による覚醒剤防止キャンペーン標語の引用である事は広く知られているし、これをもじったネタには散々接してきている。
「シリアスなメッセージソングではない」というイクスキューズだ。

 ライヴ演出の項で触れなかったが、このプログラムは最初に紙芝居(スライドショー)が映写される。日本語版では、今よりも若い声のSU-METALが朗読しており、決してふざけた口調ではないものの、「人は何故、傷つけ合うの」というかなり主題を抽象化させたもので、「ロン毛のお兄さんが教えてくれた。Wall of Death!」という展開は、そもそもそれで感動させようという意図は無く、これから苛烈なパフォーマンスをする三人に、息を整えさせる意味合いが主の演出だろう。

 昨年のワールドツアーでは、映像は同じだがナレーションが英語になった。これがSU-METALによるものなのか、私には判断がつかない。そうだとしたら、随分発音は巧い。
 ただ、ワンマンのホールならばある程度は聞えても、フェスなどではナレーションの言葉を観衆はあまり聞き取れなかったと思う。随所に挿入されるネタ画像で観衆は沸き立つからだ。
 ただ――、テキストでは明確にこの楽曲のタイトルが英訳されて表示される。

「No More Bullying Forever」

 このインパクトは相当に強かったのではないか。
 Bullying は現代では強い言葉となっている。それは世界の学校のどこにでも起こっている事であり、最悪の結末を引き起こし続けている。
 Jpop Idol+ Metalという前例の無い日本のユニットが、時にファニーな歌や踊りを見せながら、しかし圧倒的なパフォーマンスをした後に、急にこの言葉を掲げたのだ。ある種のショックはあったろうと推察する。

 
 

 この歌をいじめに遭っている当事者はどう聞いたのか。
 あるネット(非2ちゃんねる)の、BABYMETALに関するニュース記事へのコメントで書かれていたものが忘れられない。要旨はこういうものだった。

「こんな歌なんて歌って貰いたくない。いじめが悪い事だなんてみんな頭では判ってる。自分はただじっと我慢して時が過ぎるのを待っているのだ」

 このコメントが何らかの象徴であるとは毛頭思わない。ただ、こういう受け止め方をする人もいるのだとは、認識しておこうと思った。

 逆にこの歌によって気分が救われたという人は多い筈だ。


 以前にも書いてきたが、日本ではメタル好き(メタラー)は、ちょっと趣味が特異な人くらいの認識で、殊更にコミュニティから排除される様な事は無いと思っている。
 しかし欧米であると、よりマイノリティに向けられた音楽であると認識され易く、メタルというだけで悪いというイメージがつく時代すらあったのだ。

 メタルヘッズは従って、自分達の音楽を神聖化しがちな傾向にもなり、BABYMETALについては今尚、その存在を認めるか否かで埋めがたい溝が存在している。
 BABYMETALを認めなかったある若いメタルヘッズの告白がRedditに投稿されると、直後に抄訳がネットで出回った。
 そのすぐ後になって、翻訳ブログの人がレスを含めて翻訳してくれたものがある。

荒らしまくってきたヘイターがBABYMETALに恋に落ちる 【海外の反応】
Ijime_Dame_Zettaied

 投稿者「イジメ、ダメ、ゼッタイされた」のあまりにナイーヴな告白は、ある程度は理解出来るものの、一体どこがそれ程までに彼を揺さぶったのかを私はずっと考え続けている。

 何故BABYMETALが、日本語でしか歌っていないのに、海外の人々(決して大多数ではないが)の心を動かし得たのか。
 これも本試論の、可能ならば得たいと思っている結論の一つだ。

 菊地最愛、水野由結は共に、過日の公開授業にて「BABYMETALの海外での活動で、音楽は言葉を越える事を知った」とそれぞれに述べた。
 確かに音楽だから出来た事だ。

 しかし、音楽だけでは無かったのだと、私は考えている。

 一つにはMIKIKO-METALの言語的な振り付けだ。これについてはまだ一文にするだけの考えがまとまっていないが、直感的に思っている事を記す。

 彼女の振り付けは言語的(言語 Langue そのものではなく、言語活動 Langues)であり、全てを言語として理解はされなくとも、何らかを「伝えよう」としているパフォーマーと、「判りたい」と思っている観客との間にコミュニケーションを成立させているのだ、と思っている。
 ボディ・ランゲージは地域によって捉えられ方が異なり、普遍的なものとそうでないものとの落差は大きい。しかし、早いBPMの音楽をダイナミックな身体運動で表現し、時には見たこともないモーション(Catch Me If You Canの様な)に目を見張らせられる内に、YUIMETAL+MOAMETALのめまぐるしく変わる表情、微笑んだり、困惑したり、落胆したり――、そうした豊かなエモーションの表現が伝えるものは、文化・人種を越えて普遍的なものであり、実はかなりの重要度を担っていると私には思えているのだ。
 そして、これはどんなアーティストでもそうだと思うのだが、特にさくら学院由来でもある「観客に伝える」事を最重要視している三人だからこそ、サウンド面のみではなく、パフォーマンス全体で観客にアピールする事が出来てきたのではないだろうか。

 しかし、真に理解して貰いたいコアなコンセプト、メッセージであるならば、それはやはり言葉に書かなければならない。
 紙芝居は、日本での用い方と海外とでは全く異なるツールとして機能している。


『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の国内プロモーションに於けるモットーは「世直し」だった。
 BABYMETALの三人は昭和の少女の様なスタイリングでプロモーション活動をした。
 私はその時の報道を見た覚えが無い。
 メジャーデビュウとなったこの楽曲は、世間的に大きなリアクションを得る事は無かった。
 しかし、2回出演した「ミュージック・ステーション」では2回ともがこの曲を披露した。
 この楽曲は相当屈折した韜晦で正体が見え難くなっているが、込められた真意はまさにタイトル通りのものだと思う。

 それをストレートに受け取ったのは日本ではなく、Ijime_Dame_Zettaiedら若い欧米の観客、もしくは動画視聴者だったのは、皮肉ではある。

 しかし、CDをリリースして数ヶ月程度で忘れ去られる様な曲を、そもそもBABYMETALは作らない。しぶとくこの曲を演じ続けていけば、この楽曲のタイトルとそのマインドが浸透していくのかもしれない。それを期待したいのだ。

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2015年3月26日 (木)

『イジメ、ダメ、ゼッタイ』考 2

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 BABYMETALのファンにはあまねく知られているSU-METALの「ライヴは戦いだと思っている。それはお客さんとの戦いでもあり、ライヴを貫徹出来るかという自分自身との戦いでもある」という発言は、彼女達のステージを見た者ならば至極納得出来る言葉だ。
 しかし「ライヴは楽しむもの」というのが、一般的エンターテインメントとしての価値観なのであって、こんな言葉を言う若い女性アーティストはまず他にはいまい。
 しかもSU-METALはこの言葉を、じっくりと考えて出したのではなく実にさらりと言ってのけたのだった。

 BABYMETALのステージは情報量が多い。SU-METALはほぼセンターに不動だが、他の二人はめまぐるしくポジションが代わり、歌と振り付けでその瞬間、何が行われているのかを全てを同時に把握する事も難しい。更にはライヴであると、観客のリアクションが映像には必要にもなってくる。
 活動期間の割りにレパートリーが少ない事はしばしば非難されるのだが、『イジメ』という一つのプログラムに限っても、違うライヴの映像を見れば必ずや新しい発見があるのだから、これからも何度だって披露していく方が良いと思っている。

 それが可能である間には、だが。


 このプログラムが表現するものの基調はまさに「戦い」である。
 それは「いじめ」という概念に対してであり、それによって抑圧されている(当事者かどうかはともかく)人を助ける為の戦いでもあろう。

 SU-METALは基本的にこのプログラムはヴォーカルに専念する。しかしギターリフの間奏などの歌わずに動かないパートであっても、そこに立って観客らを睥睨するだけで、とてつもない程の空間支配力を発現している。
 最初はYUIMETAL+MOAMETALが次々に繰り出すショウ的な演出に目を向けられがちなのだが、それを見守りながら立っているだけのSU-METALも同様に映像的なスペクタクルなのだ。

 映像でしか見ていない私にとって、ずっと解消されないフラストレーションがある。
 プレリュードを歌った後、SU-METALはステージの両袖でクラウチング・スタートを準備しているYUIMETAL、MOAMETALとアイコンタクトをする。

Ijime_start

 その後、イントロが始まりSU-METALがスクリームすると――、上手下手から全力疾走で二人が舞台上で交差する。これは正面のキャメラがSU-METALのFF(全身)より引いた画角のフィックスで撮られるべき演出なのだ。その前を疾風の様に駆け抜けていく二人がフレーム・インアウトするところを見たいのに、そういうスイッチングをしたライヴ映像がない。関係者には猛省を促したい。
 SSAに至っては正面の適切な位置にすらキャメラが置けていなかった。
 このイントロがWall of Deathをやるべきポイントだと周知されてからは、YUIMETAL+MOAMETALの全力疾走は一層映る時間が短くなり、観客側にキャメラが振られる。

 この「全力で駆けっこをして」という指示を、YUIMETAL+MOAMETALは怪訝には思った様だが当然だろう。後にはこれが Wall of Death の暗喩であると彼女達自身が説明する様にもなるのだが、私の推測ではこれは後付けの解釈だと思う。
 このBPMで冒頭から飛ばすバンド・サウンドを如何に身体表現をするのか、MIKIKO-METALが直感したのが、「走る」事だったのではないか。
 ステージの広さにもよるが、彼女達は1往復の全力疾走をしても歩みを止めず、ステップのテンポは維持しながらフォーメーションに戻り、SU-METALと合流する。
 この冒頭部だけでも相当な運動量である。しかも長い曲は始まったばかりなのだ。

 Aメロが始まると、YUIMETAL+MOAMETALは激しく頭を振る。ヘドバンよりもこれは更にきつい。これくらいなら自分でも試せるのだから判る。しかしツインテールの髪の揺れが綺麗に舞う様はやはり美しい。

 

 BABYMETALのステージには、「お立ち台」と呼ばれる二人が乗る専用の台が置かれる。
 身長の低い二人が、観客に一層近づく出色の演出だ。(アリーナクラスだとSU-METALにもお立ち台が用意される)

 そこで二人が見せる合の手ポージングは、やはり普通のアイドル・プログラムに於ける表情作りの域を越えたもので、一言で言えばプロフェッショナルだ。
 まあ「Yesterday」にせよ「バイバーイ」にせよ、懐疑的な目で見ている初見者の神経を逆撫でする振り付けではあるのだが、音源がそうなのだから仕方ない。

 今となっては、こういうわざと幼稚的な合の手や振り付けが入る事も、「一歩踏み出すのに、そんなに構えて重い決心しなくてもいいんだよ」という示唆にも見えなくもないと思っている。


 この曲にはギターソロが2回ある。どちらもこの部分はYUIMETALとMOAMETALが擬闘を展開するパートとなっている。

 歌の合間にアクションがある、という前例は日本の歌謡界では割と多かった。股旅物の扮装をした演歌歌手が、間奏になると急に現れた敵役と立ち合いを(軽く)やるのは定番だ。
 体操の要素やローラーブレード等を用いたアイドル歌手もいた。
 しかしダンスのキレをそのまま擬闘に転用した例は無いのではないか。これまでのものは「特別な事をやってます」感を出していたが、YUIMETAL+MOAMETALのそれは違う。

 このアクション・パートは、流れ以外のディテイルを実際に考えたのは二人の様だ。
 刀を振るったり手裏剣を投げる様なアクションはしかし、若い二人のボキャブラリにあった所作だとは思い難く、やはりMIKIKO-METALのアイディアではないかと思う。手裏剣は後のミニパティ(田口華+菊地最愛+水野由結)『しゃなりはんなりどら焼き姫』にも引き継がれた。
 白眉はやはり、双方が打ち合うジャンプ・キックだ。飛距離は左程ではないが、特にMOAMETALは高さ1m近くも飛び上がる。綺麗にストレートに脚を伸ばしてだ。

 この一連のアクションを見る度、私は「勿体ない」と思っていた。
 やっている事は凄いのに、二人の距離感が遠いのだ。例えば谷垣健治氏(小中兄弟は『ミラーマン REFLEX』で世話になった)といったアクション監督を一度招いて、近接距離での身の交わしを指導して貰えばいいのに、と思っていたのだ。
 しかしこれは私の間違いだった。


 2014年初頭に代々木体育館で行われたニッポン放送主催のイベントに、BABYMETALは大きな会場では久々に骨バンド(BABYBONE)を従えて出演したが、この時の擬闘はかなり接近した迫真性のあるものを見せていた。
 何より、今年正月開けのSSAライヴ(私はWOWOWで放送された分しか観ていないが)には幾つもの驚きがあったのだが、その一つはこのプログラムで、YUIMETALが屈んだMOAMETALの上をジャンプキックで飛び越えた事だった。(GIFが貼れず無念)

