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2015年3月13日 (金)

『ヘドバンギャー!!』考 3

 これまでに書いてきた論考で、勘の良い人ならば私がどう結論づけようとしているのか、既に察しているだろう。
 この曲のヒロインは、ステージの上で激しくヘドバンをする彼女達自身そのものであり、強い言葉で退けているのは、弱い気持ちを抱くもう一人の自分自身だ。

 ここまでは、私の論考など読まずしてそう直感出来る人もいたと思う。


 このインタヴュウを読んでも、そういう様な意図である事は明かされている。
 しかし、ただそういう見立てだと単純に、このプログラムの構図をを受け取れるものだろうか。

Hedbang

 

 当初の立ち上がりでは、「こういうイメエジ」という仮想的なモデルを設定し、三人にそれに沿わせたパフォーマンスをやらせていた事は間違いない。三人はポテンシャルが高く、どの方向にでも順応したであろう。
 2曲目に作られた『イジメ、ダメ、ゼッタイ』と『ド・キ・ド・キ☆モーニング』はBABYMETALの指向する両極としてのひな形となった。既存のアイドルとの整合性は未だ維持されている。楽曲やパフォーマンスとしてのアイドル性は今尚重要な要素であるし、BABYMETALと不可分だが、ことライヴ・パフォーマンスの局面に於いて、既存のアイドルとは絶対的に、また単純に異なるものとなる。

 勿論それは激しく凄まじい運動量の振り付けだ。


 単純に暴れるだけであればアドレナリンでその場は乗り越えられるだろうが、彼女達は既にプロのステージ・パフォーマーであり、キレや緩急を制御しての振り付けをこなすのだ。私が知る限り、彼女達の様なパフォーマーは日本はおろか、世界を見回しても思い当たらない。

 2曲だけの持ち歌で、さくら学院の部活として、時に単体でのライヴ出演をこなす期間、たった2曲でも慣れない間は相当に疲弊した筈だ。
『ドキモニ』の軽いヘドバンであっても、ヘドバンはヘドバンでありダンスでは本来ない。相当な比重の頭を激しく振るのだから、頸部には大きな負担がある。
 しかし、メタル音楽をパフォーマンスする上で、振り付けからヘドバンを外す事は有り得ない。彼女達は少しずつ慣れるしかなかった。

 

『君とアニメが見たい』の項でも書いたのだが、初期プロジェクト期は「怒られたい」というくらいに、プログラムには極端な表現が指向されていた。しかし、さくら学院の美点でもある品の良さを素地にした三人が、「いかにもメタルやってる感」を出したかの様なキャラ設定を演じる事にはそもそも無理があり、選択肢には無い。
 となれば、プログラム・パフォーマンスそのものをエクストリームにしていくしかなかったのだ。そして、パフォーマンスの最中は実際そうである様に「キツネ様が降りている」のだと。

 MIKIKO-METALは既にマキシマム・ザ・ホルモンでメタル系楽曲の振り付けを経験していたが、それでも彼女のそれまでのキャリアで、早いBPM、激しい曲調が中心となるユニット自体を振り付け・演出するのは初めてだった筈だ。ダンス・ミュージックでは可能なモーションが不可能になっていくのだ。
 しかし彼女は至って自然体で、初めて触れる様な曲調からも普通にイマジネーションを喚起して、BABYMETALだけでしか出来ない様な振り付けを生み出していく。
 そして三人、特にYUIMETALとMOAMETALの適応能力の高さを見出すや、ハードルを次々と上げていったのだ。
 KOBA-METAL、MIKIKO-METALの「当初の思惑」は、数割増し、もしくは倍増したものを三人が実行する事で、次第にエクストリーム度を上げていったのだと思う。
 普通のアイドル、さくら学院であれば要求される筈のないハードなプログラムを続けていく事に、足踏みをする瞬間はあっただろうと想像する。それは決して責められまい。そんな事に挑戦した者は全く前にはいないのだから。

