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2016年1月

2016年1月31日 (日)

Waltz for Debby

 普通はメインの主題を決めてから書くものだけれど、今回のエントリはブログ記述のリハビリを兼ねており、取り留めのない話を書く事になる。よろしければお付き合いください。


 私生活で沈痛な気分の日々が続くと、音楽の嗜好は静かなものを求める様になってしまう事は以前にも記した。事態がより逼迫してくると、更に静謐な音楽を求める。

 私が所有するメインの音楽再生システムは、ピアノ・トリオを箱庭的に再生する事に特化した機器構成となっている。
 2000年代前半、私は音楽に対して枯れており、ジャズ・ヴォーカルやピアノ・トリオばかりを集めていたのだった。
 やっとビル・エヴァンスが好きだと広言しても恥ずかしくない年齢に達したし、新しい音楽など必要ないとさえ思っていたのだ。
 よもや2014年末に至って、BABYMETALの様な音楽に本気になるなど、自分でも思いもよらなかった。

 昨年暮れから年明けて暫くまで、私は十数年ぶりにビル・エヴァンスを主に聴いていた。
 リリカルだとかピアノの詩人といった印象を持つ人が多いと思うが、まずプレイヤーとしてビル・エヴァンズのプレイは極めて正確無比なタイム感というものに強く惹かれる。
 どうしたって彼自身の悲劇的な生涯、主には破滅指向的だったそれを意識の背後で想起しないわけにはいかない。しかしそうした「物語」を心から排除出来れば、純粋なピアノの音と向き合う事で、聴き手の私は心を落ち着かせられるのだ。

 三昔前ほど、偶偶入ったとあるピアノ・バーで女性ピアニストに「何かリクエストあれば」と問われ、では「Waltz for Debby」をお願いしますと言うと、「いやーそれは……」と拒否されたという苦い思い出がある。
 子どもに聴かせられる様な優しくも躍動的な曲だが、演奏には相当な難度がある様だ。

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 少し前にWOWOWで「ストックホルムでワルツを」(2013)というスウェーデン映画が放送されて、やっと先日録画を見た。
 モニカ・ゼタールンドという50年代から活動していたスウェーデンのジャズ・シンガーを描いた映画で、実際のモニカに相当近い風貌で、実際にシンガーでもあるエッダ・マグナソンがモニカを演じている。

 完璧な英語でビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドに影響を受けたジャズを歌えたモニカは、早い時期に一度アメリカに招かれるも、成功しなかった。その後、彼女は母国語であるスウェーデン語でジャズを歌う様になる。
「Take Five」の様な曲をヴォーカライズして人気を集めていく。

 映画のクライマックスは、モニカが自らビル・エヴァンズに「Waltz for Debby」に自分の歌を乗せたテープを送り、モニカの歌が気に入ったビル・エヴァンズにニューヨークへ招かれ、錚々たるジャズメンが客席に集まる中で歌う場面だった。
 同時中継ラジオで聴いていた父親(元ジャズミュージシャンだったがモニカのヴォーカルには懐疑的だった)が、初めて娘の歌声を聞いて落涙する名場面だった。

 モニカが歌いエヴァンズがピアノを弾く「Waltz for Debby」の音源自体は勿論以前に聴いた事があったのだが、この様なストーリーがあったのかと感銘を受けた。
 スウェーデン語で歌われる「Waltz for Debby」がメイン・ストリームの音楽業界に与えた影響は無きに等しいだろう。それでも、ジャズという文化に於いて音楽は言語を越えてひとつのエピックとして今にも伝えられてきているのだ。

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「嗤う分身」(2013)というイギリス映画もWOWOWで観た。
 主演はハリウッドの二宮和也ことジェシー・アイゼンバーグとミア・ワシコウスカ。ドストエフスキーの小説を原作にしている不条理映画で、カフカ的とも言えるが、カフカよりはまだ理性というか理屈が見える。
 この映画ではBGMとして昭和の日本歌謡曲、GSことグループサウンズの楽曲が頻繁に流れる。
 レトロな虚構世界でいきなりジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルーシャトー」が流れる事の奇異さは、凡そ他には得られない映画体験ではあった。
 韓国の曲も一曲流れていたが、やはり印象的だったのは坂本九の「上を向いて歩こう」が流れた瞬間だった。
 やはりあの曲の哀愁、また日本人にとってもエキゾチックである独特なメロディライン(中村八大による)は、如何にその歌詞の言語が全く意味不明だったとしても、聴く人の心のひだに沁み入るのだろう。


「上を向いて歩こう」は、「Sukiyaki」というタイトルで全米でもヒットした事は広く知られている。
 坂本九は、英語歌詞でも歌ったかもしれないが、ラジオで多く掛かったのは日本語の「Sukiyaki」だった。