 思えば私が幾度も観てきた動画は主に去年のワールドツアーのもので、その印象がどうしても強い。
 ワンマンであると会場はホールクラスでステージは狭く、すぐ後ろには神バンドがいる。そもそもアクション・パートはギターソロなのだ。 
 モントリオールやソニスフィアといったフェスであると、ステージでのリハすら出来ず、床面の状態も確認出来ていない。
 そういった状況であのバトル・シーンをあれ以上近接してやる事は無理なのだ。
 そうした判断をどこまで意識してやっているのかは判らないが、少なくとも彼女達は極めてプロフェッショナルな意識を持っているのだとは言えよう。
 どういう状況であれ、YUIMETALとMOAMETALの闘争はSU-METALの美しいハイキックで収められるのだが。

Yuijump

 それにしても、SSAでのYUIMETALのジャンプにも驚いたが、ジャンプ直前のYUIMETALのキャプチャ画像にはもっと感銘を受けた。
 もうこの表情と筋肉の張りはアスリート以外の何者でもない。トリプルアクセルを跳ぼうとしている浅田真央を想起せずにはいられなかった。

 これが可能であったのも、ステージが相応に広かった事であり、また受けるMOAMETALとの間には全幅の信頼関係が出来ているからだ。

 BABYMETALが「ガチ」であり「リアル」なのは、余裕の範疇で楽しませる一般的なエンターテインメントとは一線を画し、その時の限界を越える程までに挑戦してくるところなのだと思っている。これは本試論がもしかしたら書けるかもしれない結論の一つでもある。


 激しいところばかりではない。
 テンポがハーフになるダイアローグのパートでは、サムアップした三人が一歩ずつ近づいて触れあう。まあその直後からバトル・シーンになるのだが……。
 この部分で三人はアイコンタクトをして、最後まで頑張ろうという意思統一をしているのだと語っていた。
 でもあまりこの場面で、しっかと互いの目を見ている時はあまり無い気がする。
 気持ちの中で、という事なのだろう。


「ダメ・ジャンプ」は、X JapanのXジャンプの踏襲なのだそうだが、オリジナルを私は見たことがない。
 X Japanはこのジャンプを観客がする為に、関西の野球場での公演が出来なくなったというのを読んだ事がある。地盤があまり強くないと、その会場だけでなく隣接するビルまで揺れるのだそうだ。
 一人がジャンプする時の振動はたかが知れても数万人規模となれば、それは恐るべきものになるのだろう。
 いつまでBABYMETALはダメ・ジャンプを出来るのだろうか。

 MIKIKO-METALの音楽的な耳の良さも再認識させられる。
 この楽曲の終盤、サビ繰り返しに入る直前、SU-METALのヴォーカルの伸ばしに沿わせて薄くシンセによるコーラス(的な和音)がつく。あくまでも味付けの範疇なのだが、それに合せてYUIMETAL+MOAMETALは口元に掌を当ててコーラスをする振りをしているのだ。まるで天使の歌声の様に。
 ギターソロが終わろうとし、ドラムなどバッキングがフレーズを巻き込んでまとめていく時、二人はまたくるくると回転して、Dメロ頭でピタッと止る。これこそがキレというものだ。

 楽曲がアウトロとなり、三人はピラミッドの隊形となって――、最後の一音で両腕を突き上げ頭を上に上げる。
 可憐Girl's「Over The Future」のフィニッシュを想う人は多いだろう。

 ライヴであるとこの後に、タメてからドラム・フィルでルートの突き放しをバンドが盛大に鳴らす。
 最後のポーズを解いた時の三人は作った表情ではなく、本当に晴れやかな、やりきったという笑顔になっていて、ここでいつも癒やされる。

 We Are BABYMETAL!

 これもX Japanからの引用だそうだが、最早BABYMETALが継承した彼女達自身のものとなっているだろう。

 

 音源として発表されてから、このプログラムのアレンジも振り付けも変わる事は無かった(テレビの歌番組は除く)。当初は「小さな少女」だったYUIMETAL+MOAMETALが成長した今、同じ振り付けを続ける事には困難さもあるのかもしれない。(昨年仏公演でのこの曲は疲れている様に見えた)
 またSU-METAL自身も、相当に歌い込んできた曲ではあるが、コンディションによっては最近でも不安定な場合がある。
『ヘドバンギャー!!』でも書いたが、音源では7割程度の強度で歌っていても、ライヴとなり、二人が最後の力を振り絞ってパフォーマンスをしているのが見えていると、SU-METAL自身も気負いが強くなっていくのだろうと思う。
(SSAでの『ヘドバンギャー!!』は、SU-METALは歌う時微動だにしない態勢になっていた)

 プロなのだから常に安定した歌を聴かせる為にも、目一杯では歌わない方がいい。そういう価値観は間違いなくあるだろうし、それを実践しているヴォーカリストの方が多いと思う。歌に表情をつけるには、声にも肺活量にもマージンを残さねばならないからだ。
 しかしSU-METALはそういった技巧を使わない。多分、断固としてやりたくない訳ではなく、そうなってしまうのだと思う。
 私たちはその彼女の歌に魅せられたのだから、ASH時代、可憐Girl's時代以降、彼女を支えたヴォイス・トレーナーの判断には感謝すべきだろう。

 そして多分、SU-METALが歌う姿勢を全力にさせるのは、やはり歌詞なのだと思う。
 前項で色々と難は挙げたのだが、しかしこういうテーマをストレートに歌える楽曲は他になく、BABYMETAL以外に歌える筈がない。
 これは気持ちを押してあげる曲だと思っているSU-METALが、その気持ちを率直に伝えているこの歌い方を、誰も否定する事は出来まい。


 私が印象深いテイクは、やはりLoud Park 13と、Sonisphere 2014でのものだ。アウェイの観衆を最終的にねじ伏せるのは、やはりこのプログラムだ。
 Sonisphereでは珍しく1コーラス目が終わった後、SU-METALはニヤリと笑みを漏らしている。手応えを感じているのではないか。
 全てを完璧に構築されたBABYMETALのライヴも、こうしたリアルな手触りがあるから、言語が解らない多くの人が本物感を認めてきたのだと思っている。





 プログラムとしての論考はここまでなのだが、このプログラムが受け手側に何を伝えたかについて、補遺の項を書こうと思う。

 つづく


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 さくら学院のウェブ媒体のインタヴュウが続々上がり、いやいやどれもが濃い内容だった。インタヴュワーはずっとさくら学院を見てきた人達なのだから、それも当然だろう。

【HMVインタビュー】 さくら学院2014年度 ~君に届け~

ナタリー:さくら学院2014年度卒業生が届けたかった思い

オリコン:3月で卒業するさくら学院メンバーに直撃!“成長期限定ユニット”に迫る

動画

 そして月曜日のLoGiRLは最高でした……。

2015年3月24日 (火)

『イジメ、ダメ、ゼッタイ』考 1

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Release: 2013年1月9日
Credits: 作詞:NAKAMETAL・TSUBOMETAL 作曲:KxBxMETAL・TSUBOMETAL・TAKEMETAL、編曲:教頭 ギター:Leda

 初期のBABYMETALで製作された4曲の中の1曲。ライヴでも早くから披露されていたが、この頃のものと改めて録音された音源との違いがあるのかどうか、私には判らない。

 今尚、BABYMETALの代表曲であり、多くのライヴでラストを飾る曲になっている。

 最初から好きになれた人は幸いだが、私を含めた多くの人が最初にこの曲を聞くと、拒否反応を起こしてきた。理由は大きく二つだろう。

† 「いじめ」というデリケートな問題を、ネタ的楽曲で軽く扱ってはいないか。
† YUIMETAL+MOAMETALの合の手があざと過ぎないか。

 今となっては、私としてもこれら全てをポジティヴに捉えられているのだが、しかしその心理的状態に至るまでには相応の時間が掛かったし、今尚BABYMETALをよく知らない人にとっては、依然としてハードルとなっているのも事実であろう。
 ユーザの受容について、そこまでの計算があったのかと言えば、それは無かったと思える。

 この曲は、Aメロ、Bメロ、Cメロ全て違う人が作っており、クレジットされている人以外の要素も恐らく多分に含まれているだろう。
 そうしたバラバラな素材をアレンジャーは見事に統合し、トラックとしては何ら不自然さもないものに仕上がっている。
 これは推定でしかないが、クレジット中にあるKxBxMETALはやはりKOBA-METALであろう。彼の中で「こういう曲を作りたい」という明確なイメージがあり、それを具現化する為に複雑なプロセスを辿ってしまったのだろうとも思う。

 おそらくは歌詞についても同様なプロセスを経ている筈で、現在の歌詞はカットアップ(ウィリアム・バロウズ的な)で出来ているだろう。それ故に生まれた「曖昧さ」という良い面の特徴もあるのだが、論理的な一貫性が無いので、全体としての強いメッセージ性は生み出せなかった。

 楽曲に限らず、こうしたプロセスで作られる商業作品は多いのだが、私の考えとして基本的に無駄が多く、作家側のモチヴェーションを下げる意味でも歓迎すべきものではないと思っている。
 この20年のハリウッド映画の質的低下は目を覆うばかりだが、その最大の原因である脚本の質的劣化は、船頭多いプロデュース体制によるものが大きい。リスク・ヘッジばかりを重視するとこういう体制になりがちとなる。
 BABYMETALの楽曲は中盤以降、信頼を得ているコンポーザー/アレンジャーに任される傾向にあり、作家固有のテイストがレパートリーのヴァリエーションとなっていく。


「君を守るから」という印象的なフレーズのお陰で、SU-METALが言う「踏み出す勇気が無い時、背中を押してくれる歌」というのが正しい解釈なのだろうと思う。

 しかしこの歌詞の主題は「いじめを見ぬふりをしていた者」なのか「いじめに荷担していた者」なのか、更には「いじめをする当事者」「いじめられていた側」なのか、フレーズ毎にもブレていていて、悪い言い方をすれば「ずるい」。
 だからとて、ある部分に相当するグループ《のみ》に向けてストレートなメッセージを歌詞にしたところで、あまりに生々しくエンターテインメントとして受容出来るものではなくなってしまう。
 完成された歌詞は、寸止めの抽象化が奇跡的に成立していると思う。どこかで聴き手が「腑に落ちる」フレーズを見出せる可能性が高い。

 しかし「イジメ(ダメ)」の韻を踏ませたであろう「キツネ(飛べ)」など、度を超した抽象化もあって、全面的には支持し難い。ただ、ずっと「イジメ(ダメ)」を繰り返すと、これはこれでただの題目化となってしまい、ならば「キツネ」の方がマシだろうとも思う。

 この曲に於けるYUIMETAL+MOAMETALの合の手を私は「ヒョウタンツギ」であると思っている。ヒョウタンツギとは手塚治虫のマンガで、唐突に出てくる子どもの落書きの様な存在だ。ストーリーのシリアス度が増してくると、マンガとして息苦しくなった手塚治虫はヒョウタンツギを唐突に描き入れて自己内のバランスをとったのだった。

 そうだとしても「Say Nothing」「ポイ捨て禁止」はどうかとも思う。


 

 とにかくライヴが素晴らしいので、そちらの印象が強くなってしまうのだが、音源に戻って聴き直すと色々発見がある。

 冒頭はサビのメロディをスキャットで歌うピアノ・バックのプレリュードがある。
 アクターズスクール広島時代の中元すず香が、好んで歌っていたであろうバラードの片鱗を聴く事が出来る。
 攻撃的なギターのイントロがあり、シャウトをした後からの歌は、ライヴとCDでは全く違っている。
 CDでのSU-METALの歌唱は、7割程度の強度で歌っているのだ。そのぐらいの強度であると、彼女の声の透明感がより鮮明に浮き上がってくる。僅かにハスキーな成分があるのは、良いヴォーカリストの在るべき資質でもあるが、SU-METALはその面で理想的な声に恵まれている。
 初見の人が「ふざけすぎてないか」と思っても、SU-METALの真摯な歌声には抵抗出来ない。それ故に「どうBABYMETALを受けとめていいのか」で混乱する。恐らくそういう人がマスではないかと思う。

 この曲の歌入れは以前にも行われていたが、発表された音源の録音は2012年後半になってのものだ。YUIMETAL+MOAMETALも歌を入れ替えたと言っているのだが、どうしても私の耳には、合の手で聞かれる声が初期というか、ユニット結成時に近い時の声に聞えてならない。
 しかし終盤のダイアローグ・パートは、確かにその時期の彼女達の声に聞えて、「大人の声になったと言われた」という証言と合致する。