 しかし彼女達は自分自身の意思でその道を行く事を決めたのだ。
 この時期、既にBABYMETALの三人は「メタルとかよく判んないけど、とりあえずやらされている」ものではなく、三人それぞれの自己表現としてのBABYMETALが彼女達自身によって「選ばれた」ものになってきていた事は明言しても良いと思う。

『ヘドバンギャー!!』が作られたのは、そういう時期だったのではないかと私は想像しているのだ。
 しかしそれは困難の道であり、後の『メギツネ』に歌われる「女は女優、顔で笑って心で泣いて」という歌詞に共感する事にもなっていくのだが。



 SU-METALが「15歳の声」でのサビ頭を歌うと、すぐに三人が「BABYヘドバン」と彼女達が呼ぶ横方向ヘドバンをする。最初にここを見た時、私が想起したのが「狂気」の語だった。彼女達は歌いながらジャンプしつつ横ヘドバンと「バンバンババン」を繰り返す。
 この「バンバンババン」が『8時だヨ!全員集合』OP『北海盆歌』の引用である事は論を待たない。MIKIKO-METALが屈折しているのは、「バンバン」でドリフを想起するなら、普通はED『いい湯だな』のそれににするのだが。

 このヘドバンの様なアグレッシヴな振り付けを繰り返すと、踊り手はトランス状態になるのだとMIKIKO-METALは述べている。ヘドバンによるAltered States of Consciousness――、変成意識に自らを投じて彼女達はナチュラルなトリップをする。何処へ――


 このプログラムは振り付けの多くを前の二人に委ねて、SU-METALは歌に専念する。しかし実は振り付けはなくとも、ずっと激しく身体をグラインドさせ続けているので、かなり疲れる歌い方をしており、ライヴによっては息を切らしてしまっている。
 前方の二人の頑張る姿が視界の中に在って、彼女は鷹揚に歌ってなどいられないのだと思う。『イジメ』でもそれは顕著に見て取れる。

 初期は「のけぞり」であまり三人は綺麗に揃っていなかったのが、昨年には鏡で見ているかの様に揃える様になっている。

 Bメロで二人は両手両脚を広げたジャンプを繰り返す。最初はあまり高くなかったのに、段々と本気で高く飛ぶ様になる(ふくらはぎがヤバいと証言している)。
 泣き虫の奴らに「消えろ」という時、YUIMETALとMOAMETALは鼻をつまんで“弱い者”を追い払う。その対象とは前述の通りだ。

 サビ部、二人は挑み責め立てる様な気迫のこもった振りをする。最早(仮想の)ステージの上の存在に気を送る、というレヴェルではなく、自身を気迫でせり上げている様なアクションだ。
 この間二人は一切後方のSU-METALを見ないが、彼女達が気迫を送っているのは背後で歌うSU-METALなのだと私は思っている。彼女達は互いに支え合ってこのプログラムを完遂しているのだ。

Babymetalthumb1024x576

「伝説の黒髪を」の部位で、YUIMETALとMOAMETALは自分のツインテールをかき上げ、もう振り付けの範疇を超えた表情の演技をする。このアクションは自分達が提案して採り入れられたものである事は知られているが、この表情も指示されたものではあるまい。今に至るまで、どうしてこの二人は表現する能力以上に、そもそも何故そういう表現をしようという指向性をこの段階で持ち得たのか、私には見当もつかない。

*YUIMETAL GIF

 献身的な激しい踊りの直後、「ひらり、宙に舞う」で二人は浮遊する。しかしその直後にSU-METALのシャウト「ヘドバンギャーーーーーー!!」が叫ばれると二人は、1回目ではSU-METALにひれ伏して土下座をし、2度目では驚いた体(てい)で数m飛び退く。しかしすぐにヘドバンのフォーメーションに復帰する。この間僅かに6拍。凄まじいとしか言い様が無い。
 MIKIKO-METALが「ここで飛んで」と振り付けの指示をして、二人がそれを実践すると「えっ? そんなとこまで飛んじゃうの!?」と驚いたというエピソードがあるが、それはこの部分の事ではないだろうか。

