« MAO-A | トップページ | 浅田真央のお礼 »

2014年9月 2日 (火)

「何度でも」

Bm201409thumb350x

 Dreams Come Trueが25周年アルバム「ATTACK25(「何度でも」は収録されていない)をリリースした。音楽チャンネルの番組や雑誌などで大々的に回顧特集を組んでいた。
 スペースシャワーTVでは、ライヴなどの放送に加えて、3時間のリクエスト・カウントダウンも放送した。35曲中(シングルだけで50数曲もある)で、1位に選ばれたのは、やはり「何度でも」であった。

 

ナタリーの特集インタヴュウで、ベース/プロデューサーである中村正人氏がこの曲について触れていた。

例えば「何度でも」を作ったとき、僕はもちろんヒットを目指してやってるわけですよ。だけど吉田の歌詞とか、最後のまくし立てるところとか、これはウケないんじゃないかってちょっと思ったりする。それで結果ヒットしなくて、俺は心のどっかで「ほらやっぱり」って思うわけです。ところが5年後、それが大ヒット曲になってるの。いつのまにかみんなが知ってる曲になってる。吉田にはそういうところがあって、すごいなって思うわけです。
http://natalie.mu/music/pp/dreamscometrue02/page/8

 今現在の「何度でも」人気には、浅田真央の愛唱歌、出演CM使用曲といった昨年の流れも合流しているに違いない。

 私は中村氏の数歳下のほぼ同年代。彼らの音楽を自発的に聴いては来なかった、というより、少し避けていた。
「ああ、この曲はアレのインスパイア」「この曲はあっちの」というのが見えてしまい、それはいいんだけど、だったらもっと素直にやればいいのにと思ってしまったのだ。
(まあ私は基本的に邦楽全般に冷淡なのだが)
 私がこう感じるのは、ダンサブルな曲についてであり、ドリカムのもう一本の柱である吉田美和氏の歌い上げバラードは、そもそもそういう歌曲を私は好まない。
 一般的には、ドリカムの楽曲の特徴というと、いかにもデジタルでキー・チェンジしました的な転調(を難なく歌ってしまう吉田美和)とか、妙にジャズ的なコードが入る、というものがある様だけれど、デジタル転調は小室哲哉という先達がいたし(個人的には全く音楽的ではないと思うのだが)、モーダルなコードが入るというのも、90年代初頭のアイドル曲では鷺巣詩郎氏といったアレンジャーがセンスを競っていた。
 そもそもデビュウ時のユニット編成も、Swing Out Sisterという先例あってこそだった。
 こうして判り易いイメージソースを潰して尚、今も残る「ドリカムらしさ」というものが、本来のオリジナリティなのだったと思う。

 私の音楽の嗜好性は特殊で、音楽を聴くとき歌詞を殆ど気にしないのだ。
 私が例外的に歌詞を面白がったのはスティーリー・ダンといった、今で言うサブカル的な抽象歌詞だった。

 そんな私ですら、「何度でも」は先ず歌詞の印象が強かった。ラヴソングの一種ではあろうが、私達が日常送る中で避けて通れない困難に立ち向かった時、必ずや心の中でこの曲が気持ちを前に押してくれるだろう。
 この曲は吉田氏が曲もメインで作った様で、後半のラップ調シャウトも、コーダのメジャーへの転調で優しく終わるイメージも、全然計算されてはいないのに、極めて美しい構築物となっている。

 この曲はリリース当初、あまり大きなヒットにはならなかった様だ。しかしその後、長いスパンの中で人気を獲得していく。
 25年というキャリアを誇るドリカムにとっても、特別な曲だろうと思う。


 それにしても、J-Popの中でも「勝ち組」で居続けた印象を持っていたドリカムだが、先のインタヴュウやベースマガジンのインタヴュウ(この雑誌で初めてベーシストとして特集された)を読むと、日本ではさほどニュースにはならなかったが、アメリカ進出失敗や、メンバーそれぞれの苦難があり、今25周年として我々の前に立っているのは、幸運だけでは無かったのだと痛感する。

 その中村氏だが、CDがもう売れない時代だと認識した上で、CDという形態で作品を発表したのには、感銘を受ける。
 CDという形態は売られ続けるべきだし、私達は音楽が好きであるなら、相応の代価を支払うべきなのだ。

 だが、時代がどうこうではなく、システムとしてかつてあったフローが消失していく。
 まあ音楽産業の衰退と未来を、フィギュア競技に敷衍するつもりはさらさら無いのだけれど、時代ではなく、システムはある時ある瞬間から変わるものだ。

 という事で私は改心して「ATTACK25」を買ったし、旧譜も少しずつ集めて聴いている。

 改めて「何度でも」を聴いて思いだしたが、曲のアレンジは完璧だとして、なぜあんなに音質がHiFiではないのだろう。
 前に浅田真央 Flash Back 2011-2013 という動画を作った時、CDシングルを買って使用したのだけれど、変にカマボコ(高域と低域が少ない)な音質で、自分でリマスターをしてから使ったのだった。
 CDのマスタリング時、よほど高域、超低域が出るモニタ・スピーカーを使っていたのではないだろうか。
 新譜「ATTACK25」は、洋楽と連続して聴いても違和感の無いHiFiな音だった。日テレのNEWS ZEROで、ニューヨークでのミックスダウンを取材する場面があったが、一曲毎にCDに焼いて、ラジカセで鳴らして音質を確認する作業が紹介されていた。
 そういうモニタリングはドリカムに限らず普通に行われるものだったが、ちょっと時代としてはもうラジカセで聴くユーザは少ないのではないかとも思う。
 今はスマホに入れてイヤホンで聴くのが圧倒的主流になっているだろう。

 ドリカムは、CDとライヴは完全に別物に考えている様で、近年のライヴではFuzzy Controlという3ピースバンドをまんま導入している。ベーシストはドリカムのライヴでは主にパーカッションを担当するが、曲によってはツイン・ベースとなる。このドラマーの、SATOKO(手数王・菅沼孝三の娘)が凄く良い。レコーディングにも部分的に参加している様ではあるが、もうそろそろ生編成でレコーディングしてもいいのではないか、とちょっと思う。とりとめなくなったのでここらで。

« MAO-A | トップページ | 浅田真央のお礼 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« MAO-A | トップページ | 浅田真央のお礼 »