 BABYMETALの楽曲としては珍しく、この曲にはDメロがある。終盤の盛り上げに向けての「いとしくて せつなくて こころ強くて/これ以上 もう君の泣き顔は見たくない」のところだ。前半は手垢のついたクリシェなのだが、「こころ強くて」以降はぐっと注意を喚起する言葉になってる。
 この箇所ばかりでなく、ベタに盛り上げるアレンジが多用される。
 台詞の部分はハーフのテンポになるが、ピアノが叙情的にメロディを奏で、その直後から2回目のギターソロに雪崩れ込む。
 折り目正しく左右のギターが2小節毎交互に弾き、最後にはハモる。この音源でギターを弾いているのはLedaで、神バンドのサウンドを先ず構築したのが彼なのだろう。

 初回限定版には、元ARCH ENEMYのクリストファー・アモット(マイケルの弟)がソロを弾いたNemesis Versionが収録されたものがある。符割がちょっとハマっていない気もするのだが、強いピッキングと抒情的なフレーズはやはり存在感があって、オリジナル盤と好対照の演奏を愉しめる。

 最後のサビは、不思議なのだが半音下げた転調をする。こういう転調をする例を私は今のところ思いつかない。普通は盛り上げる為に上げるものだ。
 しかし、最初に聴いた時は「え?」とは思ったものの違和感は無く、リード・ヴォーカルのメロディが最後には3度上に上がるので充分に盛り上がるのだ。
 これはなかなか思いつかないアレンジだと思う。


 歌詞と楽曲のアウトラインについて書いたが、このプログラムは楽曲そのものよりも、ステージ・パフォーマンスの比重が高いと個人的には思っている。

 つづく






2015年3月23日 (月)

神バンドの原形

Headgod

 BABYMETALがワールドツアー第一弾に出発する直前、ファンクラブ限定のライヴを二夜打つことになったのだが、一夜目は男性のみ、コープス(死体)ペイントとTHE ONEのTシャツ着用というドレスコード有り。
 二夜目は女性のみで、赤いものがついた服着用という。

 私はスケジュールがそもそも合わないので行けないが、すぐ近くにはいるのでちょっと会場前の様子は見てみたいと思っている。

 こうしてハードルを設けないと、千数百程度のハコでのギグは不可能なのだろう。
 ワールドツアーの公開ランスルーという趣旨ではあろうが、是非映像作品として残して欲しいと願う。


 神バンドのメイク、装束は『ヘドバンギャー!!』MVが起源だ。
 15歳の少女が、どうやら早逝したらしいバンドのメンバーに祈っていると、虚空からネック・サポーターが入った筺が現れ――、サポーターが少女に取り憑くと、少女はセーラー服からV系衣装に着替えて部屋を出て行く――という筋。

 このMVの信仰されるバンド・メンバーの遺影が、長い黒髪で顔が見えず、死に装束の白無地衣なのだ。全くヴィジュアル系とは異質である。
 まあどう見ても「リング」の貞子、「呪怨」の伽耶子というJホラー的な記号であろう。
 この死人バンドメンバーはMV中にフラッシュ・インサートでも登場し、「扇風機ヘドバン」(という言葉はBABYMETALが使っているので初めて聞いたが、要は『鏡獅子』だ)を披露する。

 

 2013年、BABYMETALは先ずアンコール部だけ生バンドと競演させる事から始めた。
 レコーディング・ミュージシャンでもあったLeda以外は、今の神バンドの陣容とは異なる顔ぶれだった。
 KOBA-METALは、バンドのライヴ演奏は欲しても、BABYMETAL以外に「生きた」人間はステージにいて欲しくなかった。それ故に編み出されたのが、あのメイクとウィッグ、装束だった。

 他のジャンル音楽であると小手先の範疇であって、あまり評価される事は無かったろう。しかしことメタルでは、メイクも極めて有効なギミックであった。
 主にイギリスで活躍する日本人(+イギリス人一人)バンドFACTは、当初はノーギミックでプレイしていたが、後に能面を装着してステージに立つようになった。結果、CDの売れ行きも観客の動員も拡大したのだった。
 現在日本ではBABYMETALよりも観客動員を上回るMAN WITH A MISSIONもマスクド・バンドであるし。

 欧米のメタル・フェスで、BABYMETALがステージに上がる事が観客に許されたのは、先ず神バンドの存在としての異質さであり、更に音出しを始めた瞬間に伝わる演奏力の高さだった。その上で、アイドルが歌って踊る。これがセットでなければならなかった。
 勿論それが「ただの」アイドルの歌や踊りではなかった事が観客を熱狂させたのは言うまでも無い事だが。

 BABYMETALは確かにそうしたギミックという記号の上で生み出されたのだが、既にギミックの面白さよりも、今ステージの上にいる彼女達及び神バンドが発現するリアルなもの――、「まこと」が勝っているのだと私には思える。
 でもだからと言って、最早神バンドのメイクに意味が無いとも思わない。あのメイクをしているからこそ生まれる演奏という側面は間違いなくある筈だ。

 今度の白塗り観客ライヴは、単に見た目が異様な観客という事で終わるのなら、面白くないと思う。そういうメイクをした観客が、(決して暴力的な方向ではなく)かつて無い異様な盛り上がりを見せる事で、ステージ上のパフォーマーがこれまでにないパフォーマンスを見せるかもしれないからだ。



 BABYMETALやさくら学院が載っている雑誌をぼんやりと全部買っていたら、片手で持てない程の重さになってしまい、他の頁は読まずにスクラップをして整理した。
 卒業を控えたさくら学院の中3へは多くの媒体が取材しているが、その中で「グラビア・ザ・テレビジョン」は格段の密度と内容を誇っている。
 進行役が担任教師の森ハヤシ先生なので、かゆいところに手が届く内容だった。
 菊地最愛と水野由結がどういう出会い方をしていたのか、さくら学院のダンス・レッスンでは、みんな鏡を通して菊地最愛の表情を見て参考にしているとか、水野由結が前年の.飯田來麗が担っていた「憎まれ役」を自ら任じて振り付けの統括をしていた、とか――。
 水野由結の漠然とした将来の希望が驚くべきものだったとか。まあ色々と面白かった。
「うちら-」という言い方をしているのも珍しい。

 あ、ミニパティのマグカップが届いた。愛用している。

 

 次に書くべき『イジメ、ダメ、ゼッタイ』は、まず「いじめ」という事象とそれを扱ってきたメディア(私自身の脚本作も含む)を俯瞰しておこうと書き始めたのだが、実際書いたのだけれど(ネタでなく)、BABYMETALのプログラムを論考する趣旨にはそぐわないと考えて没にした。


2015年3月22日 (日)

怪獣文藝の逆襲

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怪獣文藝の逆襲

3月28日に、角川書店から発売となる。

怪獣と小説と映画をこよなく愛する10名の書き手たちによる総力戦!
著者:    有栖川有栖 井上伸一郎 大倉崇裕 太田忠司 梶尾真治 小中千昭 園子温 樋口真嗣 山本弘
編:東雅夫




 本日、見本が送られてきたばかりなので、私も他の方のものを読んでいない。しかしかなり熱のある本になっていると思う。

 近い時期に別社からもう1冊、怪獣小説のアンソロジーが刊行予定。こちらにも書いている。



 昨日、金子國義画伯の通夜が営まれ、御礼とお別れをしてきた。

2015年3月20日 (金)

『BABYMETAL DEATH (Short Version)』考

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Non Credits : 作詞・作曲:KITSUNE of METAL GOD 編曲:ゆよゆっぺ

『ヘドバンギャー!!』のCDシングルはエンハンスドCDとなっており、映像特典にこの曲が収録されている。

 KOBA-METALによる長ーい前振りは4カ国語になっており(内容は全く無い)、既にこの時期BABYMETALは、海外での展開に本腰を入れ始めた様だ。

「BABYMETAL DEATH!」というだけの曲とも言い難いトラックだが、かつて元気であった音楽業界で、BABYMETALがアルバム製作に力を入れるアーティストとしていたなら、こうした遊びトラックも随分作られていただろう。

 KOBA-METALがインタヴュウでも証言している通り、ナパーム・デスの有名な「ギネスにも載った1秒の曲」である "You Suffer"のオマージュ。
 音楽界にはもっと短い曲(0:00)などもあるが、ちゃんと音が鳴る曲としては最短であろう。

 本当に1秒なのか。ちょっと確かめてみた。

 こちらがナパーム・デス。

You_suffer

 ネットでは1.38"だと考える人が多い様だ。
 確かに実音が鳴っているのは1秒。プラス残響である。

 

 そしてこちらが BABYMETAL DEATH (Short Version)。

Babymetal_death_short

 これは微妙だ。実音の鳴っている時間はナパーム・デスよりほんの僅か短く、1秒を切っているのだが、リヴァーブが長めで、トータルではほぼ同じだ。

 もしナパーム・デスを凌ぐ短さを狙うなら、もっと判り易くリヴァーブを切るなどの処理が出来た筈だが、それをしなかったのは「いえ僕らはネタでやってるんで」という控えめな態度なのだろうか。

 この1秒の曲の後、長い黒味があって、ギネス本を見て談笑している三人の映像が短く入っている。ギネスを意識していた傍証にはなろう。
 しかしエンハンスドCDのボーナス映像の音声なので、実際の登録はまず無理だろうし、やはり冗談で作られたのだと思う。

 

 クレジットは無いのだが、「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」のアレンジ、サウンド・プロデューサーであったゆよゆっぺが担当した事は間違いない。次に出る、メジャー・デビュウ作「イジメ、ダメ、ゼッタイ」初回限定盤にロング・ヴァージョンが収録される事になる。


 

 ところでBABYMETALの挨拶、「SU-METAL Death! YUIMETAL Death! MOAMETAL Death! 私たち BABYMETAL Death!」という例のものだが、私には相当に抵抗感というか、拒否感が長く働いた。
 まだ好きになる前に見掛けた、クールジャパン担当大臣訪問の報道で、あの挨拶が始まると私はテレビを消した。
 昨年12月のNHK番組は、見始めてから割とすぐにBABYMETALは気にするべき存在だとは認識していたのだが、Kerrang!誌の編集室を訪問する場面であの挨拶が始まると、「あっ」と目を画面から逸らして俯いた。

 地下アイドル的でもあるが、あの挨拶のモデルはやはりPerfumeなのだろう。
 どうも彼女達は、あの挨拶をやる事で目の前の存在が狼狽えるのを愉しんでる様に思える。
 今でこそYUIMETALもMOAMETALも年齢相応に成長しているが、2011年頃の彼女達は、アイドルというにはあまりに幼く、インタヴュワーの多くが動揺しているのだ。

 私があの挨拶を平然と見られる様になったのは今年になってからだ。
 今では仕事のメーリング・リストでも「小中DEATH」とポストする様になっているのだから、慣れとは恐ろしいものだ。




2015年3月19日 (木)

『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』考


Single CD 『ヘドバンギャー!!』収録

Credits: 作詞:RYU-METAL・FUJI-METAL・中田カオス 作曲:TEAM-K 編曲:ゆよゆっぺ

Ukimi



 ダブコア(ダブステップ+メタルコア)というサウンド・コンセプトと、緩いアイドル・ソングの強制的統合は、正編に当たる『ド・キ・ド・キ☆モーニング』よりも「ちゃんと整理されている」仕上がりだ。
 一定のトーンで一貫されているので、ぶつ切りエディット感が無い。その分、ある音世界で閉じているというか、小さな箱庭的世界を構築している様な感じも抱く。

 歌詞の冒頭、イカゲソが好きなおやつだという部分は、メイトには周知されているMOAMETALが好きな間食の趣味傾向で、さくら学院内で菊地最愛はこの事に限らず、ちょっと親父っぽいところがある、というキャラ認定がなされており、「コヤジ」(小さい親父)の異名も頂戴している。
 でも私が菊地最愛に感じるのは親父趣味というよりも、小学生男児っぽさなのだ。「要らん事をする」(by職員室)というのも含めて。
 2014年度は生徒会長に(職員により)選出され、メンバーの責任を持つ立場ともなり、彼女のひっかき回し役的な場面はなかなか見られなくなっていて、新規である私は少し寂しく感じる。MOAMETALという存在は、決して菊地最愛とイコールではないが、彼女自身のある側面を誇張させて現出したのだと思えるからだ。


 さて曲に戻ると、本人達に取材して作られた歌詞にしては、あまりリアリティが無い。そもそも女の子が自分達の事を「少年少女」とは言わない。これも大人の視点で書かれた歌詞だ。
 ギャル言葉が多用され、理解は求めていないにしても、あの怪曲『もってけ!セーラーふく』程まで突き抜けられてはいない。

 この曲構成は解釈によるが、イレギュラーなものだ。明快にABC部を指摘する事は困難だが、ここでは冒頭をCメロと解釈しておく。
 続くAメロと流れは似ているのだが、Cメロは1拍の食い。Aメロは半拍の食い始まりで、トリッキーなメロディが入れ替わる。リズムはノーマルなのでズレて聞える様な錯覚を引き起こす。
 手法としては Dave Lee Roth "Goin' Crazy!"(Steve Vai)など、テクニカルなバンドに於けるギター・リフのアプローチなのであって、アイドルポップスの歌メロではない。
 しかしSU-METALは難なく歌いこなしてしまうものだから、後には変拍子の曲まで歌うに至る。