 何故YUIMETALとMOAMETALはあの様な振り付けをこなせるのかという問いに、MIKIKO-METALは「子どもだから、体重が軽いから可能だ」と述べていた。
「なるほど、確かにそれはそうなのだろう」と得心した一方で、私には不安が生じた。
 では一体いつまで、彼女達はあの様なパフォーマンスが可能なのだろうか、と。

 しかしこの談話は2013年7月(雑誌発行日)以前のものなのだ。
 身長が150cmを越えた昨年であっても、YUIMETAL+MOAMETALの振り付けが鈍化する事はなく、寧ろ大きい身体表現となって見栄えは一層増している。初期プログラムの子どもっぽい愛らしさは全く損なわれていない。
 勿論これが可能となっているのには、見えないところでの努力が積まれているからだ。筋トレ等含めた身体メンテナンスは相当に必要な筈だ。写真で切り取られた彼女達の肢体は筋肉質となっている。

 今、私達がBABYMETALのパフォーマンスを観られているのは、ある種の奇跡なのかもしれないとすら思う。

 このプログラムはドラマティックな展開をする部分で、傀儡(操り人形)振りの部分が幾度も繰り返される。まるで操っていた糸が切られたかの様にだらりと腕を降ろす。
 この意味を私はずっと考えていた。特別な意味はなく、ロボットダンスの様な振り付けのクリシェだと言えばそうかもしれない。
 しかし、1度目のこの部分の後、彼女達は徐々にゾンビの様に復活していく。
 全ての要素をひたすらエクストリームにしていくKOBA-METALとMIKIKO-METALが糸の操り手だとすれば、BABYMETALの三人はそれによって踊らされているのだが、しかしサビの部分はどう見ても彼女達自身の意思で動いているのだ。
 操り手から離れ、躍動していく彼女達自身の姿を見ることはそう困難ではないという気がする。でも、曲の最後、エンディングが流れると彼女達は再び傀儡となって糸を切られ命を失ってしまう。

 この終わり方も時間に余裕のあるライヴ版では更なる物語が追加される事になる。

 ライヴ版では、冒頭に古典怪奇映画調の前奏曲がつき、その終わり尻直結にSU-METALはノーカウントでサビ頭を歌い出す。
 モニタだけにカウントが返されているのだろうが、同じキーとは言え全く別曲から突然歌いだすというのは相当に難しい事だ。
 YUIMETALとMOAMETALの振り付けがエクストリーム化するのと併せて、リード・ヴォーカルにも難度の高い歌メロばかりではなく、エクストリームなハードルが次々と立ち上がる。
 中間のブレイク・ダウンは観客への強制ヘドバン・パートだが、大規模な会場であるとYUIMETALとMOAMETALはCO2ガス銃を観客に見舞う。

 エンディングで事切れたかと思われた彼女達だが、自身の意思で、苦しいながらも動ける事が判る。YUIMETALとMOAMETALに託されたSU-METALは、最後の力を振り絞って階段を昇り、そこにある銅鑼目がけ、渾身の力でマレットを振り下ろす。鳴り響く銅鑼の音でこの世界は消滅する――。

 最初にこの演出を見た時、私にはすぐにこれが何らかの様式を踏襲したパロディである事は察知出来て、可笑しいものだと見られた。どの時のものか忘れたが、SU-METALは銅鑼をジャストミート出来ず、あまり良い音が出なかったのもある。(X Japanが引用元)

 まあこの物語の終幕は、BABYMETALの三人自身の運命との紐付けは不可能というより、すべきではないとも思う。渾身の(コント的ではあるが)演技で観客を愉しませてくれているのだ。それに素直に感謝したい。