 エンターテインメントの本場で、外国人が成功するには完璧な英語で歌えなければならない――。かつてこうした「常識」があった。

 坂本九以前にはナンシー梅木という、純粋な日本人がジャズ・ヴォーカル、そしてブロードウェイの舞台で成功している。
 私がリアルタイムで知る中でもVOWWOW、EZO、LOUDNESS、X-Japan、松田聖子、ピンクレディー、宇多田ヒカル、Dreams Come Trueなどが挑戦していった。

 この中では松田聖子のトライアルが記憶に残っている。最初に作られた西海岸制作のアルバムは、洋楽としてもちゃんと愉しめる楽曲になっており、これならアメリカでも成功するのではないか、とすら思った。しかし全く鳴かず飛ばずだった。
 二枚目はデヴィッド・フォスターがプロデューサーとなったが、この時期のフォスターはあまりに多忙であり、どうしてもクォリティは下がる事もやむを得ず、このアルバムもヒットせずに松田聖子のアメリカ進出は成功しないまま終わった。

 この時の松田聖子も英語の発音のトレーニングは厳しく受けていたが、X-JapanやLoudnessの苦労、メンバーチェンジなどはつとに知られている。
 英語の発音が完璧である事が必須だと考えたのは、日本人のプロデューサーではないだろう。向こうのプロデューサー、あるいはコーディネーターがそう規程したに違いない。

 実際にハードロック/メタルのジャンルでこの原則は強固にあった。
 ScorpionsやAcceptといったドイツ人バンドは英語歌詞で歌うのが自然に行われていた。
 しかしこれも原則でしかなく、80年代にはポップロックではあるがNenaがドイツ語歌詞で歌った歌「ロックバルーンは99」が世界で大ヒットした。
 最近デビュウしたヴィンテージ・ロックバンドのWucanは、英語とドイツ語、両方の歌を歌っている。
 北欧も同様な傾向にあったけれど、母国語で歌うバンドはかつてより増えている。

 例えばジャズでも、ボッサ、ラテンの要素は極めて近いポジションにあり、気の利いたヴォーカリストなら、ポルトガル語やスペイン語の歌をレパートリーに入れるものだ。


 さて、BABYMETALは事件的な物の弾みの様に、海外の音楽シーンに入り込んだ。
 あまりにも例外的なので、BABYMETALの現象だけを見て外国語歌詞の可能性を論じるのは軽率に過ぎるという見方もあるだろう。
 しかし私は、BABYMETALがどこまで意識的であったかは脇に置いて、外国人が欧米メインストリームに切り込める唯一の道を本能的に探りあててしまったのだと考えている。

 完璧な発音の英語ではダメだったのだ。
 日本語で良かったのでもない。日本語だから良かったのだと。

 歌詞の意味などネットで容易に知られる。
 何より、3人の歌い踊る表情は言葉よりも雄弁に言語活動として受けとめられている。

 BABYMETALの日本語問題について書こうとしていたのは、ここまでに書いた事を出発点に論考したいと思っていたのだが、今はここまで記すに留めておくしかない。




 自分自身がリアルワールドで落ち込んでいる時であっても、ふとBABYMETALの事を考える事はしばしばあった。
 その時には必ず、彼女達の曲が脳内に流れる。
 かつてだと、リフが印象的な『ヘドバンギャー!!』や『Catch Me If You Can』『おねだり大作戦』が多かったのだが、昨年の後半からは様相が変わった。

 そして、横浜アリーナでもぼんやりとそうなんじゃないかと思っていた事が明らかになった。

 今の私が最も心を躍らせる曲は『ド・キ・ド・キ☆モーニング』であり、次いでは『いいね!』『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』といったポップ三部作なのだ。
 横浜アリーナの場内で、これらの曲のイントロが始まった時は「きたきたきた!」と全身をぞくぞくさせた。

 勿論、メタル寄りのそれ以外の楽曲をつまらなく思っているのではないのだ。
 BABYMETALを好きになり初めて、しばらくの間こうしたポップ寄りの曲は「必要悪」の様に考えてた気がする。

 2015ワールドツアー期間中に、TwitterかInstagramかは不明だが、幾つかのショート・ムービーを見る機会があった。
 車を運転する若い男が、カーステから流れる『ドキモニ』(の「リンリンリン!」のところ)に合わせて歌ったり、振りコピを踊っていた。全く異なる二種の動画があったと思う。
 聴き手を確実に笑顔にしてしまう楽曲はそうそう生まれるものではない。

 
 

2016年1月 4日 (月)

SU-METALの判断は正しかったか

 このブログを開設したのは昨年の1月19日だった。
 奇しくもこの日付は私の父親の誕生日だ。昨年の誕生日は至って元気だったのに、今は病院に長く入院状態が続いている。
 1/31付記 父は21日に逝去した。