 ラスト前の「眠くなってきた お腹もいっぱい」の一節は、音源ではそうでもないが、ライヴでは極端に「眠たい」感を出した、かなり可愛らしい歌い方で、最後のCメロで切り替えていた。しかし『ヘドバンギャー!!』もそうなのだが、昨年に入ってからこうした一曲内での歌表情の変化を、SU-METALはあまり強調しなくなってきている。
 SU-METALのヴォーカルについてはまた改めて考えたい。

 YUIMETAL+MOAMETALのSCREAMINGは、独立したものは「マジ!」のみ。あとは語尾に被せる程度しかなく、この点には大いに不満があった。

 中間部はBPMもがくんと遅くなり、それまでのBABYMETALにはないダンスを見せるパートとして企図されたアレンジだ。
 何らかのストーリーを表現するものではなく、純粋なダンスの為のダンスとして振り付けられており、スローモーションなども盛り込まれている。
 ライヴではこのパートになると照明が暗く落とされてしまうので、映像では全容を把握し難い。
 意欲的な試みだとは思うが、ジャズ/ヒップホップの王道的なコリオグラフィという印象を受ける。となるとBABYMETALにはやはり不利な勝負だ。
 例えば日本でも三浦大知らが見せる、Michael Jackson直系的なダンスと見比べてしまうと、BABYMETALの三人はプロポーションの違いからしても、シンクロ性に於いてそもそも分が悪い。
 BABYMETALだけにしか出来ない振り付け、ではないと個人的には思う。

 しかし、ヒップホップを主体とした様な他のアイドルグループの振り付けとは、やはり決定的に異質であり、それは主にはSU-METALの強烈な、思い切りの良すぎるモーションがリードするからだろう。
 BABYMETALライヴ演目のヴァリエーションという面では、このプログラムは充分以上に価値のあるものだと思う。
 このダブステップ部の様な振りを、彼女達が将来とてつもなく完成度を上げる事も期待出来るのだし。

 このプログラムの最大の野心はしかし、ダブステップというよりもデス声とSU-METALのウィスパー・ヴォイスの掛け合いがあるブリッジだ。
 音源を聴いただけだとあまりピンと来なかったのだが、ライヴ版を見てやっと意図が判った。
 ライヴでのデス声部は観客のパートなのだ。デス声はガイドに過ぎなかった。

 アイドルを現場でファンが熱狂的に声援を送るというのは昭和の頃から当然あった。
 しかし、アイドルの歌と歌の合間に独自なフレーズで叫ぶコールは、「MIX」と呼ばれるものなのだと調べて判った。MIXを実行する事は「MIXを打つ」と呼ばれる。まるで宗教的な儀式の様にも思えてくる。
「MIX」は1990年代に発生し、近年ではAKB系の現場にて発展していった様だ。
 MIXはしないで欲しいというステートメント出したアーティストもいて、必ずしも歌い手側が歓迎するものではないだろう。

 MIXを調べていて驚いたのは、これが最初に誕生したのがアイドルの現場ではなく、インヴェイ・マルムスティーンなどHR/HM系のライヴ現場だったという事だ。
 その面で言えば、BABYMETALがMIXを誘う楽曲を作るという事も、筋が通ってもいなくもないのかもしれない。

 しかし、ZEPP TOKYOや赤坂BLITZの様な会場なら計算通り、観客のパートとSU-METALの掛け合いは成立するが、武道館クラスのハコになると、観客が一糸乱れず歌詞を揃える事は無理だと感じた。「キンキラリーン」だけしか聞えない。
 また、切り返すSU-METALのヴォーカルはウィスパーなので、これは流石にプリ・レコーディングを使わざるを得ず、ライヴ・アレンジをした方が良かったのではないかと思う。つまり、生声で歌うといった様な。


 MOAMETALが、SU-METAL、YUIMETALと三人揃える振りがなかなか出来なかった、というコメントをしたのがこの曲なのだが、三人揃える場面はこのプログラムにはあまり無い。やはりあれは、「いいね!」の事だったのではないかとも思ってしまう。
 しかし、やはりこの曲であるのなら、それは恐らくダブステップのところなのだろう。
 本プログラムで三人が揃うのは、盛り上げる趣旨のシャドウ・ボクシングの様な、全身に力を込めた振りのパートだ。
 こういう振りを粗暴さも無く見せられるBABYMETALは、やはりオンリーワンである。

 冒頭近く、MOAMETALとYUIMETALが腕を伸ばしてSU-METALを囲む。これは後に出てくる「私ん家」の「ち」で再び同じポーズとなり意味が明かされる。まさに家を形作っていて、SU-METALがその中にいる事を極めてストレートに表わしているのだが、あまりに律儀過ぎて最早ギャグである。

 KOBA-METALがBABYMETALを構想した初期のイメエジ、「SU-METALの周りを天使が舞ってる様な」を最も実感出来るのはこのプログラムだ。『君とアニメが見たい』ではSU-METALを苛んでいた二人だが、このプログラムではSU-METALの周りを楽しげに舞い踊っている。

 正編『ドキモニ』とは実のところ、あまり関係が無い展開、歌唱をしてプログラムは終わろうとするのだが、YUIMETAL+MOAMETALは「さあもう寝ましょう」と言わんばかりにSU-METALの両手を持って前方(ベッド)に進み始め、『ドキモニ』と同じく「敬礼」のポーズで締めるのか――、と思わせるフェイントを噛まして、最後の音で後ろに向いてのフィニッシュとなる。

 自己パロディをする時期としては早すぎると思わないではないのだが、しかし観客に背を向けて終わるアイドルの曲という意味では野心的だ。







2015年3月17日 (火)

金子國義画伯逝去

Kaneko_kyoufu

 私事でありブログの趣旨とは異なる事だが、私が自由に書ける場はここだけなので。

 金子國義画伯が亡くなられた。
 先日までパーティなどにも出られていたそうなので、まだまだお元気なのかと思っていた。

 昨年出版した「恐怖の作法 ―ホラー映画の技術ー」という本のカヴァーに、金子画伯の絵を使わせて貰ったらどうか、と言ったのは友人でありセカンド・デビュウ作「妖都」の装丁を自ら会いに行って頼み込んで以来、懇意にしていた津原泰水氏だった。
 本にも書いた事だけれど、私の様な存在が金子画伯の絵をカヴァーに使うなど、おこがましいにも甚だしいと言ったのだけど、一昨年暮れに少しお会いさせて戴き、快諾して下さったのだった。
 他人の本のカヴァーを実質的に装丁されたのは、恐ろしい事だが「恐怖の作法」が最後となってしまったのだ。とても大きな責任を負ってしまった気分だ。


 画伯は亡くなられても、画伯が遺した絵はずっと愛されていく。




2015年3月16日 (月)

WOWOW 「新春キツネ祭り」放送

Wowowssa

 テレビの放送をこんなに心待ちにする事など、もう十年以上は経験していなかった。
 始まってからは、完全に入り込んで見てしまっていた。
 途中の過去ライヴ映像集が入るまでは。

 前半を見た限り、BABYMETALの三人の進化ぶりは間違いなく見せつけて貰った。
 前半を見ている時の自分の昂揚ぶりは、BABYMETALを知って以来でも最高なものだった。

 それだけに番組構成には落胆させられた。
 後に商品化するといった理由はあるのだろうが、今回の放送の為に契約した人も多い筈で、判断には疑問が拭えない。
 私はSUMMER SONICの映像を放送では見ていないので、これは別途に放送して欲しかった。

 後半、3曲を再び放送したのだが、一度冷静になっているので、ライヴの一連の終幕という気持ちでは見られず、前半の様な昂揚感は得られなかった。

 ライヴ映像として見ると、隙が無い編集だった。寧ろ隙が無さ過ぎた。
 プログラム構成に沿ってここはSU-METAL、ここはMOAMETAL、ここは観客と、入るべきものがきちんと入っている。キャメラ毎の映像を中継車でスイッチングせず、全てを後で編集しているのだろう。
 しかしこの方法であると、ライヴならではの臨場感、ドキュメンタリ性が薄くなっていくのだ。意図せずに入り込む様なアングル、観客のカットイン、パフォーマーの表情、そうしたものが入らないとどうしても物足りなく感じてしまう。

 画面のコントラストが弱く、ラティチュードが低いのもずっと気になった。途中で望まれぬインサートされたLOUD PARK 13の映像が最適な画質だったと思う。
 SSAのライヴは、従来よりも照明の光量が上がっていたという感想を何処かで読んだのだが、いや全然暗いと思った。
 あれでは神バンドのインサートを入れようという演出側の動機も無くなってしまう。

 これはBABYMETALのライヴ映像でずっと感じていた事だが、現場では良い雰囲気かもしれないが、映像で残すならもっと明度を上げるべきだと思う。
 一色に潰す演出も多過ぎる。

 昨年の海外フェスで、照明の力が殆ど無い昼間屋外のステージこそが、BABYMETALのパフォーマンスの魅力を100%見せられていたのだと、私は固く信じている。

 音声も低域があまりに薄かった。音量はWOWOWでのライヴ放送の水準なのだろうが、ダイナミックレンジもあまり無い。
 後半のギターがやたらにクリアに聞え、ライン100%(アンプの音は無視)な感じで違和感はあったのだが、しかしどんな巧みな演奏であるかはよく判った。

 5月に再放送があるらしいのだが、これが完全版となる可能性は薄いと思う。

 見終わった時は、なんとも言えない気分だった。どちらかと言えばマイナスの印象だ。

 しかし少し時間が経つと、前半を見ている時の気持ちを思いだし、やはり素晴らしいステージだったとは思えてきて、まあいいかとも思い始めた。

 

 5月の幕張ライヴのTHE ONE限定チケットは、待遇の不明な「超Mosh'sh Pit」(アリーナの倍額)だけ応募し、落選した。
 がっかりでもあり、ホッともしたのが正直なところだ。


2015年3月14日 (土)

『ヘドバンギャー!!』余話

 論考ではなく、関連して思った由無し事など。

† マイクスタンドとコール&レスポンス
 このプログラムでのみ、SU-METALはマイクスタンドを装着して歌う。脚部が無い上半分だけのものだ。彼女が持つスタンドは様々にデコられていて、映像ではとても効果的なアクセントになっている。
 YUIMETAL+MOAMETAL聖誕祭では、このマイクスタンドを受け渡す「儀式」の演出があり、粗いファンカム動画を見ていても鳥肌が立った。

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 半分のマイクスタンドで想起するのはやはりフレディ・マーキュリーだ。
 ライヴエイドで奇跡的に復活して以降のクィーンは、それは格好良かった。
 ウェンブリーでのライヴで、彼はあまりの観客の多さと熱気に気分を良くし、「バナナ・ボート」の一節を観客に歌わせる。
 それまでロックのミュージシャンには、コール&レスポンスの様な観客とのコミュニケーションは避けられていた。「バナナ・ボート」はハリー・ベラフォンテという一世を風靡したエンターテイナーの持ち歌だった。コール&レスポンスはソウル・ミュージック、R&Bのコンサートで試みられるもので、ロック・ミュージシャンは観客に媚びる事を忌避していたのだ。
 しかしそうした価値観を無視したのがフレディだった。

 観客と一緒に歌うというシンガロングも、昔はフォークソング・シンガーのコンサートなら許されても、ロックでは有り得ないものだった。例外的にThe Beatles 及びジョン・レノンのソロ活動ではあったのだが、ロックの基本姿勢はマッチョであり、「一緒に歌う」というカルチャーは無かった。

 しかし時代は変わった。
 BABYMETALの「Road To Resistance」は、シンガロングが好きな海外の観客を意識して作られた曲だが、実のところ、歌わせるパートをわざわざアレンジに組み込む必要は無かった気もしている。
 海外のライヴ観客は、Deep Purpleの "Black Night" のギターリフですら歌っているのだ(前に触れたJon Lordメモリアル・ライヴでの事)。彼らは何でも歌いたかったなら歌ってしまう。
 Brixtonでのライヴで、2階席の観客が「ギミチョコ!!」のシンセのフレーズをきっちり歌っていたのには苦笑してしまった事も思い出す。

「Road To Resistance」については、今度のSSAライヴの放送を見た上で、改めて考えようと思う。

† 失神パフォーマンス
『ヘドバンギャー!!』ライヴ演出での、銅鑼叩きについては論考でも触れたが、ライヴの最中にアーティストが失神するというパフォーマンスは何もX Japanの専売ではない。
 1960年代に日本を席巻したGS(Group Sounds)ブームでは、まず観客である熱狂的な若い女性がバタバタと倒れたが、ステージでも歌い終えたシンガーがよく失神したものだった。