 ドラマティックな曲である為か、このプログラムのパフォーマンス史には多くの記憶される出来事があった。
 昨年のYUIMETAL、MOAMETALの誕生日に開催されたフランス、ドイツの公演では、2番のBメロ以降を彼女達がそれぞれに歌った。
 一度だけ披露された Night of 15 mix は、ダンス・ミュージックにアレンジされたものを、三人は純粋にダンス・プログラムとして演じたもので、彼女達自身は気に入っている様だが、私にはかなり物足りないものだった。
 そして昨年3月の武道館公演初日には、観客煽りの最中にYUIMETALが落下する事故があったのもこのプログラムだった。

 ベスト・アクトを選ぶのは困難であるが、特筆すべきパフォーマンスがある。
 さくら学院の2012年度卒業公演、中元すず香が卒業する時のパフォーマンスだ。
 BABYMETALの衣装は着ていても、メイクアップはさくら学院のままの三人は、骨バンドすらもいない三人だけでこのプログラムを演じきった。この時のコンセントレーションには鬼気迫るものがあった。




 

 あまり引っ張るつもりはなかったのだが、やはりこの曲は大きな存在だ。
 私が想うところを書き出してみたのだが、途中でエディタがフリーズしてしまい(こんな事WindowsXP以来ないのだが。なんか元凶はWinodows Updateな気がする)、一度書いた部分を改めて書き直したりしているので、幾つか漏れているかもしれない。
 ともあれ最後までお読み戴き感謝。

※YouTube版をコメントで教えていただきました。感謝。

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コメント

お疲れ様でした。歌詞の内容については、未だにわからない部分が多く、消化しきれていないのですが、今回の後半部分は自分も共感できる部分が多々ありました。しかし、洋楽聴きの悪い癖なのかもしれませんが、歌詞を軽視(英語能力がないので無視せざるを得なかった)してました。せっかくBABYMETALは日本語で歌っているのですから歌詞にもこれから興味をもってみようと思います。中高生の頃、ライナーノーツを見ながら、拙い英語能力で自分なりに翻訳していたのを思い出します(笑)。

いつもながらの素晴らしい分析、敬服です。私も洋楽聞きの悪弊で、歌詞を突っ込んで考えていなかったようです。

しかしながら、それでもヘドバンギャー!!は、私の一番のお気に入りです。

これを読んで、さらに好きになりました!

ヘドバンギャーというプログラム(このプログラムという表現気に入ってます)は、すぅのパワーがダイレクトに伝わってくるしゆいもあの本気も伝わってくるベビメタ代表作の一つですね
ニコ動のコメントで「天才の本気」ってのがあったんですがまさにそれだと思いました。
このプログラム大好きです。

とりまニコ垢持ってない人の為に
https://www.youtube.com/watch?v=ABtqtG5ZJyY

「バンバン」でドリフを想起するなら、普通はED『いい湯だな』のそれに・・
の文章にビバノン音頭のふりで「ヘドバンギャー!!」を踊る3人を想像して一人、ニヤケてしまいました。BABYMETALの曲、詞、、編曲、演出、そして振付にはほんと多彩なルーツからのオマージュがてんこ盛りで故におじさんホイホイである、のでしょうかw 尾崎豊の「15の夜」のように無軌道で刹那的にバンドを追いかけ全国を転々とするバンギャの歌を、「深窓のアイドル」さくら学院の、中でも飛びぬけて真面目そうなSU-METALに歌わせているのがとても面白いですね。いつかさくら学院の2012年度卒業公演についても書いていただけたら嬉しいです。あと、トマト君試論もWW

バンバンババン!は、マジンガーの ダンダンダダン!がそのまんまですよね。
歌詞は、周りの目を気にしている弱い自分を「泣き虫な奴」と例えているのかと思います。
勇気をもって飛び出した新しい世界への憧れと不安な気持ち、それでも後戻りはしない! と言う決意を「消え失せろ!」という歌詞に込めているのかと思います。
ライブでの狂気じみた空気感は、神バンド→SU-→YUIMOA→メイト→神バンド→ の無限ループによって高まっているのを感じます。これぞライブ!