 BABYMETALが昨年の春からのワールド・ツアーを始めるまでに発表されたプログラムの解題と、BABYMETAL現象への考察を試みようという計画は、全く果たせなかった事に我ながら情けない思いがしている。
 BABYMETALの今までに至る躍進は、単にメタル、音楽という枠組みに留まらず、エンタテインメント表現そのものとして捉えるべきであるし、BABYMETALのスキームをなぞったところで同じ成功は収められまい。しかしながら、“表現”を広く伝えたいという意欲を持つ者ならば、BABYMETALの軌跡には数多くの啓示を見出す筈だと確信している。
 大仰な「試論」の究極的な目標は、ぼんやりとそこにあった。

 だが何も結論を早く導く必要などどこにもなかった。
 BABYMETALは今現在も進化を続けているし、エンタテインメント界に於ける存在感は半年毎にも一回り大きくなっている。

・なぜ日本語の歌で良かったのか
・なぜ当初はライヴで歌いこなせない様な楽曲を作ったのか
・なぜ日本では若者よりもアダルト男性が主体でファン層を形成したのか

「かもしれない」的な答えは持たなくもないが、未だに謎である事も多い。


 

 昨年末のCount Down Japanフェスでは、有り得ない様なハプニングが起こった様だ。
『Road of Resistance』の歌い出しで、SU-METALはマイクを持っておらず、1コーラス目Aメロ前半は歌わずにYUIMETAL+MOAMETALと渾身のダンスをしたらしい。
 何らかの事情で、SU-METALがイントロで自分で置いたマイクが転がり、YUIMETALが見つけられなかったのだろう。
 SU-METALの対応が正しかったのかは若干の疑問も浮かばなくもないが、いやしかしステージでは持てる全てを渾身の力で発揮する覚悟の発露が、渾身のダンスだったのだとすれば、SU-METALの判断は全く正しかったのだ、と思っている。

 ライヴ、特にフェスではハプニングやトラブルは在って当たり前なものだ。
 ヘッドライナーでもない限り、ベテラン・バンドであってもサウンド・チェックは殆ど出来ない。

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 スティーヴ・ルカサーが2000年にノース・ショア・ジャズ・フェスティヴァルに招かれた時、共演者に選んだのがエドガー・ウィンター(Vo,Key,Alto Sax)だった。
 私は中学生時代以降、最も原体験的に影響されたのがエドガー・ウィンターの音楽だった。“100万ドルのブルーズ・ギタリスト”だったジョニー・ウィンターの弟で、兄同様アルビノのエドガーは、ブルーズよりもポップ、ジャズ、ゴスペルからの影響を受け、ジャンルを特定出来ない独自なアーティストであった。
 私がBABYMETALのスタジオ音源に最初に惹かれた個人的な背景には、エドガー・ウィンターの代表作「Frankenstein」に似た感覚を抱いたからだと思う。
 スタジオで全く別の素材を切り貼りして出来た曲なので「フランケンシュタイン」なのだ。こうした技法の元祖は言うまでもなく、The Beatlesの「A Day in the Life」(ジョン曲~ポール曲~ジョン曲)である。
「Frankenstein」はインスト曲で、エドガーの魅力的な、どう聴いても黒人にしか聞えないヴォーカルは聴かれない。しかしライヴでは必ず最後に演奏する(切り貼りも律儀にトレースする)。

 未だにルカサーが何故エドガーと演りたいと思ったのかは不明なのだけれど、"Tabacco Road"といったド・ブルーズや"Johnny B. Goode"から始まるRock'n Rollメドレーなど、この時以外に演った事は無い筈だ。

 私は2009年に発売されたDVD+CDで初めて見たのだが、これが凄かった。
 ライヴ開始早々はエドガーのオルガンの音が出ない、マイクは最初入ってない、シンセのプログラミングがグダグダ。フェスだから仕方ない。
 しかし、エドガーがリフを弾けないと察するやすかさずルカサーがソロを弾いたり、ドラマーもベースも極めて柔軟に対応して構成を延長する。ハプニングを「無かった」と見せかけるのでなく、それ自体もエンタテインメントとしてパフォーマンスしているのだ。
 この時のライヴほどエドガーが輝いた映像は見たことがなかった。



 BABYMETALはバックトラックを使う為、個々のライヴの違いは少ない。
 そもそもBABYMETALは、どんな大舞台に出ようが「いつも通り」にパフォーマンスをする事を心掛けており、それ故に恐い物知らずとすら思える程、堂々と振る舞ってきたのだ。

 それでもSU-METALの歌は一つ一つのライヴで違うものだし、時に彼女自身の心理的ステータスすらも見えてしまう。

 神バンドのギターソロも、ライヴ毎に違いを愉しませてくれている。

 BABYMETALに今以上にライヴのリアルタイムで一期一会な感覚を盛り込むには、バックトラックをフレキシブルにする事も考えられる。
 マニュピレータはほぼDJのテクニックを用いなければならず、現実的ではないかもしれないが、曲中のCall & Responseやシンガロングなどを臨機応変に出来れば、更にライヴは楽しいものになるだろう。
 過日のSU-METALのトラブル対応スキルを聞くに、彼女は既にそうした事すらも難無くこなしてしまうと思ったのだ。



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