 しかしこと「様式」として見るなら、やはりファンクの帝王、ジェームズ・ブラウンのステージングが最高峰である。
 それこそエネルギーの塊の様な、汗臭くキレのあるダンスをしつつ熱唱したJBは、最後の曲になると力尽きて身を屈めてしまう。するとMCがすかさずガウンを掛ける為に駆け寄る。そのまま力なく舞台袖にゆっくりと向かうのだが――、おもむろにガウンを脱ぐや、再びエネルギッシュに歌う。これが数回繰り返される。毎回だ。もう何十年もそれを続けた。様式とはそれ程までに高めるべきものなのだ。

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2015年3月13日 (金)

『ヘドバンギャー!!』考 3

 これまでに書いてきた論考で、勘の良い人ならば私がどう結論づけようとしているのか、既に察しているだろう。
 この曲のヒロインは、ステージの上で激しくヘドバンをする彼女達自身そのものであり、強い言葉で退けているのは、弱い気持ちを抱くもう一人の自分自身だ。

 ここまでは、私の論考など読まずしてそう直感出来る人もいたと思う。


 このインタヴュウを読んでも、そういう様な意図である事は明かされている。
 しかし、ただそういう見立てだと単純に、このプログラムの構図をを受け取れるものだろうか。

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 当初の立ち上がりでは、「こういうイメエジ」という仮想的なモデルを設定し、三人にそれに沿わせたパフォーマンスをやらせていた事は間違いない。三人はポテンシャルが高く、どの方向にでも順応したであろう。
 2曲目に作られた『イジメ、ダメ、ゼッタイ』と『ド・キ・ド・キ☆モーニング』はBABYMETALの指向する両極としてのひな形となった。既存のアイドルとの整合性は未だ維持されている。楽曲やパフォーマンスとしてのアイドル性は今尚重要な要素であるし、BABYMETALと不可分だが、ことライヴ・パフォーマンスの局面に於いて、既存のアイドルとは絶対的に、また単純に異なるものとなる。

 勿論それは激しく凄まじい運動量の振り付けだ。


 単純に暴れるだけであればアドレナリンでその場は乗り越えられるだろうが、彼女達は既にプロのステージ・パフォーマーであり、キレや緩急を制御しての振り付けをこなすのだ。私が知る限り、彼女達の様なパフォーマーは日本はおろか、世界を見回しても思い当たらない。

 2曲だけの持ち歌で、さくら学院の部活として、時に単体でのライヴ出演をこなす期間、たった2曲でも慣れない間は相当に疲弊した筈だ。
『ドキモニ』の軽いヘドバンであっても、ヘドバンはヘドバンでありダンスでは本来ない。相当な比重の頭を激しく振るのだから、頸部には大きな負担がある。
 しかし、メタル音楽をパフォーマンスする上で、振り付けからヘドバンを外す事は有り得ない。彼女達は少しずつ慣れるしかなかった。

 

『君とアニメが見たい』の項でも書いたのだが、初期プロジェクト期は「怒られたい」というくらいに、プログラムには極端な表現が指向されていた。しかし、さくら学院の美点でもある品の良さを素地にした三人が、「いかにもメタルやってる感」を出したかの様なキャラ設定を演じる事にはそもそも無理があり、選択肢には無い。
 となれば、プログラム・パフォーマンスそのものをエクストリームにしていくしかなかったのだ。そして、パフォーマンスの最中は実際そうである様に「キツネ様が降りている」のだと。

 MIKIKO-METALは既にマキシマム・ザ・ホルモンでメタル系楽曲の振り付けを経験していたが、それでも彼女のそれまでのキャリアで、早いBPM、激しい曲調が中心となるユニット自体を振り付け・演出するのは初めてだった筈だ。ダンス・ミュージックでは可能なモーションが不可能になっていくのだ。
 しかし彼女は至って自然体で、初めて触れる様な曲調からも普通にイマジネーションを喚起して、BABYMETALだけでしか出来ない様な振り付けを生み出していく。
 そして三人、特にYUIMETALとMOAMETALの適応能力の高さを見出すや、ハードルを次々と上げていったのだ。
 KOBA-METAL、MIKIKO-METALの「当初の思惑」は、数割増し、もしくは倍増したものを三人が実行する事で、次第にエクストリーム度を上げていったのだと思う。
 普通のアイドル、さくら学院であれば要求される筈のないハードなプログラムを続けていく事に、足踏みをする瞬間はあっただろうと想像する。それは決して責められまい。そんな事に挑戦した者は全く前にはいないのだから。

 しかし彼女達は自分自身の意思でその道を行く事を決めたのだ。
 この時期、既にBABYMETALの三人は「メタルとかよく判んないけど、とりあえずやらされている」ものではなく、三人それぞれの自己表現としてのBABYMETALが彼女達自身によって「選ばれた」ものになってきていた事は明言しても良いと思う。

『ヘドバンギャー!!』が作られたのは、そういう時期だったのではないかと私は想像しているのだ。
 しかしそれは困難の道であり、後の『メギツネ』に歌われる「女は女優、顔で笑って心で泣いて」という歌詞に共感する事にもなっていくのだが。



 SU-METALが「15歳の声」でのサビ頭を歌うと、すぐに三人が「BABYヘドバン」と彼女達が呼ぶ横方向ヘドバンをする。最初にここを見た時、私が想起したのが「狂気」の語だった。彼女達は歌いながらジャンプしつつ横ヘドバンと「バンバンババン」を繰り返す。
 この「バンバンババン」が『8時だヨ!全員集合』OP『北海盆歌』の引用である事は論を待たない。MIKIKO-METALが屈折しているのは、「バンバン」でドリフを想起するなら、普通はED『いい湯だな』のそれににするのだが。

 このヘドバンの様なアグレッシヴな振り付けを繰り返すと、踊り手はトランス状態になるのだとMIKIKO-METALは述べている。ヘドバンによるAltered States of Consciousness――、変成意識に自らを投じて彼女達はナチュラルなトリップをする。何処へ――


 このプログラムは振り付けの多くを前の二人に委ねて、SU-METALは歌に専念する。しかし実は振り付けはなくとも、ずっと激しく身体をグラインドさせ続けているので、かなり疲れる歌い方をしており、ライヴによっては息を切らしてしまっている。
 前方の二人の頑張る姿が視界の中に在って、彼女は鷹揚に歌ってなどいられないのだと思う。『イジメ』でもそれは顕著に見て取れる。

 初期は「のけぞり」であまり三人は綺麗に揃っていなかったのが、昨年には鏡で見ているかの様に揃える様になっている。

 Bメロで二人は両手両脚を広げたジャンプを繰り返す。最初はあまり高くなかったのに、段々と本気で高く飛ぶ様になる(ふくらはぎがヤバいと証言している)。
 泣き虫の奴らに「消えろ」という時、YUIMETALとMOAMETALは鼻をつまんで“弱い者”を追い払う。その対象とは前述の通りだ。

 サビ部、二人は挑み責め立てる様な気迫のこもった振りをする。最早(仮想の)ステージの上の存在に気を送る、というレヴェルではなく、自身を気迫でせり上げている様なアクションだ。
 この間二人は一切後方のSU-METALを見ないが、彼女達が気迫を送っているのは背後で歌うSU-METALなのだと私は思っている。彼女達は互いに支え合ってこのプログラムを完遂しているのだ。

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「伝説の黒髪を」の部位で、YUIMETALとMOAMETALは自分のツインテールをかき上げ、もう振り付けの範疇を超えた表情の演技をする。このアクションは自分達が提案して採り入れられたものである事は知られているが、この表情も指示されたものではあるまい。今に至るまで、どうしてこの二人は表現する能力以上に、そもそも何故そういう表現をしようという指向性をこの段階で持ち得たのか、私には見当もつかない。

*YUIMETAL GIF

 献身的な激しい踊りの直後、「ひらり、宙に舞う」で二人は浮遊する。しかしその直後にSU-METALのシャウト「ヘドバンギャーーーーーー!!」が叫ばれると二人は、1回目ではSU-METALにひれ伏して土下座をし、2度目では驚いた体(てい)で数m飛び退く。しかしすぐにヘドバンのフォーメーションに復帰する。この間僅かに6拍。凄まじいとしか言い様が無い。
 MIKIKO-METALが「ここで飛んで」と振り付けの指示をして、二人がそれを実践すると「えっ? そんなとこまで飛んじゃうの!?」と驚いたというエピソードがあるが、それはこの部分の事ではないだろうか。

 何故YUIMETALとMOAMETALはあの様な振り付けをこなせるのかという問いに、MIKIKO-METALは「子どもだから、体重が軽いから可能だ」と述べていた。
「なるほど、確かにそれはそうなのだろう」と得心した一方で、私には不安が生じた。
 では一体いつまで、彼女達はあの様なパフォーマンスが可能なのだろうか、と。

 しかしこの談話は2013年7月(雑誌発行日)以前のものなのだ。
 身長が150cmを越えた昨年であっても、YUIMETAL+MOAMETALの振り付けが鈍化する事はなく、寧ろ大きい身体表現となって見栄えは一層増している。初期プログラムの子どもっぽい愛らしさは全く損なわれていない。
 勿論これが可能となっているのには、見えないところでの努力が積まれているからだ。筋トレ等含めた身体メンテナンスは相当に必要な筈だ。写真で切り取られた彼女達の肢体は筋肉質となっている。

 今、私達がBABYMETALのパフォーマンスを観られているのは、ある種の奇跡なのかもしれないとすら思う。

 このプログラムはドラマティックな展開をする部分で、傀儡(操り人形)振りの部分が幾度も繰り返される。まるで操っていた糸が切られたかの様にだらりと腕を降ろす。
 この意味を私はずっと考えていた。特別な意味はなく、ロボットダンスの様な振り付けのクリシェだと言えばそうかもしれない。
 しかし、1度目のこの部分の後、彼女達は徐々にゾンビの様に復活していく。
 全ての要素をひたすらエクストリームにしていくKOBA-METALとMIKIKO-METALが糸の操り手だとすれば、BABYMETALの三人はそれによって踊らされているのだが、しかしサビの部分はどう見ても彼女達自身の意思で動いているのだ。
 操り手から離れ、躍動していく彼女達自身の姿を見ることはそう困難ではないという気がする。でも、曲の最後、エンディングが流れると彼女達は再び傀儡となって糸を切られ命を失ってしまう。

 この終わり方も時間に余裕のあるライヴ版では更なる物語が追加される事になる。

 ライヴ版では、冒頭に古典怪奇映画調の前奏曲がつき、その終わり尻直結にSU-METALはノーカウントでサビ頭を歌い出す。
 モニタだけにカウントが返されているのだろうが、同じキーとは言え全く別曲から突然歌いだすというのは相当に難しい事だ。
 YUIMETALとMOAMETALの振り付けがエクストリーム化するのと併せて、リード・ヴォーカルにも難度の高い歌メロばかりではなく、エクストリームなハードルが次々と立ち上がる。
 中間のブレイク・ダウンは観客への強制ヘドバン・パートだが、大規模な会場であるとYUIMETALとMOAMETALはCO2ガス銃を観客に見舞う。

 エンディングで事切れたかと思われた彼女達だが、自身の意思で、苦しいながらも動ける事が判る。YUIMETALとMOAMETALに託されたSU-METALは、最後の力を振り絞って階段を昇り、そこにある銅鑼目がけ、渾身の力でマレットを振り下ろす。鳴り響く銅鑼の音でこの世界は消滅する――。

 最初にこの演出を見た時、私にはすぐにこれが何らかの様式を踏襲したパロディである事は察知出来て、可笑しいものだと見られた。どの時のものか忘れたが、SU-METALは銅鑼をジャストミート出来ず、あまり良い音が出なかったのもある。(X Japanが引用元)

 まあこの物語の終幕は、BABYMETALの三人自身の運命との紐付けは不可能というより、すべきではないとも思う。渾身の(コント的ではあるが)演技で観客を愉しませてくれているのだ。それに素直に感謝したい。

 ドラマティックな曲である為か、このプログラムのパフォーマンス史には多くの記憶される出来事があった。
 昨年のYUIMETAL、MOAMETALの誕生日に開催されたフランス、ドイツの公演では、2番のBメロ以降を彼女達がそれぞれに歌った。
 一度だけ披露された Night of 15 mix は、ダンス・ミュージックにアレンジされたものを、三人は純粋にダンス・プログラムとして演じたもので、彼女達自身は気に入っている様だが、私にはかなり物足りないものだった。
 そして昨年3月の武道館公演初日には、観客煽りの最中にYUIMETALが落下する事故があったのもこのプログラムだった。

 ベスト・アクトを選ぶのは困難であるが、特筆すべきパフォーマンスがある。
 さくら学院の2012年度卒業公演、中元すず香が卒業する時のパフォーマンスだ。
 BABYMETALの衣装は着ていても、メイクアップはさくら学院のままの三人は、骨バンドすらもいない三人だけでこのプログラムを演じきった。この時のコンセントレーションには鬼気迫るものがあった。




 