ここに来るのが毎日の楽しみにです

一点だけ付け加えたいかな。ステージでは「キ・エ・ロ」を観客に振りますね。
すぅは客の声を聞こうとするように顔を横に向け目を閉じ、高々とマイクスタンドを
掲げます。またこのマイクスタンドを掲げてゆいもあの動きまわる後ろで
直立不動。見事に場を支配する強烈なオーラ。圧倒的に動くゆいもあとの対比で、
さらに存在感が強烈になる。そういう、すぅの「QUEEN」(海外のメイト命名らしいですね)ぶりを堪能できるプログラムでもあると思います。

この楽曲は三周して今現在かなり好きな曲になりました。
どうして今まで引っかからなかったのか考えてみるに、それはkobametalが企図したコンセプト(あえて昭和臭くする)が自分に合わないからだと思っていましたが、こちらのエントリーを読んで歌詞の世界観に共感できなかったことも大きいように感じました。(対象がバンギャ限定というのは狭すぎる)
私は歌詞に意味を求めていない人なので、身も蓋もないことを言ってしまえば音の響きさえ良ければどんな歌詞であろうと気にしないのですが(邦楽の歌詞でいいなと思ったのはキリンジ以降出会っていません)、SU-METALの綺麗な発音だと意味を追う気がこちらになくとも勝手に言葉が意味を持って入ってきてしまうようです。
というのは言い過ぎでしょうか?
ですけれど、一概にも否定はできないのです。
前回も触れましたけど、なにせSU-METALは楽曲の世界観を自分の身体に取り込むヴォーカリストなのですから。
そう考えると、もしかしたらギミチョコのようにふわっとした歌詞のほうがBABYMETALには合っているのかもしれません。
あまり意味を持ちすぎた歌詞にすると、重くなるような気がするのですよね。SU-METALが歌うとなおさら。
楽曲だけ聴いていると、その重い部分が勝ってしまうのですけど、ゆいもあのダンスも込みで観ると、「ああ、これは演目の一つとして楽しめばいいのか」と思うに至り、それからは楽曲やパフォーマンスの良いところが見えてくるようになりました。

いや。ついつい語ってしまいましたが、実はこういうことが言いたかったのではなく、Night of 15 mixについてふと思ったことがありまして、そのことを書こうと思っていたら筆が滑ってしまいました。
全然関係ないですけれど、NARASAKI氏のインタビューを読んで、ももクロから東京女子流の曲を聴くことになるとは想像だにしていませんでした。どんどんアイドルに詳しくなっていく自分が怖い……。
小中さんはあのアレンジが物足りなかったようですが、どうも今でもよく目にする意見で骨バンドの方がいいというものがありますが、そういうファンにはこのアレンジが好評のようです。
つまり、骨バンド支持派は、よりシアトリカルなものを求め、神バンド支持派は、その正反対のものを求めているがために度々意見が衝突しているようにみえます。
LOUD PARKにベビメタが出演した際、メタラーの感想で「認めた。あとは偽物臭さえ消してくれれば応援する」といったものがあったのですが、その方が指す偽物臭というのが、このシアトリカルな部分だったのではないかと推測します。(紅月のアクションシーンはさすがにやり過ぎでしょう、そのあとも歌うのに)
私は、銅鑼叩きは面白いと思いましたし、あの程度ならあってもいいという意見なのですが、ああいう演出は匙加減が難しいのですよね。やりすぎると期待がインフレを起こしますし。そこで勝負すると消費されるのも早いですから。
それをわかっているからこそ、今の形態になったのでしょうし。当時はバンドを雇える予算がなかったからこその苦肉の策だったとも言えます。
ああ、だからといって演劇的演出を否定しているわけではありません。学生時代には夢の遊眠社や第三舞台におもいきり影響を受けた口ですからギミックは大好きです。
ベビメタが今後人気を拡大するにあたって、演劇的演出をどの程度取り入れていくのかあるいはまったく取り入れないのか、とても興味深いです。

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