 あまり引っ張るつもりはなかったのだが、やはりこの曲は大きな存在だ。
 私が想うところを書き出してみたのだが、途中でエディタがフリーズしてしまい(こんな事WindowsXP以来ないのだが。なんか元凶はWinodows Updateな気がする)、一度書いた部分を改めて書き直したりしているので、幾つか漏れているかもしれない。
 ともあれ最後までお読み戴き感謝。

※YouTube版をコメントで教えていただきました。感謝。

2015年3月12日 (木)

さくら由来

 CDショップ大賞に選んでくれた事もあり、新宿に出たので久々にTOWER RECORDS に寄って、店頭にてBABYMETALのCDを買った(何枚目だ同じものを……)。「絶対可憐チルドレン」のシングル(未だ在庫あったのかという)と、「Japan Idol File 2」(6枚組3700yen)も。
 BABYMETALの特典ステッカーはまだまだ随分の枚数分がある様だ。黒字に白ロゴなので、まあ有り難みは少ないデザインなのだけど。

 過日某掲示板で「さくら学院は地下アイドルじゃない。深窓のアイドルだ」という書き込みがあって、ひたすら唸った。さらっと凄い表現を書く人はいるものだ。露出が少ないというマイナス面も含めて的確だと思った。

 さくら絡みで言えば、最近で最も印象的だったのは豊洲の野外ステージのイベントが、雨天によって第一部が中止になってしまった後の事。
 職員室のお知らせツィートに、卒業生の佐藤日向が「おおっと 出遅れてしまいましたが 2時までには晴踊りを踊っておきます」というリプをした。
 第二部は辛うじて可能なコンディションとなり、卒業間近い四人を含めた全員がパフォーマンスする事が出来たという(私は写真だけ見た)。
 離れた場所にいても絆があるのだな、と素直に思えたのだった。

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 LoGiRLを見ていて思うのは、さくら学院の生徒らはちょっと見ていてハラハラする程に無防備だという事だ。さかんに「キャラ」という言葉は口に出るものの、どう見てもキャラを作っている生徒は誰一人いない。
 LoGiRLで緊張するのは結局のところ、単に「慣れていない」だけだったらしい。
 TOWER RECORDS のイベントでも公開授業でも、父兄が目の前にいると安心感もあるのか、大胆な言動も飛び出す。

 BABYMETALはさくら学院とは全く違うロジックのプロジェクトだと、最初は思っていたのだが、実は相当な部分がさくら学院由来である事が判ってきた。
 プログラムのパフォーマンス中以外は、特にキャラを作って喋る事は決してしない事もそうなのだろう。BABYMETALでMCをしない方針は良い判断だったと思う。
 他に、ちょっと豪華にステージを演出するなら、ステージ奥に2階部分と階段を中央に設置するとか。
 やたらと先生(スタッフ)が生徒にサプライズを仕掛けるのもそうだ。
 最初の海外ツアー計画を三人が知ったのがステージに出る直前、観客と同時に紙芝居だったというのは、驚くというよりちょっと呆れた。
 しかし三人は割と「そういうもの」だと受け容れていて、それはさくら学院以来の一種の伝統の様に捉えているのかもしれない。

 

 とっとと『ヘドバンギャー!!』の項を書き終えたいのだが、このブログは個人的愉しみというか、私にとってはクールダウンの意味もあって、殆ど推敲しないで書いてきた。しかしそろそろガタが来始めた記憶力だけに頼って書いていては、訂正の嵐になってしまう事が判明したので、資料に付箋をつけて読み直している。これじゃあ仕事と変わらないなぁ……。いやでも趣味とは言え精度は上げるべきだ。

2015年3月11日 (水)

『ヘドバンギャー!!』考 2

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 承前

 その前に。
『君とアニメが見たい』の論考についてのコメントで、女性のオタクについての視点について書かれた方がいて興味深かった。

 当然ながら、特にアニメでは女性のオタクも男性同様に多いのは承知しているのだが、最も濃い部類の人達を考えると、随分と男性のそれとは受容の仕方が違うのではないか、という個人的感覚を得ている。作品やキャラクターとの距離感とか、関係の持ち方についてであるが。

 BABYMETALのファンはというと、男女比では圧倒的に男性が支配的だと思う。他のアイドル・グループ的存在であると、結構な比率で女性、特に小中学生がマスに含まれる事が多いのだが、BABYMETALはまだコアなファンがじりじりと増えている段階だろう。
 BABYMETALが国民的なアイドルとして認知されて欲しいかというと、それで失うものが多いなら目指さなくてもいいのでは、と個人的には感じているのだが。
 でももっと「普通に可愛い」と好きになる女性が増えて欲しいとは強く思う。


 女性のファンという事で言うと、有名な男性のみ扱う芸能プロのファンは案外身近にもいるし、ファン・コミュニティの中で「やらかし」という存在がいるのだ、という事も不名誉な事件を契機に一般の人には認知されている。
 しかし「バンギャ」はどうだろう。
 バンギャの存在が注目を集めたのは、5,6年、いやもっと以前ではなかったか。
 ビジュアル系バンドそのものが、ゴールデンボンバーという存在自体が自己パロディ的なエアバンドの登場によって、一般にも認知されるのと同時に、ある種の熱がシーンとして薄れた気がしてならない。
 勿論今もアクティヴな人達はいるのだろう。でも「バンギャ用語」をネットで探すと、それらが書かれたのは大抵2007年辺りなのだ。

 告白しておくが、私はビジュアル系のバンドの音をまともに知らない。LOUD PARK 14でのthe GazettE(土下座ヘドバンの祖)のライヴ・パフォーマンスを見たけれど、マーティ・フリードマンが宣う通り、メタルと何の違いがあるのか、またマサ・イトーはビジュアル系がLOUD PARKに出演する事について、何故ああも神経質になったのか、さっぱりと判らなかった。彼らの演奏はとても立派だった。
 またBABYMETALには数々のオマージュが仕込まれているX Japanについても、演奏を見たり聴いたりした経験はなく、これからも聴かないだろう。これは単に音楽性の趣味の問題だが。

 

『ヘドバンギャー!!』の歌詞は、少し複雑な構造だ。
 素直に読むと語り手は18歳。15の時に初めてバンギャ・デビュウを果たし、荒波を堪えていっぱしのバンギャとして存在を確立している。この二つの時制をSU-METALは行き来し、声のトーンを使い分けて歌う。
 現時性の年齢は詐称なのかもしれない。「青春18きっぷ」は別に18歳だけが買えるものではない。
 この曲はSU-METALが15歳を迎える時に作られた事から、15歳という時制の方が重要なのは当然だ。

 しかし、15歳の経験としては苛烈に過ぎないか。
 一回だけあるAメロは、バンギャ用語の羅列である。
「ドセン」(ド・センター)「直立不動」「のけぞり」――、
 あとの二つをYUIMETAL+MOAMETALはアクションで見せてくれるが、
「逆ダイ(ブ)」「柵ダイ」「転ダイ」「折りたたみ」についてはもう、「からの!」という合の手に専念し、最早これらのジャーゴンの意味を伝えようという意思は放棄される。
 ダイブというのは観客がステージに飛び込む行為を、観客視点から表した言葉だ。普通はアーティストが聴衆に飛び込む事を言う気がするが、ビジュアル系現場でそれは「逆ダイ」となる。まあそれはそうか。
 しかし多様なヴァリエーションでステージにダイブしたいという観客心理は、私には到底共感出来ないものなのだが。

 Bメロ「15の夜を忘れはしない」の歌メロは、アイドルが歌う現場でファンが声援を送る「パンパパンヒュー」(PPPH)が乗り易いリズムになっていて、それはそう意図されて作られた。
 NARASAKIという作曲家が、とても人間的に面白い人である事はこのインタヴュウで判る。彼がPPPHを導入する事について、どれだけの葛藤があったかを想像してみるだけで、申し訳ないが笑えてしまう。
 ところで彼は往年のアニメソングを自身のルーツと宣言しているので、前回の「バンバンババン」への私の類推はやはりそうだろうと思っている。(真相は私には不可知だ)

 BABYMETALのライヴは既に、牧歌的なPPPHが打てるものとは別次元に至っている。


 SU-METALの歌唱は、激しさはあっても殊更に攻撃的ではない。感じるのは「今、自己がこうしている事に対する確信性」の強さだ。
 言葉では攻撃的でも、二度目の「消えろ」はウィスパー・ヴォイスで処理されている。これはとても象徴的な事だと考えている。

 この曲にはブレイクが多い。半拍~数拍、音が途切れる。一貫した曲調ではあるが、パート、パートの切り替えがドラマティックで、これはKOBA-METALの指示であろうと思う。
通常のプロデューサーだけの関わりではなく、ライヴ・ステージというアウトプットを見据えた総合的な演出意図だろうが、シンバルの位置まで指定されるとなれば、編曲者としても複雑な心境となっただろう。クレジットで編曲者はNARAMETAL(作曲クレジットはNARASAKI) としたのは、彼のメタルネームというよりも、「NARASAKI + KOBA-METAL」というのが実相だろう。

 私がこの歌メロで最も感銘を受けたのは、各コーラスの最後「ひらり、宙に舞う」だ。
「ま・う~」の最後の伸ばし音は収まりの良い高さへも、ルート近くにも降りず、浮遊的な高さだ。
 現在の心境が、「これでいい」という自己肯定、自己完結しておらず、これからの行き先を自分では見出せなくとも、どこに行こうが自分というものはそれに負けないのだ、というニュアンスを聞き取る事が出来る。歌詞と整合された秀逸なメロディだと思う。


 メロディ、楽曲としての在り様は判っても、歌詞には依然疑問がある。

 伝説的な黒髪を振り乱し、バンドを追って日本中を巡り、15歳の時の屈辱を忘れまいと誓い、今の狂乱的な状態は決して長く続かないという刹那さも抱き、泣き虫など消えろと叫ぶ。
 そういうバンギャの人もいるのだろう。
 SU-METALは以前、バンギャの人から「とても共感する」という手紙を受け取って喜んでいた。またある掲示板では、「こういう歌詞はバンギャを怒らせる」という書き込みに対して、「あたしはバンギャだけどすごい好き。YUIちゃん可愛い」という反論を書いていた。
 一定のリアリティは確保されている。
 しかし――、あまりにも共感出来る層を局地的に限定させ過ぎてはいまいか。
 他ジャンル、音楽に限らずだが、ファン心理としての敷衍化はまず不可能だ。

 何より「泣き虫な奴はここから消えろ」「邪魔する奴は即座に消えろ」という他罰性、排他性のメッセージは、一体誰に向けられたものなのか。
 そもそもバンギャ心理を描く上では不可欠な筈である対象、自分が好きで追っているステージ上の存在について、この歌詞では一切触れられてすらいないのだ。


『ヘドバンチャー!!』はヘッドバンギングとバンド・ギャルの歌であって、バンギャがヘッドバングする様を表わす、という読み方は間違っていたのだ。
 主体はヘッド・バンギングの方であった。

 やはり振り付けと、そのパフォーマンスを総合的に見なければ、このプログラムは理解出来ない。

 あと1回で終わるのか……?
 つづく


2015年3月10日 (火)

CDショップ大賞受賞

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 全国のCDショップ店員が選出するアルバムとして「BABYMETAL」が大賞を受賞をした。
 本屋大賞の音楽版なのだろうが、より現場的な感じの賞の様だ。
 YUIMETALとMOAMETALは「LoGiRL」の放送があるからか不在だったが、1月のライヴ以来初めて、SU-METALが受賞の為に姿を見せてくれた。

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 何より、本人がものすごく嬉しそうにしているのが見られて、こちらも嬉しかった。

 授賞式自体は極めて質素だったが、受賞の報道はかなりの規模で配信されており、これでまた「BABYMETALって何だろう、聴いてみようか」というきっかけとなる人が増える事を期待したい。







 と、ここでまた告知を。
 3月15日と言えばWOWOWでBABYMETAL「新春キツネ祭り」ライヴの放送がある日だ。予告映像を見ると、武道館とはスケールが全然違うスペクタキュラーな映像になっていて、期待が高まる。
 その放送前(良かった……)、阿佐ヶ谷ロフトAにて行われるイベントにゲスト出演する。そう言えばSSAライヴの夜、神バンドを招いた「ヘドバン」のイベントがここで行われていたのだった。

 ずっと私は「ラヴクラフト生誕祭」だとばかり思い込んでいたのだが、命日記念だった……。いや、BABYMETALのLEGEND××生誕祭に親しみ過ぎたアレで……。
 全くラヴクラフト愛好家としては恥ずべき勘違いだった。

 何を話すかは、現在ノープラン。ですがお近くの方は是非遊びに来て下さい。
 ティガの本を持ってきた方にはサインします。

H・P・ラヴクラフト命日「邪神忌」怪獣とクトゥルー神話
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/31578
3月15日(日)
OPEN 12:00 / START 13:00

2015年3月 8日 (日)

『ヘドバンギャー!!』考 1

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 5月のワールド・ツアーが始まるまでには、プログラム批評を全曲分終えたいと思っているのだけれど、あんまり自信はない。このプログラムについては3回に分ける(続けて更新は出来ません)。
 先ずはトラック(音源)についてから。

Release: シングル「ヘドバンギャー!!」2012年7月4日 重音部RECORDS (TOY'S FACTORY)
               さくら学院 2012年度 ~My Generation~ 2013年3月13日 (ユニバーサルJ)
Credits: 作詞:EDOMETAL・NAKAMETAL、作曲:NARASAKI、編曲:NARAMETAL


 ライヴでは既に「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を披露してはいるが、音源としては初めてのシリアスな楽曲であり、マジの入ったメタルである。
 BABYMETALのそれぞれの曲が、どの時期にどの順番で手をつけられたのか判然としないのだが、この曲が作られたのはそう遡る事は無いのではないかと思っている。その理由は後で述べる。


 日本歌謡曲の熱心なエヴァンジェリスト、マーティ・フリードマンは、日本の曲が如何に多くのコードを内包しており、それ故に欧米の曲よりも良いのだという説を述べている。
 私は若い頃、反対の考えだった。日本の歌謡曲はやたらにコード・チェンジをするからダサい。だからリフで押せる様な(洋楽的な)曲がなかなか作られないのだと。

 当然ながらこれは善し悪しではなく、傾向の違いでしかない。洋楽だって特にジャズ・スタンダードを骨格にした曲はコードを多様に内包している。
 しかしロックという事に限れば、シンプルで印象深いリフこそが正義なのだ。
 ロックというジャンル音楽の最も大きな魅力はリフであると、個人的には思っている。
 このブログで幾度も引用してきたメタル・ドキュメンタリ『メタル・エヴォリューション』でも、パンテラのヴォーカリストだったフィル・アンセルモは、「良いリフは金になる。だからそういうのを《マネー・リフ》っていうんだぜ」と露悪的な言い方で表現していた。パンテラのリフを生んだギタリストと反目しあったまま脱退し、その後ギタリストは凶弾に倒れるという後味の悪い経緯も想起せずにはおれないが、それはここでは余計な話だ。

 日本のロック(調)歌謡ポップスにて良いリフが生まれなかったのは事実であり、その意味でもこの『ヘドバンギャー!!』の存在価値は高いと思っている。
 使っている音はMetallica "Enter The Sandman" と近似しているけれど、この曲のリフは充分にユニークだ。リフ部、Aメロを一貫して貫かれ、ロック以外の何物でもない自己主張をしている。
 ローチューニングのリフと共に、チョーキングで警報音の様な無調のフレーズが入る。Slipknotなど近年のヘヴィバンドの常套でもあるが、三人の少女達がステージに立つ曲としては相当に不穏なムードを作り出している。

 Bメロ、Cメロ、各ブリッジは全てギターのフレーズで作られており、ギタリストが書いた曲以外の何者でもない。カラオケ(Air Vocal Version)だけを知らないメタルファンに聴かせれば、よもや三人のミドルティーンが歌うトラックだとは思わないだろう。辛うじて前奏部のハープシコード+ストリングスがリリカルさを醸し出してはいる。
 ドラムは打ち込みだが、生っぽくプログラムされている。
 アクティヴ回路っぽいベース(多分SpectorとかのPJタイプ)のピック弾きが一瞬聴き取れるので、これは生で演奏していると思う。しかしアナログシンセベースのシーケンスも併用されていて、懐古的なロックではないという主張もあるアレンジだ。

※カラオケ版

 さて、楽曲としてマジなメタルをやる決意を明らかにしてはいるが、その歌メロはどうか。
 率直に言ってCメロの歌い出しからして、半音階が容赦なく入れ替わるこの歌メロを正確な音程で歌うのは難しい事だと誰しも判るだろう。
『君とアニメが見たい』のヴォーカル部は明らかにAutoTune(ピッチ補正プラグイン)が使用されていたが、あの曲の場合は無機的な効果を得ようという意図があったと思う。
 この曲でも使ってはいるかもしれないが軽微な筈だ。ライヴでSU-METALがこの歌メロの音程を危うくした事は無く、それが可能なヴォーカリストだという前提で作られている。にしても意地の悪いラインだとは思う。

 メインのリフ部にはいきなりYUIMETAL+MOAMETALの「ヘドバン♪ヘドバン♪バンバンババン」というカオスなコーラスが入る。振りについては後段に送るとして、音だけでもこのインパクトは強い。
「バンバンババン」のオリジンは、『グレートマジンガー』ないしは『鋼鉄ジーグ』、いずれにせよ渡辺宙明という日本が誇るアニメソング・マエストロのフレーズ引用である。
 黄金期のアニメソング作曲者で誰か一人を何が何でも選ばなければならないとしたら、“ちゅうめいさん”と特撮ファンの間では敬意を以て呼ばれる氏を選ぶ人は多いと思う。
 もうすぐ刊行される筈の特撮脚本家対談集で、私は會川昇氏(本ブログにもコメントを書いてくれた)と話したのだが、脚本の話をしていた筈が普通に宙明さんの名前も出てきたのだった。
『人造人間キカイダー』『スパイダーマン』(東映版)などで、一聴してすぐに判る宙明節は、マイナー・ペンタトニックやブルー・ノートというスケール(音階)を多用する事で確立された。でもこうした音楽の知識がない子どもであっても、「これ、同じ人が作ったんだ!」とすぐに判り、どれもが独立しているというのは、商業作家としてはこれ以上の理想は有り得ないのではないかとすら思える。
 かなり余談が膨らんでしまったが、『ヘドバンギャー!!』の歌メロも近いスケールで作られており、単に「バンバンババン」が入っているからではなく、スケール自体も私に近い世代には魅力になっているのだ。

 ところで、BABYMETAL公式プロフィールの表現、YUIMETAL+MOAMETALが SCREAMING & DANCING となっている事にはずっと違和感を拭えないでいる。既にリード・ヴォーカルをとっている楽曲があるから、ではなく、そもそも二人は殆ど叫んではいないからだ。
 SU-METALもスクリームどころかシャウトすら殆どしていない。
 唯一の例外なのが、この曲だ。
 SU-METALがタイトルコールを2回(音源では1回目は途中で消される)、二人は「頭頭頭~!」は完全に怒鳴っている(ほぼMOAMETALだが)。
 恐らく、いわゆる「合の手」をSCREAMINGと代称しているのだとは思うのだが、実態との乖離が気になってしまう。VOICEくらいにはならなかったのだろうか(※個人の意見です)。

『いいね!』もそうであったのだが、この『ヘドバンギャー!!』もAメロは1回だけであり、以降BABYMETAL楽曲の多くがそういう構成をとっている。
 想像だが、『イジメ』が6'30"というアイドル系楽曲としては異例に長い(けどロックとしては普通な)時間となり、ライヴでやってみたら特にYUIMETAL+MOAMETALの肉体的負担が大きく、なるべく4分を切る仕上がりを指向していった様な気がする。
 Aメロを1回に節約すれば、ダンス・パートのブレイク・ダウンやギターソロもフルに入れられるからだ。

 BABYMETALを知って最初に聴き始めた時、この曲は普通に良いロック・ナンバーだと思ったし、タイトルはすぐ「ヘドバン」+「バンギャ」だろうと見当もついた。

 しかし繰り返し聴いて、更に振り付けを見ていくと、何か異常さを感じ始めた。
 そもそも何故、バンギャの歌を歌う必要があるのか。
 この曲は何を表現しようとしているのか。

 トラックを聴いて、歌詞を読むだけでは判らなかったのだ。
 私が得ている現時点の結論は、振り付けパフォーマンスと込みでなければ論証出来ない。という事で、この項はつづく。


※はげましのコメントありがとうございました。
「トマト君」1万字論考はネタですw でも数分だけシ
ュラークル的に真面目に考えたのは事実ですが。スイマセン。
 それにしても今日の日中は仕事が出来ずに閉口した……。嘘ですニヤニヤしてました。

2015年3月 7日 (土)

あれっ? アスマートから荷物が

Morimoa

 おおお、これは写真セット……、「最も妻を大切に」が嬉しい、んだけどこれ、どうしたらいいのだろう。どこに収める?
 ゆいもあトート……、これなら使えるかな……。シルク印刷のインクがまだ生々しく臭うぞ。
 さくら学院のTシャツ、外に着て出られるのか……?
 しかし誰がこんなものを注文しんたんだろう。恐いわー、自分が。

 水野由結が披露した「トマト君」(というよく判らない存在)のものまねについて、1万字の論考を書いたのだが自主的に破棄した。

 

『仰げば尊し from さくら学院2014』のDVD二種も届く。
 MVはまだフル版を見られていない。怒濤のゲラ直し3連発なもんで……(書くよりしんどい)。
 コメント欄のHAGARI-METAL(リア友)がPerfumeのDVDを貸してくれたので、まずはこちらを観ないと。


 更に武藤彩未「I-Pop」EP(Music盤)も。
 やはり楽曲の良さでは『パラレルワールド』が抜けていると思った。
 この曲のMV、基本的なコンセプトはMIKIKOがELEVENPLAYと行ったインスタレーションの拡大版だ。
 私がMIKIKO振り付けにイメージする「ヒューマニスティックな制御のモーション感」を、最も強烈に感じる。




 ところでこのブログでは、楽曲、プログラムの当事者がどう考えて作ったかについて、なるべく知らないフリをして、私が如何に受容したかを書こうとしてはいるのだが、ついついと作者側を忖度する様な事はどうしたって書いてしまう。そこで現実とか客観的事実とバッティングする事はままあるし、異なる意見があるのは当然だ。
 あくまで私は自分を納得させる理屈を探しているだけなので、プログラムの解釈について断定口調で書いていても、到底万人を納得させ得るものではない事は承知している。文体は美学や仮説推論文のパスティーシュであるし(私が最も楽に考えを文に出来るからそうなのだが)、論旨もあくまで極論として愉しんで戴ければ幸いだ。
『アニメ』考は筋を通してみただけであって、私が望む結論であったかというと微妙だ。私自身『イデオン』劇場版までは紛れもなくアニヲタであったのだし。

 あっ、でも某作家みたいなただの暴言者だと思われるのは厭だな。やっぱり「多分~でしょう」「かな?と思います」にしようかな……。

2015年3月 5日 (木)

『君とアニメが見たい』考

Answer

「君とアニメが見たい -Answer For Animation With You-」
 BABYMETAL×キバオブアキバ
Release : 2012年3月7日
Credits : 作詞・作曲・編曲:キバオブアキバ
           歌:BABYMETAL feat. 君

 メイト(BABYMETALファン)の間でも好悪が別れている。1stアルバムには収録されなかった為、新規には一番親しみが薄い曲かもしれない。

 私自身は受け容れるまでに時間が掛かったが、今は大好きなプログラムである。
 だが今尚この曲に否定的な人の気持ちは判る気がする。アイドルのファンとアニメのファンは親和性があるというより、多くの場合は双方に属する人が多いと思う。しかしこの二つのトライブは相対すると、近親憎悪的なややこしい関係となる。

 作り手の感覚としてアニメはしばしばアイドルの世界を描こうという力が働く。可憐Girl'sを世に送る契機となったのが、アニメ「絶対可憐チルドレン」であった事は象徴的だろう。
 しかしアイドルがアニメについて歌う事はどうか。相当な拒否反応を得てしまうだろう。アニメファンにとって2次元の世界観と、3次元のアイドルを共存させるには、相当な寛容性が必要だからだ。


 この曲が発表された頃のプロデューサーKOBA-METALがインタヴュウで、「褒めて貰いたい一方で、怒られたい」という事を述べていた。矛盾する様な答えではあるが、かなりの本音だったと思う。
 忌憚なく書けば、この時期のBABYMETALプロジェクトは炎上マーケティング的な含みを持っていたと思う。
 BABYMETALの掲げるスローガンには「なんじゃこりゃ」感、「ストレンジ」感がキーワードとなっているが、こういう要素を前面に出していた意図は明白だ。
 昨今、しきりに目にする「刺さる」という言葉。個人では処理出来ない程の情報が垂れ流されるメディアの中で、一人一人のユーザに着目させる為の仕掛けはどうしたって必要だ。
 私が新規ファンとなった昨年末の時点で、BABYMETALは既にもうそうした戦術をとる必要は無くなっていた。しかしインディーズ時代のBABYMETALには必要だった。

 現在の「なんじゃこりゃ」感は当初の意味合いとは異なり、BABYMETALのユニークさを広げるものに移行している、と見えている。


 さて、最初に音源を聴いた時の私は、未だBABYMETALの全体像が把握出来ていない時期だった事もあり、率直に戸惑いを感じた。
 どう解釈すれば良いのか判らなかったのだ。この曲は「Animation With You」という既存曲へのアンサーソングという触れ込みだった。ならば先ず原典に当たらなければ話にならない。

 キバオブアキバは、「ヲタリッシュ・デスポップバンド」なのだそうだが、形態としてはエモであり、「ピコリーモ」(ピコピコ+スクリーモ=電子音+スクリーム+エモ、ああややこしい)であろう。
 このスプリット・シングルに収録されている彼らのオリジナル曲「Party @The BBS」は、ロートルの私が聴くと「なんかキング・クリムゾンみたいだな」。ネット世代の若者の心象風景に鳴っている音は、こういう感じなのかと興味深かった。
 しかし何故このシングルに、「Animation With You」を収録しなかったか。それだけが私には不満だ。

 YouTubeで公式のMV(歌詞つき)が見られるのは幸いだった。
 彼らの演奏と歌は、意外なくらいにストレートで判り易いと感じた。この歌は、アニヲタの「主人公」が、「君」と一緒に自宅でアニメを見たいと訴え続ける。
 現代のコンテクストとして解釈すれば、彼(ら)が歌う「君」は現実には不在であり虚構だ。イマジナリー彼女、エア彼女である。「あどけない」という表現はアニヲタの(一般的な)理想像である。
 この物語の「主人公」は自分本位な事しか言わない「信頼出来ない語り手」であり、一種の叙述トリックだと断定して差し支えないと思う。
 スクリーミングで切々と訴える程に、その絶望感が鮮明になる。

 そういう歌を、BABYMETALという異なる性別の特異な編成のユニットに歌わせるのだから屈折度は更に増す。

 先に音楽的な事を言うと、この2曲は移調される事なく同一のキーだ。キバオブアキバの歌うメロディの3度上のラインをSU-METALは歌っている。
 第三者が作成したマッシュアップを見ると良く判る。二者の歌を重ねると綺麗なハーモニーとなるのだ。

※2'22"辺りからが判り易い。

 SU-METALの歌う歌詞は殆ど原曲と同じであるが、「僕」が「私」に変えられている。
 SU-METALの歌い方は表情を全くつけていない。終盤は相当に高い音域のメロディとなっているが、SU-METALは(例によって)ファルセットでもミックス・ヴォイスでもなく地声で歌いこなしており圧倒的だ。
 しかし、彼女が歌うメイン・ヴォーカル部はこの曲に於いて、状況を無機的に提示しているに過ぎない。つまり副部である。潔く言ってしまえば狂言回しの役割なのだ。

 物語としてのこの曲の主部は、YUIMETAL+MOAMETALの「合の手」だ。
 この曲に於ける二人のユニゾンは、他のプログラムには無い独自なアプローチをしている事は明白だ。
 中盤を境界に、前半と後半では全く異なるアティテュードとなっている。
 前半では、「君とアニメが見たい」という「主人公」が望む様な、「超見た~い」と都合の良い言葉を殊更に幼い口調で言っている。
 原曲に於ける「君」が具象化した存在なのだ。
「あどけない」と表現された「君」が現れたのである。ただ好都合な存在ではない。天衣無縫的でもあり、悪魔的誘惑者でもある。

 しかし次第に様相はおかしくなる。
 SU-METALがローファイ処理をされた声で、急に詩を朗読する様な台詞を言い出す。同じ様な台詞とYUIMETALとMOAMETALが引き取って続ける。冒頭のコーラス直後のAメロのYUIMETAL+MOAMETALの語りと同じく、この台詞は「主人公」が言った言葉を、(意地悪く)口真似をしている様に聞える。さも滑稽であるかの様に冷笑的だからだ。

 段々と「君」はぐずり始め、「無駄に長いアニメ」に「まだあるの?」「早送り」と我が儘を言い出し、「帰りたい」「超うざーい」とまで言い出す。
 そして「主人公」が己の望みを激しく訴求する絶頂と同時に、「無理無理無理無理」と完全に拒絶をするのである。
 曲が終わった途端、「君」と「主人公」は同時に頭を垂れ、「チーン」という夢の時間が消え去った事を宣言して暗転となる。

 ――と解釈すると筋は通る。
 しかし待って欲しい。BABYMETAL版の冒頭、曲が始まる前にYUIMETAL+MOAMETALはこう呼び掛けていた。

「みんなー、はっじまっるよー」

 始まるのはアニメなのか。
 いや、そうではない。
 ただひたすら己の欲望を剥き出しにして訴える「主人公」に、具象化した仮想の彼女「君」が現れて、当初は幸福な楽園を夢見させるも、冷酷にあっさりと「主人公」を見放して去ってしまう――、そうした悲劇、もしくは喜劇を見せようと言っているのだ。メタ的な観点で額縁が作られている。
 Answer for Animation With Youという副題は、極めて正しく機能している。

 とてつもなくシニカルなサタイアだ。
 「どちらかというとアニヲタ」な人が直感的に忌避感を抱くのは当然だと言えよう。
 でも――、そうした想像上の理想的な「君」が現れるなら、例え最後に裏切られる事は判っていても、それでもその幻想にしがみつくのがヲタではないのか。
 だって「君」は、あんなに小悪魔的で蠱惑的で無邪気で、抗い様の無い魅力を放っているのだ。


 この曲の振り付けでは、SU-METALはあまり動かず、YUIMETALとMOAMETALは徹頭徹尾動き続けている。
 BABYMETALは曲毎の世界観で、その中の役割を程度の差こそあれ演じているのだが、このプログラムの「君」はYUIMETAL、MOAMETALとは完全に全く別のキャラクターだという事があるのだろう、二人は他にも増して活き活きとキャラクターを演じている様に見える。

 また、SU-METAL「主人公」(の形代)の周囲を威嚇する様に二人が動いたり、顔に目がけて指さし、掌を殆ど触れるまでに近づける。二人がSU-METALを責め立てるのはこのプログラムだけである。
 この音源の録音時も、幾つかの「合の手」はYUIMETALとMOAMETALにもアイディアを出させた様だ。「こいやー」「はらぺこちゃーん」などは彼女達の案だろう。既に「イジメ」で「合の手」の要素がどう曲で機能するかを把握している。前例を見出せない独自なBABYMETAL楽曲世界を、YUIMETAL+MOAMETALは自らも構築し始めている。

 Aメロ部の三人が腕を上げた状態でくねくねと踊る振りは、表現する言葉を選んでしまうのだが、なまめかしい。ベリーダンスの上半身だけ、という様な変態的な振り付けだけれど、見方を変えると、一時期のMOAMETALが特技としていた「昆布ダンス」の横運動版と言えなくもない。
「早送り~」でくるくるとスカートをふわりと広げて回るところなど、楽しい振り付けがこれでもかと入っているが、このプログラムの振り付けの基調はやはり、「責め立てる」攻撃的なアクションだ。
 リフのところでは拳を下に向けてガンガンと突き込んでいるし、中間部のところではSU-METALも一緒になって左右の拳を下に向けて打ち込んでいる。
 本稿前半部に記した「物語」として見ると、まるで「君」はリアルな人間サイズの存在ではなく、「主人公」の頭の上に乗ってくる様な妖精の如き姿なのかもしれない。そういうイメエジを思い浮かべてしまう。

 三人がシンクロして上体をぐるりと回すところは「ギミチョコ!!」でも踏襲される特徴的な振りだ。
 他にもアホの坂田師匠の様な動きがあったり、ユニークなアクションがてんこ盛りである。
 またMOAMETALのまさに女優としての表情変化は、このプログラムで最大限に発揮されている。

 LEGEND I,D,Zの頃、演奏は骨バンド(当て振り)であり、YUIMETAL+MOAMETALのパートはプリレコーディングされたものをリップシンクで表現されていた。実のところこれでも充分このプログラムは堪能出来る。私が見た限りの、このプログラムのベストアクトはこの時期のものだ。
 昨年の武道館では生歌で挑戦していた。当然迫力が増して映像で見ていても昂揚する。しかしこの曲の時、理由は判らないがYUIMETALとMOAMETALのヘッドセットマイクは充分に彼女達の声を拾えておらず、音量が下がっている。後でマルチトラックのチャンネルを上げるのも不可能だった様だ。ライヴCDへの収録が見送られたのはそれが理由ではないかと思っている。
 武道館ライヴでの神バンドは、他の曲よりも自由度を高く設定されている様で、特にBOHのベースはうねりまくっているし、バンドのグルーヴもライヴならではの魅力があった。

 この曲が、あの最大級のアウェイであったLOUD PARK 13でのセットリストに入っていたのは興味深い。この事については、KOBA-METALの戦略についてのエントリで考えたいと思う。

 このプログラムは海外遠征時にはセットリストに載る事が無い。恐らくこの曲が複雑な言葉の遊びで成立しているからだろう。でも今の海外の熱心なファンなら、観たいと思っている筈だ。SU-METALのエモな曲を無感情に、いや、最後にはエモとは全く異なる表現で突き刺さってくる歌声、YUIMETAL+MOAMETALのまさにミュージカル的な振りと、他のプログラムには無い魅力に満ち溢れているのだから。


 

 そして、現実的には困難であろうが、一度はBABYMETALとキバオブアキバが同じステージに立って、このプログラムを演じて欲しいと個人的に願っている。

 

※キバオブアキバのキャッチフレーズをご指摘受けて訂正しました。

2015年3月 2日 (月)

*お知らせ

 本日は告知だけさせて戴く。(BABYMETALには全く関係無い)


 ここに来られる人でホラーが好きな人はあんまりいないと思うのだけれど、私が今関わっている「師匠シリーズ」映像化プロジェクトの告知サイトが開設された。
 トレイラーはほぼアニメなので、まるでアニメ化の様な印象を与えるかもしれないが、実写の劇場映画、TVドラマシリーズ、アニメシリーズという展開が予定されている。
 よろしければ御期待戴きたい。

●「師匠シリーズ」プロジェクト

 また私が講師をしている映画美学校の脚本コース高等科の募集も始まった。関心ある方はこちらへ。

●映画美学校

 〆切りを遅らせているので(汗)、二日ほど更新を休みます。
 画像は一ヶ月前にやった冗談音楽バンド・ライヴの。

Dsc_0151

2015年3月 1日 (日)

バンドとオーケストラの競演

 3人揃っての振り付けが当初なかなか揃えられなかった、というエピソードは「ウ・キ・ウ・キ☆ミッドナイト」の時のものだ、と訂正を戴いた。前回のエントリは後で改訂しなくてはならないが、初期BABYMETALのダンスが、SU-METALに寄せることで成立したのではないかという見方は、依然そうだと思っている。ともあれソースに確認しなかった私のミスであり、お詫びして訂正します。



 昨年のBABYMETAL WORLD TOURが映像作品化されるというリリースが昨日出た。イギリスのThe Forumと、O2 Academy Brixtonが収録されるという。嬉しいんだけど、フランスは? ドイツは?
 THE ONE会員限定版にはハイライト集があるらしいのだが、「YUIバンギャー/MOAバンギャー」は絶対収録して欲しいと切に願う。

 さくら学院2014年度卒業曲「仰げば尊し」のMV予告が公開された。


 い、イォーク? 大丈夫かな(汗)、ルーカスフィルムはデ○ズニーに買収されたというのに……。


 何故か私は、ロックバンドがオーケストラと競演するというと、ついつい音源を買う変な傾向がある。Pink Floyd, Dream Theater, Metallica, Yngwie Malmsteen, Scorpions etc.
 何故なのかよく思い出してみると、中学の時にリック・ウェイクマンのシンフォニック・ロック「地底探検」にハマりまくったのが原体験なのかもしれない。
 パープルのジョン・ロードが亡くなって暫く経つが、2012年に追悼ライヴがあった事を全く知らなかった(日本にも来たらしい)。過日そのライヴ盤が発売された。
 パープルはオケと共演した最初期のバンドの一つだった。

【前編】イアン・ペイス「特に「紫の炎」には背筋をゾクッと何かが走ったよ」

【後編】イアン・ペイスが語る、ディープ・パープルの知られざる縁と歴史的瞬間

 このイアン・ペイスのインタヴュウは興味深かった。
 ロックバンドはダウンビートで演奏するが、オーケストラは指揮者によりアップビートで演奏する。きちんとシンクロさせる為には、オケを半拍前に指揮する必要があるのだと。
 ああそう言えばMetallicaは結構グダグダなところが多かったよなぁと(それでもスラッシュ・メタル期の曲までも演ろうというチャレンジャー精神は素晴らしかった)。





 トレーラーを見ると、ブルース・ディッキンソンが元気だ。舌がんと闘病している事が発表されたが、是非克服して復帰して欲しい。(イアン・ギランは見る影もないショボクれ具合で泣けるのだが)

 おお、Paice Ashton Lordの曲もやったのか!(トニー・アシュトンも既に他界している)
 一枚だけ出した "Malice In Wonderland"は"Burn"よりも好きだったかもしれない程聴き返した。
(Malice@DollというCGアニメの脚本をかつて書いたが、タイトルはこれから引用していた)

Paice Ashton Lord - Remember The Good Times (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=eRkEg1wCGGc

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